こんな感じで作っています

自身の飲食店運営でポイントとなる事柄が起こり次第、年表に追加。

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ごめんなさい

「立志編・ゆめのいち前期」
「ゆめのいち後期」
「こるて前期」
「こるて後期」
「ぶたとまと編」
インスタグラム活動記録:アカウント @cortey1

1976 夏 志を立てる

夏休み前の美術の時間 クラスメートの一言
 「お店持つんだったら大学行く4年間って無駄何じゃない?」
これより”夢の1 ゆめのいち 【夢no1】 ”への歩みが始まる。 

気持ちの中で「受験から逃げたいんじゃないの?」って言う声が・・・そうかもね
きっとみんな持ってる”一国一城の主”の夢。

踏み出すには、きっと勇気ではなく純粋な願い・欲望が必要なのだと思う
勇気の影には”選択の疑問や不安”が有るけれど、
欲望は、ただ純粋に強い意志だと思う。

勇気で物事を成し遂げるのは、大変なこと。
欲望につき動かされていると、
結構すんなりと物事は成ってしまうような気がする。

ポイント:望めよ、されば与えられん!




大阪に旅立つ

お店を持つ・・・飲食店がいいかな・・・調理師免許が必要?・・・

せっかくだから大阪へ、親元を離れて一年間
入学金やら年間の学費やらで100万円位かかったのかな、

3畳ひと間の寮(風呂は歩いて10分の銭湯)と学校とアルバイト(ホルモン焼き)の 行ったり来たり、時間つぶしにパチンコ・アレンジボール(これで生活が苦しくなる) 食あたりしたり、

ホルモンの食べ続けで(多分)授業中一回、風呂に入ってて一回、鼻血を出したり、 充実はしていたかな、でも学校で覚えたことは、ほとんど今、 役に立ってるとは思えない。   よく覚えているのは

衛生法規の時間かな  ”お店を開くのに調理師免許はいりません。” だって
うそー!!ってかんじ。

調理師学校についてポイント

料理はいっぱい教えてくれるが、ほとんど頭に入らない。

調理実習はグループでするので分業になってしまい、身につかない。

先生もなんか気負いがあって厳しさを全面に押し出すが、どうも納得が行かない。

学校案内に載っていた最新の器具・機械は触れない。

各イベントはそれぞれ金がかかる。

しかし、飲食の世界・社会にでる前のワンクッションには良いのではないかな、
就職の求人も色々なところから来るので、早いもの勝ちだが検討するには良いかな、
給料も高卒よりは若干高いし
私にとっては、親元を社会にでる前に一度離れられたのは有効でした。

お店を開くのに必要なのは”食品衛生責任者 ”の資格、(確か、2日間の講習でとれると思います)
調理師免許が有れば、それが無条件で取得出来るだけです。  





銀座のレストランに就職

結構、大きな会社で、(和・洋・中・クラブ・パブ結構手広く構えている) たまたま、イタリア料理のお店に配属、当時、日商130万位だったのかな 大所帯でたくさんのコックさんやウェイターが働いているところでした。

当初一年間は、ウェイターをして店全般の把握をすると言うことだったが どうも、ウェイター不足が最大の理由だったような気がする。

早番、朝9時〜夕6時でだいたい残業が入って夜9時、人が足りないと 閉店の11時迄、更にレジ締めが合わないとお泊まりなんて事もあった。

銀座なんて言うと華やかに聞こえるけれど、勤務先が銀座というだけで 夜の11時に、ハイヤーがぎっしり止まって、 綺麗なお姉さんが見送りにいっぱいでて来ているのを横目にみすぼらしい格好で 新橋から電車に乗って帰ってゆくのはちょっと悲しい、

先輩のウェイターに「店を持つのならウェイターでやってくのが早いんじゃないか」 と言われお店やめるまでの約3年をウェイターとして過ごす。 その間、まともに店のメニューを食べさせて貰ったことがなかった、

「社員割引で自分のお金を使って食べな」だって
そんなことで、料理のお薦めや紹介が出来ると思います?

