父の死 <2枚(800字)作品>
母と妹と私は、早朝から名古屋第二赤十字病院の病室に詰めていた。窓から外を見ると、眩しいほどの青空が広がっている。まだ午前8時頃であるが、今日も35度近くまで気温が上がりそうだ。 父は今、この病室のベッドに横たわっている。顔の半分を酸素マスクがおおい、腕や肩に刺し込まれた数本の管が、父を機械と一体化している。長くはない、おそらく父には、後幾ばくかの時間しか残されていないであろう。死は明らかに父の背後に迫っている。腕に刺された点滴の針。モルヒネがぽと、ぽと、と落ちていく。父の顔には、全く苦悩の色は見られない。薬が効いているのか、それとも、もはや痛みという現世の小事から解き放たれてしまったのだろうか。
父は四人姉弟の末っ子で、上には三人の姉がいる。子供の頃身体が弱かったため、家の中で遊ぶことも多かったという。しかし私が知る父は運動が得意であった。30歳代の頃は会社の軟式野球チームで活躍していた。またゴルフはシングルの腕前で、応接間のマントルピースの上には優勝カップが幾つも並んでいた。 父はお酒が大好きで、毎晩欠かさず晩酌をしていた。特に日本酒が好きだった。晩年身体を壊し医師から止められていたが、最後までお酒を止めることはできなかった。
「息をしていないよ」 妹が突然声を上げた。ナースコールのブザーに私の指が触れるその瞬間、看護師が数人部屋に走り込んできた。父の背中とベッドの間に鉄板のような板を差し込み、看護師の一人がベッドに横たわる父の上に馬なりになり、心臓を力任せに打ちつけている。看護師の目は鼓動を映し出すモニター画面に釘付けにされている。遅れて若い医師が病室に入って来た。父の腕をまくり、注射をする。 数分後、医師は静かに声を発した。 「そろそろ最後の時と思われます」 ベッドに横たわる父の表情は全く変わらない。看護師や医師が駆けつける前と同じように顔には苦悩の色は微塵もない。やがて医師は胸に聴診器を当てる。まぶたを指で開き、瞳孔を調べる。そして静かに時刻を告げる。ベッドに横たわった父の顔から酸素マスクが外され、腕や肩から管が抜かれる。平成9年6月20日午前8時57分、69年の父の人生は終わった。 |
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