<コラムもどき>

「プライド 運命の瞬間」

 とにかくすばらしい映画だと思いました。  戦後の民主主義教育を受けた私は、学校教育の中で一貫して日本の侵略戦争について学んできました。そして長い間、それを疑うことはな く、戦争については日本人として後ろめたささえ感じていました。  大学の頃、日本の近現代史を専攻していましたが、3年の時、渡辺昇一氏の本に出会いました。本の題名はもう忘れてしまいましたが、先 の大戦の日本の正当性について書いてあったと思います。その内容が私にとって新鮮だったので、教官に話したら、 「そんな人の本は読んではいけない。」 と言われたのを今でも覚えています。学問をするのに読んではいけない本・・・、その一言が私の胸の奥に混沌として広がっていったのです。 その一言がなかったら、学校を卒業してからも歴史に興味を持ち続けることはできなかったかもしれません。


 昨年あるきっかけで、自由主義史観に出会う機会を得ました。戦後半世紀を過ぎ、戦争が形骸化する反面、本当の歴史を求める動きがよう やく表面化してきたのです。従軍慰安婦問題を機に、日本の近現代史、特に先の大戦に対する再評価を試みる動きが出てきました。そして 今回の「プライド 運命の瞬間」の上映です。東京裁判をこれほどにも鋭く見据えた作品が、今この時期に上映されることの意義は大きいと 思います。  少しずつオウム事件が裁かれようとしています。サリンを使い、電車の中で無差別殺人をした罪ははかりしれません。しかし広島・長崎に 原爆を落としたアメリカの罪は未だ裁かれていません。東京大空襲をはじめとした大空襲の正当性はいったいどこにあるのでしょう。そもそも 本当に先の大戦は単なる日本の侵略戦争だったのでしょうか。  「プライド 運命の瞬間」はそういう点に問題を投げかけています。製作委員会代表 加瀬英明氏は先の大戦を「日本がアメリカの圧迫を蒙 むって切羽詰まって自存自衛のために立ち上がった戦争」と定義付け、「東京裁判は日本人の歴史を抹殺し、日本が“犯罪国家”であるという 戦勝国史観を強いるものだった」と述べています。「日本は国際会議の場で“人種平等の原則”を訴え続け、今ではごく自然の人種平等の世 界は日本の力によってもたらされた」と言い切っています。そのことを映画ではインドの独立運動との同時進行で、強いインパクトをもって我々 に訴えていると思います。そして東京裁判を、パール博士の日本無罪論、すなわち「正義の実現ではなく勝利者による復讐」と定義づけてい ます。
 この映画の公開中止を「映画『プライド』を批判する会」という団体が申し入れたという記事が新聞紙上を賑わしました。この考え方は「そん な人の本は読んではいけない。」という考え方と同じ、非常に排他的な考え方です。当然映画を見る権利は我々一人一人が持っているのであ り、それを奪おうとする行為です。これこそ彼らが一番忌み嫌う、ファシズム的思考ではないでしょうか。  私はこの映画を一人でも多くの人に見てもらえたらと思います。戦争の世紀、20世紀の最後に戦争そのものを問うた、すばらしい作品だと思 います。平日に見に行ったせいか、観客は私の父母の世代以上の年輩の方々がほとんどでした。私は戦後の民主主義教育を受けた世代にも ぜひ見てもらいたいと思います。「私たちが教えられた戦争と違う戦争」に気づくすばらしいチャンスをこの映画「プライド 運命の瞬間」は提供し てくれていると私は思います。

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