<コラムもどき>

歴史に学ぶとき



 「21世紀」という響きは子供の頃は夢と希望の世界でした。

今、目の前に迫ってみると、新世紀は問題山積みの世界のような気がします。

まるで先が見えない真っ暗なトンネルのような・・・

 歴史を勉強する意味の一つには、先人の賢い知恵に学ぶ、という意味があると思います。

知人が「歴史はくり返すのだから、歴史の勉強をして何になる。」と言ったのにちょっと反発して

今回のコラムもどきを書いてみました。

 歴史は一見くり返しているように見えますが、それは一部の人間の自己中心的な考えの悲しい

結果であり、多くの人々は過去に何かを学んで、未来に向かって生きているのではないでしょうか。


 「歴史街道」7月号の特集に「ノストラダムスに惑わされるな!」という安田喜憲氏の小論文が

載っていました。

 
            ノストラダムスの予言とは、この人間中心主義に立脚した終末論を持つ直線的な
     世界観の終わりを予言していたのではあるまいか。西洋のキリスト教世界で養われた
     直線的世界観の終末を予言したのではあるまいか。きたるべき21世紀は、生きとして
     生けるものの生命に畏敬の念をいだき、人間もまた生命世界の一員として、痛みを共に
     体験しながら永劫の再生と循環の中に、生き続けるという循環的世界観が、世界を支配
     する時代となるであろう。

 破滅の世界を予言する心が現実世界の破滅を生み出すという氏の考え方は、私にとっては目から

鱗でした。

 「人類が終末の世界に一直線に歩むという世界観と歴史観が人間中心主義を生み、自然破壊し、

果ては核戦争の招来さえもたらす元凶」という氏の主張は、なんと説得力があることでしょう!


 日本はキリスト教世界ではありません。それ故、終末の世界観というものはピンときません。

日本人は明治維新以後、西洋の進んだ文明を積極的に取り入れました。日本の経済的繁栄の

原点は、ここにあるのかもしれません。

 しかし不思議なことに、心のよりどころである宗教−キリスト教は積極的には受け入れられなかった

ようです。

安田氏はそのことを「日本人の賢明なライフスタイルの選択」の一つと評価しています。

「終末の世界を予言し、直線的な世界観を説くキリスト教は、縄文以来の森の文化と再生と循環の

世界観に生きる日本人にはあわなかった」ためだそうです。

日本人が本来持っている八百万の神を信じる心が、ある面に限って言えば、賢明な選択をした

のかもしれません。


 環境、経済、教育、政治・・・と問題山積みの日本社会。我々は今、歴史に学ぶときなのかも

しれません。

賢明だった先人の選択に学び、正しい方向付けを模索し、子孫に現在のつけが重くのしかからない

ようにしなくてはなりません。

子孫が歴史を学ぶときに「平成の選択は正しかった」と評してもらえるよう、今、一人一人が

もう一度歴史に学ぶ必要があるような気がしてなりません。

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