就職についてのポイント

はっきりとやりたい店の形態が決まっているのなら最初から
そういうタイプのお店へ(多分小さな規模の店)就職した方が、 料理も含めていろんなことが学べて独立の近道のような気がする

ただ給料の事や独立を断念したときのことを考えると、大きい店もすてがたい、でも、この商売、独立しなければ給料は安いし、面白みもやりがいも、 あまりないと思う。

それでも独立を断念せざるをえない時は ほかの職業にするかファーストフードやファミリーレストラン等の 福利厚生までしっかりした会社に入り、頑張って出世しましょう。




地元のスナックに勤める

銀座のお店が、更に高級店を目指して新規改装すると言うので
独立する上でメリット無しと判断、カウンターでの対面接客の技術を 身につけようと思い、地元のスナックに勤める。

夕方5時〜深夜2時までのお勤め、帰宅就寝は、3時過ぎ日給月給だからどんなに時間がおしても給料は一緒、女の子と違ってドリンクバックもない そのくせ何か有ると矢面に立たされる、結構つらい立場。

「こっちもの呑まなきゃ”のんべー ”の相手は出来ないよ」と 酒の量が増えこの時期、十二指腸潰瘍になる。

料理も任されていたので、此処で初めて調理に携わる。 すこしづつ料理と言うものを理解し始める。しかし

性格上どうしても割り切れず”酔っ払いの相手をする店 ”は自分には出来ないと
確信、  でも、そんな店の方が利益率は高いんだろうけどね、

只、そおゆう、お店が酔っ払いのお客さんを引き受けてくれるから ”ゆめのいち”のような形のお店も存在が許されているは確かだと思う。




横浜・青葉台・たまプラーザ

銀座のお店で一緒に働いていたコックさんから「今度、店を任されることになったので ホールを任せたいから、こないか?」との連絡があり、そろそろスナックも卒業かなと 思っていたので、給料も若干良くなるようだし、承諾。

舞台は ”金妻(きんつま)の町 ”へ移る。(ふるい?)

此処は、オープンキッチンだったので料理の作り方・タイミング等 ”ゆめのいち ”の 料理のすべては此処で習得。人が少なかったのでコックさんもちょっとやった。 只、このお店オーナーもイタリアンは初めて、 チーフコックも店長として任されるのは初めて、 私もただ一人のホール主任とゆう事もあって、コンセプトがはっきりせず

料理は美味しいんだけど、料金とかの兼ね合いもあって、利益がいまいちだった模様。 オープンから携わっていただけに、これが自分の店だったらと思うと少し怖くなった。

この頃から美味しいものを落ち着いて、気楽に食べて、お酒も呑める 本来の意味での”パブ ”という形態を意識しはじめる。




大失恋と言うかなんと言うか・・・

自分では背負いきれない恋愛ドラマにはまってしまい、あらゆる物事が 手につかなくなる。うだうだと考え込んでしまう時間を無くすため レストラン終了後、今まで客として通っていたスナックに勤めることにする。

朝9時〜夜9時迄レストラン、で10時から深夜2時までスナック 従業員が少なかったため月1〜2日の休みが約1年続く、
この頃、休みの日に洗濯をして風呂に入り昼の日中のファミリーレストランで ビール・ワインを呑みながらお昼を食べるのがとっても幸せだった。

約2年、そんな生活が続き、恋愛ドラマからも抜け出したころ
社会にでて、ずっと増えないでいた貯金が、短期の生命保険の満期も重なり 約450万になる、

お金を使っていた時間にお金を稼いでいるのだからそりゃ貯金も出来る。

全然つらくはなかった、キラキラとは言えないが充実した日々、 何か妙な恋愛関係と酒にまみれてはいたけれど、身も心も内蔵も若かった。




出店に向け 始動

高校を卒業して10年目、資金も何となく出来、色々な占いも 「十数年に一度の良い一年です」だって、此の年ハレーすい星も来たし

ずっと想い続けて居たわけではないけれど、あらゆることが 独立するとゆう方向に向かって一つに絡み合いまとまってゆくのを感じた。

何かを成すとき、自分の意志、相手の意志、それと自分ではどうにも出来ない 世の中の意志と言うものも必要なのではないかと思った。


スナックをやめ独立に向けて準備開始。でも何をどうすればいい?




