遠藤周作
 
学生時代から大好きな作家・遠藤周作の作品を自分なりにまとめてみました。
ここで取り上げる作品以外の遠藤周作の作品、参考文献は、 「読書ノート」 の 参照をお願い致します。
「深い河」

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「深い河(ディープ・リバー)」
平成5年(1993)講談社発行・毎日芸術賞受賞


 「神」は存在するのかしないのか?

この問いかけこそ、現在の問であろう。

近代以降、科学の発達で人間の内面に矛盾がでてきた。

科学の発達により知識も増え、そのことが今までの精神的基盤を揺るがせる。

そして高度に発展してきた社会構造が逆に人間を疎外するようになる。

我々の心の支えはいったいどこに求めればよいのであろうか。

かつて我々の心の支えであったはずの「神」は本当に存在しているのであろうか。

遠藤周作もまた、「神」は存在するのか、という問かけをし続けた作家の一人だと思う。

  

 「深い河」のテーマは何なのであろうか。

この本をより深く理解するために、各章ごとにテーマ、内容を表にしてまとめてみた。

タイトル
テーマ
内容

磯部の場合 妻の死と「転生」 「必ず・・・生まれかわるから」という
妻の譫言から、肯定しているわけ
ではないが、「転生」ということを
考え始める。
この本のテーマの一つ「輪廻転生」
をこの章で提起している。
説明会
登場人物を一つの舞台に
立たせる
今後の物語の展開を暗示する。
美津子の場合 (一体何が欲しいのだろう、
 わたし・・・)
美津子は自分自身をテレーズと
重ね合わせ自分の心と向き合う。
昔自分が棄てた男、大津と再会し、
彼が話す「玉ねぎ=イエス=愛」
はこの本の重要なテーマとして
展開される。
沼田の場合 犬や鳥たちは哀しみの理解者
であり同伴者
犬や鳥たちは哀しみの理解者、
同伴者である。そして死と直面した
ときに身代わりになってくれた。
もし人間が本心で語るのが神とする
ならば、沼田にとっては犬や鳥が
それであった。
木口の場合 罪を犯した者をも神は愛で
包み込む
善と悪は背中合わせであり、神は
罪を犯したものをも愛で包み込む。
愛することしかできないガストンは
イエスそのものである。
河のほとりの町
汎神論的な基督教 それぞれの思いを胸に印度の旅へ。
大津からの手紙の中に、日本の
風土における基督教、というものを
考える上での重要な問題が提起
されている。
女神 印度の母なるチャームンダー
印度人と共に苦しむチャームーダー
像。
生きるものすべてを包み込むガンジ
ス河はまぎれもなく母なるものであ
る。
失いしものを
求めて
転生した妻を捜す磯部と
大津を捜す美津子
転生した妻を捜すことにより人生の
敗北感にも似た悲しみを味わった
磯部。
美津子の大津への考え方が変化を
始める。(馬鹿ではないように見え
てくる。)
それぞれの人物が印度まで来た
目的
それぞれの登場人物が、印度まで
来なければならなかった心の問題
を追求し始める。
10 大津の場合 すべてのものを包み込む
ガンジス河と同様、イエスという
愛の河はどんな醜い人間も
どんなよごれた人間もすべて
拒まず受け入れて流れる
大津の基督教観があきらかになり、
美津子はイエスが大津を完全に
彼女から奪い返したことを悟る。
また磯部はガンジス河を前にして、
自分が今まで送ってきた人生を顧
みる。
11 まことに彼は
我々の病を負い
(あなたは、背に人々の哀しみを
 背負い、死の丘までのぼった。
 その真似を今やっています。)
大津は少しでもイエスに近づこうと
している。そのことが大津の最後を
暗示しているようだ。
12 転生 ガンジス河は転生の河であり、
すべての人のための深い河
善と悪は背中合わせであり、悪の
中でさえも神の愛は見いだせる。
13 彼は醜く威厳も
なく
イエスの転生 美津子は、「玉ねぎ=イエス」が他
の人間の中に転生したことを大津
や修道女の行為の中に確信する。
  

 それでは「深い河」のテーマはいったい何なのか。

それは読者一人一人、それぞれの受け止め方によって違うであろう。

日本の風土にあった基督教は汎神論的な基督教ではないか。

「神」はすべてのものを包み込む大きな命であり、

「転生」とは死んでも他の人間の中に生き続けることである。

(イエスの転生、それが復活なのであろうか。)

私はこれが「深い河」のテーマではないかと思っている。

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