今年も8月がやってきました。
私はふと遠藤周作のエッセイ「ある村の小さな歴史」を思い出してしまいました。
お読みになった方も多くいらっしゃることと思います。
要約すると、次のような内容です。
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(「異議あり 日本史」に異議あり)
幕末の頃、長崎大浦の教会に赴任したフランス人神父が「かくれ切支丹」に秘密の布教を1年続けた。それが長崎奉行所の知るところと
なり、浦上村の男女は投獄・拷問を受けた。
明治になっても明治政府は浦上村の信徒全員を国内の各地に分散させて投獄し続けた。
しかし、アメリカ政府の切支丹禁制と迫害を止めるようにという態度から、岩倉具視らは不平等条約改正のためにも、日本が近代国家であ
ることを諸外国に認めさせるためにも、宗教の自由を海外に宣言する必要を痛感し、明治6年、長い切支丹禁制に幕が下ろされた。そして、
浦上の信者たちも故郷へ戻ることができたのである。
ところが、浦上の農民を救い、信仰の自由を助けてくれたアメリカと日本の間で戦争がはじまり、昭和20年8月、アメリカ軍は浦上を爆撃。
殺戮、破壊が行われた。
本当に歴史の皮肉だと思います。かつて自分たちを助けてくれたアメリカに、約70年後、今度は殺戮される・・・。戦争の狂気がそうさせ
たのでしょうか。
遠藤氏は次のように書かれています。
・・・この小さな場所が日本の近代・現代史に及ぼしたあまりにも大きな、しかもあまりにも深い意味を
もった二つの出来事を考えて、社会主義や民主主義さえも政治の次元の中では矛盾した結果を生む
ことに溜息をつかざるをえない。・・・
実は私は、もう一つの歴史的出来事が頭をよぎりました。それは日本の行ったユダヤ人難民逃亡の手助けのことです。
日本人外交官、杉原千畝は6000人のユダヤ人にビザを与え、逃亡を助けたことは一般に知られているところです。
それが「八紘一宇」の国是から行われたものなのか、それとも人道的立場から行われたものなのか、私にはよく解りません。少なくとも日本
政府が全く知らぬことではなかったはずです。いろいろ複雑な思惑があったとしても、多くのユダヤ人の命を救ったことは間違いありません。
ところが、アメリカは原爆を広島、長崎に落としました。日本は2万人以上のユダヤ人を救ったと言われていますが、アメリカに亡命したユダ
ヤ人科学者たちの手によって作られた原爆が日本の一般市民30万人大虐殺という史上空前の無差別殺戮の手助けをしてしまったのです。
それはユダヤ人がどうの、アメリカ人が、日本人がどうのという次元ではなく、まさに歴史の皮肉であり、戦争という狂気の成せる業なのです。
そして戦後半世紀以上がたった今、あの悲惨な歴史が教訓として生かされているかどうかと考えたとき、その答えは・・・。
(「侵略の証言」第一回を読んで)
(「プライド 運命の瞬間」)
(差別 「善意」からの「悪」(創氏改名))
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