中学校歴史教科書に「従軍慰安婦」について記載されるようになったが、これについて異論を唱える「あたらしい歴史教科書を
つくる会」とそれに反論しているグループの論争に触れる機会を得ることができた。
その詳しい内容についてはパソコン通信、インターネット上で公開されており、ここで言及する事はしない。というよりも、私
の能力をはるかに超える難しい問題であり、私がこれについて言及するなど不可能なことである、というのが正直なところである。
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現代史の扱いは非常に難しいと思う。まだ当事者が生きており、一種土足で人の心の中に踏み込む感があるからであろう。
たとえば「従軍慰安婦問題」である。勇気ある発言をした元慰安婦たちはとても立派だと思う。ただ反面、貝のように口を閉ざ
した人々もいるわけである。彼女らの心の内を我々はどのように理解したらよいのであろうか。
先日三島由紀夫夫人が亡くなった時に、「これから本格的な三島文学の解明が始まる。」という意味の新聞記事を読んだのを思
い出した。
三島事件が起きた時、最も多感な時期を過ごしていた私にとって、今でもあの時のことは鮮明に覚えている。そして今回のこの
記事を読み、歴史の当事者が生きているということの重みはこのようなことなのだと改めて実感した。
「従軍慰安婦問題」が中学校歴史教科書に記載されるようになったことに対して異論を唱えるグループと、それに反論するグル
ープが論争を繰り広げている。大変難しい問題を内包しており、私がどちらのグループを支持するなどということはとても言えな
い高次元の問題である。ここでは歴史好きの「七月☆子の部屋」のコラムとして、従軍慰安婦問題と現代日本史の歴史教育につい
ての私の素朴な思いを文章にしてみた。
(1)従軍慰安婦問題
従軍慰安婦問題は確かにまだ強制連行等、歴史的に確定していない面を数多く持っていると思う。しかし、従軍慰安
婦の名称や定義はともかく、実際に存在したことは事実であり、それを歴史の教科書に載せ、授業で扱うのは当然のこ
とだと思う。ただ授業で扱う時に、現在「あたらしい歴史教科書をつくる会」とそれに反対する人々がいることを紹介
して、その相違点を明らかにし、どちらか一方の意見に押し流されることがないように配慮する必要があると思う。
また「従軍慰安婦問題」が複雑であるのは、単なる歴史論争というよりも補償問題等政治的要因が非常に大きい問題
であるところにある。外交問題に発展しかねない要素を含む問題であるため、扱いには充分な慎重さが要求されると思
う。
20代男性会社員が「・・・従軍慰安婦を教科書に載せるのであれば、米軍の日本女性に対する乱暴も教科書に載せ
るべきでじゃないでしょうか?・・・」という意見を投稿していたが、確かに一理あると思った。教科書はあくまでも
公正な立場でなくてはならず、特に不確定要素の強い現代史では、一つ一つの事柄の扱いが非常に難しいということを
強く感じる。
(2)現代日本史の歴史教育
日本のよいところは言論の自由が完全に保証されていることにあると思う。それ故に中学校歴史教科書の問題を2つ
のグループ間で激論を闘わせているのである。歴史教育の現場でもある1つの考え方を押しつけるのではなく、こうい
う考え方もあるのだということを子供たちに示すことが最も重要なことではないだろうか。そうすることにより、子供
たちは自分の頭の中でその発達段階に応じ、自ら考え自ら理解していくことが可能になると私は確信する。
不確定要素の強い現代日本史の歴史教育は「教える」のではなく「考えるための資料を提供する」ということを主と
して行われるべきではないかと私は考える。
http://www.jca.ax.apc.org/~manmatha 「自由主義史観という開き直り史観に抗議」
に多くの論文や資料、関連サイトが掲載されています。興味のおありの方は是非一度ご覧下さい。私もいろいろ学習させていただ
きました。ありがとうございました。
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