居抜きの物件青葉台に物件有り

何から手をつけて良いのか分からず本を読んだり、それにのってる 店を見に行ったりするだけで、実際の所何も進まない、そんな時

知り合いの女の子から「たまに行くお店のオーナーが売りたがってたよ」と
居抜きの物件情報をくれた。

実際にその店を担当している不動産屋で話を聞く、希望より小さく、 一回取り壊して作り直さなければならなさそうだが家賃と何より保証金が 安かったので、内装設備を管理している建設会社に任せるという方向で話が進んた。

それでは、仮契約とゆう所へきて「ビルのオーナーの息子が先々、貴方と同じような店を 開く予定があるので、今回は無かったことに」だって、なんじゃそりゃ!

そんなことがあってから数週間、青葉台の新築物件の情報が知り合いから、 駅からも近く、メインストリートからちょっと入った線路わき、 2階ではあったけれど、自分のやりたい店のイメージとピッタリしたので 即決!家賃保証金もまずまず。

作り直さなければならない、居抜きの物件なんぞ買わなくて、あー!本当に良かった。

物件探しのポイント

初めての物件探し、まだまだ夢だけで実際の善し悪しが殆ど分かっていないので 自分で探そうなんて思わないほうがいい、はずれを出来るだけ引かない為には、

電話帳で出店希望地域の”店舗内装設備 ”の会社を探しそこで 「独立出店したい・・・」と相談する
それだけで出店迄のすべて(物件探しから内装工事・仕入れ業者に至るまで)がかたずくはず、 出来れば何軒か会社を比較する為にそこで施工した店舗を見せて貰うと良い。 その店舗のオーナーに話を聞くのも手だね。

先々、修理やらで付き合って行く会社なのでよーく検討すること。






環境衛生金融公庫

地区の”料飲組合 ”というのがあってそこの推薦を受けて公庫に融資申し込みをする。 推薦といっても、組合に加入すれば良いこと何だけど、結構な低率で予算の半分を融資して貰える。 只、保証人も担保も出して借りるのだから、推薦なんて無くても借りられたのかもしれない。

まあ 掛け金の均一な組合の健康保険やら講習会の通知などを送ってくれたりするので助かる 部分もある、組合費も月2500円だし入っていて不都合なことはないと思う。

自己資金500万、親からの借り入れ200万、と公庫融資の700万それに 内装の一部にローンを組んで100万 合計1500万の予算で開店準備に取りかかる。

といっても初めての事だけに何が何だか分からず、 全部、内装設備会社の提示どうりに話が進んでゆくだけだが、それだけに、 信用できる会社を選ばないと大変なことになるよ!

 それから予算は全部使わずに 最低3ヶ月は生活して行けるだけの、お金は残しておいたほうがよい、ゆとりを持って スタートしよう!!





内装工事開始 そんな時・・

いよいよ工事が始まる。

やはりこれも、ボーっと”あーー出来て行くなー”ってなかんじで見守るだけ

最初だもん仕方ないよね、仕入れのこととか、機材の納入だとか搬入とか、 やたらやらなければならないことが目白押し、どーしよう!ってかんじ。

そんな、ばたばたしてた時、やくざのおにーさん登場・・・

「花とか額とか付き合ってくれないかなあ」って( うわー!どうしよう )

「この辺みんな付き合って貰ってるんだよね」 ( えー 本当かよ )

・・・・・・・・・・・・・・「じゃあ 花で・・・」
・・・・・・・・・・・・・・返事しちゃったよ。

それから業者さんや組合の人やらに相談しても 「返事しちゃったんだ・・それじゃあなあ」って、 当時「暴力団対策法」が出来る前で何とも解決法が出てこず、結局 それから約一年の間月1万円の花代を付き合うことになる。

どうしても納得が行かず警察にまで電話をかけて相談して 「勇気を出して、断ってください。それで何かするようでしたら110番にお願いします」 ということになった。 

その勇気を出してってのがね大変なのよ、お巡りさん

でも まあ 振り絞ったよ頑張って ( エライ! エライ! )

それからは何事もなく無事に縁が切れた。( ヨカッタ! ヨカッタ! )

暴力団対策法

暴力団員の不当な要求行為を中止させ、あなたの生活と平穏を守る法律です


今は、要求されただけで、警察が動いてくれます。良い法律が出来たね、 それでもなかなか、その場でちゃんと断れれば良いけれど、私みたいに小心な人だっているでしょ

考えたんだけど、そんな時は責任者じゃない振りをするってのはどう?

