<コラムもどき>

「侵略の証言」第一回を読んで
「供述書の史料としての価値」と「従軍慰安婦問題」について

 岩波書店「世界」5月号で軍人(高級幹部)5人の供述書が発表されました。藤原彰、安丸良夫両氏の論文も掲載されており、興味深い内容 でした。しかし、藤原、安丸両氏は反自由主義史観の立場に立つ学者であり、自由主義史観を代表する学者の論文が掲載されなかったことは 非常に残念でした。その点については次号に期待するものです。  供述書を読むと、まず第一に非常に記述が具体的で、殺人(殺害)、掠奪など方法、数に至るまで細かく記述されており、内容もショッキング です。毒ガス使用、慰安婦の強制連行などの記述もあり、中国における日本軍の戦争犯罪(本誌の表現を借りると)が浮き彫りにされています。 ただただ驚きの内容でした。 1.供述書の史料としての価値     しかし、果たしてこの供述書が史料としての価値があるかというと私はかなり疑問を感じます。    自分の罪の軽減を考えて迎合的になっているということは容易に想像できますし、長期間(約10年)の拘禁という特別な状況の中で書か     れているということは、共産主義教育で「洗脳」されたのではないかという疑問を持たざるを得ないからです。彼らは小林多喜二の「蟹工船    」、野呂栄太郎の「日本資本主義発達史」「マルクスエンゲルス全集」、毛沢東の「実践論」「矛盾論」「持久戦論」などを読み、学習会を開    いています。その後「認罪運動」「認罪学習」へと発展していくのですが、これにより「天皇崇拝思想、軍国主義思想のマインドコントロール    を解き放ち、精神の自由を取り戻して罪を告白し、謝罪し、それ(供述書のこと・・・筆者註)を記した」というのです。果たしてそうなのでしょ    うか。     まず第一に、供述書で用いている言葉です。「虐殺」「掠奪」「蟠居」「米帝国主義」「日本帝国主義軍隊」「中国人民」などという言葉が頻    繁に出てきます。藤原氏はそれを「記述者たちは、すでに日本の侵略を認めているのだから、こうした用語を抵抗なく使ったと思われる」と    述べておられますが、逆にそのこと自体、認罪学習の成果=洗脳ととることも出来るわけです。     単語の問題だけではなく、文章をみても驚くべき記述があります。    藤田茂(陸軍中将)の筆供自述を見てみると次のような箇所がでてきます。     私ハ最近毎晩米国兵ノ日本ニ於ケル暴行ノ放送ヲ聞キマス。又数回映画ニ依リ米帝国主義ノ罪行ノ日本ニ於ケル現状ヲ見マ     シテ、米帝国主義ニ対スル絶大ナル憎恨ヲ感シ憤慨ニ堪ヘマセン。 この記述より、中国側が故意にそのニュースを彼らに聞かせ見せていることが解ります。そして結びに藤田は     ・・・且ツハ日本民族独立運動ヲ支援スル一端ト希フモノデアリマス。・・・       最後ニ私ハ私ニ斯カル罪行ヲ犯サシメタル裕仁ニ対シ、心ヨリ、憎恨ト斗争ヲ宣言セントスルモノデアリマス。    この一節を皆さんはどう解釈されるでしょうか。私は洗脳されていると言わざるを得ないと思うのですが。     また、長島勤(陸軍中将)の筆供自述の結びにも     中国ノ平和政策デ日ニ日ニ発展シアル姿ト戦後十年ヲシテ尚米帝国主義ノ半占領下ニ苦難ノ道ヲ歩ミツツアル日本ヲ対象シ、     戦争絶対許スベカラズ只一節ニ平和ノ道ヘノ確信ヲフカムルモノデアリマス。      戦争勃発ノ危険性アル日本ノ社会制度ハ改メ中国ノ如ク民主デナケレバナラヌト信ズルモノデアリマス。    これを軍国主義的侵略思想の払拭教育ととるべきなのか、洗脳と言うべきなのか。「米帝国主義ノ半占領下」という言葉が示しているよう    に、これは明らかに洗脳された結果による文章であると思われます。     以上見てきたように、かなり中国による「洗脳」が行われていることが解ります。ですから供述書の史料としての価値は、低いとは言いま    せんが、内容を鵜呑みにすることはとうていできないものと思われます。 2.従軍慰安婦問題について     鈴木啓久(陸軍中将)の筆供自述に3か所、佐々眞之介(陸軍中将)の筆供自述に2か所、軍による慰安所の設置あるいは関与、強制    連行の記述があります。本当だとすると、軍による慰安所の設置と強制連行が存在したことになりますが、1.で述べたように「洗脳」され      た疑いもあり、そのまま信じることは出来ないと思います。それよりも、安丸良夫氏が <「従軍慰安婦」問題と歴史家の仕事> という論文    を寄せていらっしゃいますが、それが大変に興味深い内容でした。安丸氏は従軍慰安婦の「証言」の曖昧さ、矛盾、誇張や誤断について、      私たちはむしろ「証言」のこうした語られ方こそ、彼女たちの経験のリアリティとそれを語ることの困難さ、意味の奥行きなどを     読みとるべきなのである。     と述べていらっしゃいます。私も全く同感で、民衆史や草莽史のような草の根の歴史は、生き残りの方々の証言や言い継がれている話の    収集という作業が非常に重要であり、それ自体価値の高いことだと思います。     少し横道にそれますが、新選組研究の古典、子母沢寛の「新選組始末記」のあとがきに子母沢寛は      生き残りの老人のはなしは、疑わしいものもあったが、私は「歴史」というのではなく現実的な話そのものの面白さをなるべく     聞きもらすまいと心がけた。     と述べています。この子母沢寛の考え方こそ、従軍慰安婦の「証言」を取り上げる時に必要な姿勢ではないでしょうか。ですから、自由主    義史観派の実証主義に凝り固まると、奥深くに流れている重要なものを見失う恐れがあります。しかし逆に「被害者たちがそのことについ    て述べている以上、それが彼女たちにとっての真実であって、この証言がある限り強制連行は存在した」とする考え方は、私は納得がい    きません。やはり彼らの証言は証言として認めた上で、裏付け(実証)出来てはじめて歴史的事実となるのではないでしょうか。特にこの    従軍慰安婦問題は現実として「謝罪」「賠償」などという政治問題としての重大な側面を持っている限り、慎重に取り扱うべき問題なのです。

前のページに戻る(「従軍慰安婦教科書削除問題」に触れて)
(「異議あり 日本史」に異議あり)
次のページに進む (「プライド 運命の瞬間」)
(差別 「善意」からの「悪」(創氏改名))
(8月に寄せて (歴史の皮肉)) (戦中派と若い世代)
(オフ会) (歴史に学ぶとき)
(ジュニアのための戦後史入門) (謝罪) (在日韓国人朝鮮人問題について)
(卵先生の問題解決 −投書という形−)

トップページに戻る