<コラムもどき>

「異議あり 日本史」に異議あり
(「異議あり 日本史」 永井路子著 文芸春秋)

 著書の中で永井氏は新選組を「徳川幕藩体制を維持するための機動隊」「人に命令されてなぐりこみをかける雇われ殺し屋」「歴史認識もな にもない、暴力的集団」などと述べておられますが、これはちょっと極論すぎるのではないでしょうか。


 新選組は「歴史の歯車を逆回しにしようとした」ということは間違いのない事実だと思います。彼らは崩壊しつつある徳川幕府を支えようとし、 武士への強い上昇意識を持つという、全く時代に逆行する動きをしています。これは近藤勇、土方歳三をはじめとする新選組幹部の出身地で ある多摩地方の特殊性に起因するところが大きいと考えられます。(「新選組」第2章 新選組の背景)  幕末維新史を見れば明らかなように、当時の豪農層は非常に強い危機意識を持っています。彼らは尊王攘夷派と結びつき、現状を打開しよ うとするのですが、多摩地方はその特殊性が故に徳川幕藩体制側につき、それにより自分たちの利益の保全に努めようとします。近藤、土方 そしてその後援者である豪農たちはまさにその代表といってもよいのです。その点を押さえておかなければ、新選組を正しく理解することはで きません。永井氏は京都における表面的な彼らの行動のみを強調していらっしゃいますが、実は彼らは豪農層の代弁者的役割をも担っている のです。
 新選組に関する資料は多くはありません。  私は思想史の面から新選組を明らかにしたいと考えているのですが(「新選組」第3章 新選組の政治思想)、近藤勇の建白書と書翰か ら考えるしか方法がありません。近藤の思想がある程度明らかになったからといって、それが即「新選組」そのものと考えることができるの かという疑問を当然持たれると思います。本来新選組というものは烏合の衆です。混乱した時代に一旗揚げようという浪人、百姓、商人等 の集まりです。そんな集団にそもそも思想などというものがあろうはずがない、永井氏のように時代錯誤の剣を振り回す「雇われ殺し屋」集 団なのだと思われる方が多いと思います。私もある程度はそのことを否定はしません。しかし、歴史の歯車を逆行させたとしても、近藤、土 方ら幹部には一つの日本のビジョンがあったことも確かです。それは尊王攘夷派志士同様、非常に未熟なものではありますが、(詳しくは 「新選組」第3章 新選組の政治思想 で述べます。)決して人斬り集団、幕末の暴力団などというものではありません。特に近藤は直参に なってからは、多くの要人に会う機会を得、現実路線に目を向けはじめています。 百歩譲って近藤たちにある程度思想的なものがあったとしても、烏合の衆である新選組もそうであるとは言えないのでは、とおっしゃる方も 多いと思います。私はこの点をこう考えています。  新選組の歴史は内訌の歴史でした。異質の思想を主張するものが現れたとき、そこには必ず抗争が起こりました。そして常に近藤一派 が勝利してきたのです。ですから新選組にとって「内訌」というものは、隊内の思想の純粋性を保つ働きをしたと言ってもよいのはないでしょ うか。それゆえ新選組の思想というものは、近藤一派のリーダーである近藤勇の思想と同様であると考えられるのです。そういう視点にたっ て、私は新選組を非常に未熟ではありますが「幕末の一政治結社」と位置づけたいと考えています。  このことについては多くの方が反論なさることと思います。また永井氏がもし読まれたら、憤慨なさることでしょう。(氏は新選組の再評価 をすること自体を憂えていらっしゃるのですから。)そのことに関しては「新選組」第3章 新選組の政治思想で展開していこうと思っておりま す。もし興味のおありの方はそちらをお読み下さい。
 新選組を再評価する傾向は日本人の「剣」に対する誤った認識だとおっしゃる永井氏。たしかに日本人は剣の達人が好きですね。しかし、 剣道を「たかが人殺しのスポーツ」とはちょっと感情的すぎるのでは。反論する気にもなれません。かつて剣道にかかわったことのある私と しては、驚きの発言です。  戦後から始まった新選組ブーム。苦々しく思っていらっしゃる永井氏が「剣」に対する日本人の認識の誤り、つまり剣道の達人=人生の達 人ではないのに、そう錯覚している日本人の感覚が新選組を美化しているとおっしゃっています。確かにそれもあると思いますが、それ以上 に新選組ブームは、日本人の判官贔屓からきているのではないでしょうか。時代の流れに逆行しながらも滅び行く徳川幕府と運命を共にす る悲劇的な彼らの末路は、日本人の情感と一致するものがあります。さらに近藤勇の死に際の潔さ。百姓出身でありながら、武士以上に武 士らしい最後を遂げた近藤に、日本人は共感するのだと思います。  しかし、上記の日本人の感覚と新選組の歴史的評価とは全く別の問題である、ということを最後に強調しておきたいと思います。

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