「私では決められませんので今日の所はお引き取り下さい」って

それから、どう返答するかとか警察に相談して後日、ちゃんと断る、そうしよう。

神奈川県警察本部
フリーダイヤル 0120−797049( なくなれようきゅう )







9月11日華々しく?開店

十年という時間とバブルの崩壊というフィルターがかかってようやく 自分の思ったような店の形と、客層になってきた。
売り上げは、まあ、何だけれどね・・

オープン当初、そりゃもう大変、 従業員もメニューも何より自分が地に足が付いてないって感じで フワフワ おろおろ、お客さんも知り合いしか来ないし

たまに新規のお客さんが来たかと思えば「あーすれば?、こーすれば?」って 店のあり方にうんちくを傾ける人だったり( 端から見るとやっぱり心配何だろうな ) 気弱になっているから、ついついこっちもその気になって 自分にプレッシャーがかかって、悪循環、落ち込む、落ち込む

やせるやせる、それでなくともやせぎみだったのが、まあ可哀相なくらいに、 食べられなかったけれど、睡眠は取れたから未だヨカッタね、

こんな時運命共同体の奥さんが居たらきっと心強いと思う 喧嘩も耐えないと思うけどね、それでも一人よりは良い。

そうこうしているうちに、落ち込みきって開き直れるようになる、 「そうだ 誰に使われているのでもない自分の店なんだ、やりたいようにやってだめなら、ももう一回頑張ろう」って

何とか落ち込んだ時期を乗り越え、チラシを折り込んだり、サービス券を駅で渡したり

そんな事をしながら、徐々に店としての形が出来てくる、常連のお客さんも出来た、 そしてバブルの時期を迎え、数字的には安定したように見えた。 支払やローンが多くて生活はあまり豊ではなかったけれど、今より断然売り上げは多かった。





蓼科の小さな別荘を買う

この頃、友人にスポーツクラブなるものに連れていって貰う

クラブの人々のキラキラしたさわやかな表情に愕然とする。 ( 飲み屋のおやじの、どろどろとした此の生活は何だ? ) ランチタイムと夜の営業のあいまにスポーツクラブに通うようになり

健康管理と気分転換に欠かせないものとなる。 風呂としても使えたしね。

そしてスキーと巡り会う( ”私をスキーに連れてって ”の頃さ )

はまった

行くごとに何かできるようになる嬉しさ、滑走する壮快さ、 父親の退職金を20年返済で借りて、北蓼科に小さな別荘を買い、 毎週のように通う、休みの前日の営業終了〜休みの翌日の夜の営業開始の間を フルに使っての1日半の強行スキー・・・若かったな・・・

貸別荘として運用して返済は何とかなるはずだった が、 営業の人間が言っていた程、利用が無く生活は依然楽にならない。

数年が経ち、巷が”バブルの崩壊”と騒ぎ出す。

客層が若いから、うちは大丈夫と思っていた。





奥さんと知り合う・長男 誕生の頃・下り坂

姿・形はともかく料理が上手、( 多分、料理一般については、私より上手だと思う。) 一緒に居て負担にならず、自分が自分でいられたので、いよいよ結婚!へ( いいもん ひろったって感じ )

奥さんと働ければ、人件費が浮いて、何とか低迷期を乗り切れるかなと大いに期待!

・・・・・直ぐ子供が出来た。

人件費は浮かない、出費は増える、うーん 一人で何とかやって行こうと決心!アルバイトを切る。 営業形態として、時間内に一回転分お客さんが来てくれれば今の生活は維持できるはずなので 心と体が両方とも健康であればなんとか対応は出来る・・・はず。





次男 誕生の頃・どん底

一人で営業をするようになり一年が経過、次男が生まれる。

車のローンも終わり、あらゆる経費の見直し、生命保険等の見直しをして 、人件費も無くなったにもかかわらず、それを上回る不況の余波、世間から約一年遅れてバブル崩壊の大波 客層にかかわらず、うちも例外ではなかった。

しかし、この時期、客数は減ったが客層は、もともと望んでいた客層が残り、 店の形としてはいい方向に向いたように思う。 無駄な出費も削れたし、後は、客数さえ 増えていけばいいのだけれど・・・

飲食組合の健康保険は、収入が多いときでも支払額が一定なので 安上がりのような気がしていたが、収入が減ったこの時期は、一般の国民健康保険の方がかえって安かった。   それと、損保や生保に付いても、ろくろく考えずに営業に任せきりで掛けていたのも、よく考えると結構削れるものがあった。






水漏れで損害賠償

数年前に水道管の破損でたまった水が、防水層からしみだして、階下の 店舗に迷惑をかけ、畳・天井の補修をする。そしてこの年、排水漕の防水層 劣化により再び、迷惑をかけ再補修。

費用については、損害保険を使い問題はなかったが、 業者の手はずが悪く、連絡は来ないし、時間には遅れるし、いっこうに補修が進まず、 階下のオーナーと顔を合わせるたびに謝って、本当に情けなくストレスが溜った。

店に限らず、何かを持つ、得るということは、その事や物に対して責任が生じるとゆう事、 自分で何かをしたわけではないけれど、謝らなければならないことも、大人になると大変だ。

お店の設計・施工段階で事が自分の所だけでは済まないだけに、 水回りだけは充分に気を付けて!    給排水の配管は埋め込まずに、点検・確認が出来るようにしておいたほうが良い! もっとも、 階下に何もない一階とか地下とかの好立地ならそんな心配も要らないのだけれど・・・





パソコン登場

開店以来、会計・税務に関しては、会計士にお願いしていたので、 開店にあたっての申請とかのことはよく分かりません、その辺のことは 色々な本に記載されていると思います。(どこかに、その手のホームページもあったと思います。) ただ、開店にあたって必要な資格は、先にも書いたように「食品衛生責任者」の資格だけです。 これは、保健所の管轄になります、資格取得の講習の事も保健所に聞けば日程を教えてくれると思います。

月2万、申告時5万の顧問料(年間約30万)でずっとお願いしていたが、 いよいよ経費の削り場所がなくなり、自分で帳簿付けをやろうと決心!

・・・・・10円合わない・・どうしても合わない。

こんな時は、本屋へ立ち見に行く。  開いた最初のページ「色々な帳簿の付け方」に 「パソコンならとっても簡単!」と書いてある。 折しも、ウィンドウズ95の発売でテレビ・広告でも パソコンの大宣伝中! 一年分の申告を無事に済ませればもとが取れる!  今までワープロもろくに使ったこともない人間が大丈夫? 大丈夫!  うちのお客さんには、NECの人もいる、マイクロソフトの人もいる、 彼氏がキャノンに勤めている西山も居るじゃないか、・・・・・・

バリュースターV10(今や売っていない・・) を購入。

一番最初の立ち上げからつまずく、ソフトのインストールでもつまずく (未だWIN95に完全対応してなかったからしかたない?) 最近やっと気がついた、ずーとメモリが16だと思っていたのが実は、 8だったんだねこれが、(よく動いていたなあ・・) どうも遅いと思っていたよ、ハングアップもよくしたし、先月24に増設して今は快適。

皆のバックアップもあって今やホームページなんか作ってる。・・・ 有り難う、お陰様です。

どうやら初めての青色申告も無事済みそうだし。 





地域情報誌に広告を出すホームページ開設

広告・宣伝の重要性

豊かな生活を目指すには、売り上げを伸ばさなければならない、値上げをして単価を上げるというのは、 あまり効果があがらない上にリスクが大きい、となれば客数を増やすしかなかろう。

営業時間の延長・月末の休業日の返上、そして何よりも立地条件・営業形態を考えると 対象と思われる客層が狭いので、商圏を拡げたり、認知度を上げたりしなければ、 客数の増加は望めない。いつまでも穴場としての存在に甘んじていてはいけない!(メジャーになるぞ!)

十数万円の大金をかけて、10周年として地域新聞にカラー・クーポン付きで掲載、 5万枚の配布。 ( あまり、教えたくない場所としてご利用中の皆様、ごめんなさい )

結果   23件のクーポンの回収有り。殆どがターゲットに設定した客層。大成功とは言い難いが 充分、広告代は回収できた、後は23件のお客さんからどのような広がりを見せるか期待!

広告に先んじて、地図・コンセプトを記載したカードサイズの割引券( 消費税額割引 )も 配布中。

無料でこれだけの情報が流せるインターネットホームページってありがたいなあ

・・・あとは


貴女が(貴方も)ご来店ご利用いただければ、これからもきっと「ゆめのいち」は、青葉台に存続し続けて行けることでしょう。





初めてのパソコンによる青色申告

実に簡単に終了、パソコンの数字を申告書に写し、税務署に行って提出してきただけ、 ただ減価償却費の計算で今までの残高との調整が生じたが、それもソフトの方で無事に修正 計上出来たようだ。このまま税務署からの問い合わせがなければ、 ( 有ったとしても、指導どうりにすれば良いことだから )来年からの申告は、今年に増して楽勝楽勝。

思えばパソコン購入からソフトのインストール、基本データーの入力、やたらつまずいて・・・感無量! これで、30万円浮いたはずなのだけれども、ま!今年はパソコン、周辺機器やら購入費がかさんで、その分は ちゃらだね。

帳簿付けはパソコンで

仕事で使い、なおかつ其れで経費が浮くのなら、何とか使いこなそうと言う気にもなるよね、 何となく使える様になれば、キーボードも打てるように成りたくなるし、ホームページとやらも作ってみたくなる、 個人企業の皆さん!ホームページを作るのなら早い方が目立って良いですよ! 

きっと、知り合いやお客さんの中に ひとりやふたり、そんなことの得意な人がいるでしょう( やっぱり何かと教えてくれる人は必要だ! ) おおもとが出来てしまえば、あとは切ったり、張ったりの繰り返しで何とかなります。 私は今、楽しいですよ、 そして宣伝にもなり、営業にもプラスになり、ゆとりある生活が待っているはず?





あちゃら・YAHOO JAPAN INTERNET GUIDE に掲載

YAHOO JAPAN INTERNET GUIDE (二月号 ジパング宝島のコーナー) あちゃら(三月号 得するページの特集) に取り上げていただく、が・・・カウンターの数値が急に増えるということは、ない。 どうやらネットサーフィンしている人は、あまりその手の本は、見ていないのではないか?

今のところ、ホームページのアクセス数は、1日に20〜30件といったところ( めぼしいサーチエンジンやリンク集に登録してある、もちろん掲載無料のサイト ) リンク案内や雑誌掲載のメールはボツボツ来ているけど女性雑誌関係は未だない、投稿でもしてみるか?

それでも最近ボツボツ、ホームページをみて、初めて御来店の方が現れ始めました、きっと 「ホームページ見ました」 と口には出さないけれど ご利用の方も数名居そうな感じです。

皆さん、本当に 「ありがとうございます!」







るるぶ横浜97-98 に掲載

URLが掲載不可という事もあり、少々内容に不満が残るものの、 一年間書店に並ぶというのは魅力的!これが他の媒体への足がかりとなればいいなぁ・・

今のところ客足に変化は見られず。











FM横浜の電波にのる

9月4日(木)6:25PM //FM横浜にて取り上げてもらい、初めて ゆめのいち 電波にのる。

ご利用のお客様の情報により電話取材という形ではあるが、ホームページにも触れてもらい、 直後に若干の反応あり、さて・・・

今年は結構メディアずいているけれど、数字に反映してくるのは何時?

「立志編・ゆめのいち前期」
「ゆめのいち後期」
「こるて前期」
「こるて後期」
「ぶたとまと編」
インスタグラム活動記録:アカウント @cortey1