自閉スペクトラム症は、1933年のサリヴァンの報告や、1943年のカナーの報告が端緒となって、乳児期・幼児期早期から対人関係の発達の遅れや拘りが目立つ一群の障害として認識されるようになりました。当初は症状が極めて明らかな例のみが診断されていたために、半世紀前には1000人に数人あるいはそれ以下の有病率と言われていましたが、現在では子どもたちの約1〜2%がASDと診断されます。1990年ころまでにウィングによって、スペクトラムの概念が提出され、小児自閉症などいくつかに分類されていた近縁の病態が統一的に理解されるようになりました。それまで小児自閉症と診断されていた症状が顕著な例から非定型自閉症などと診断されていた症状が部分的な例までが、連続したスペクトラムとして自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder: ASD)ととらえられるようになりました。富士山に例えれば、その頂上から裾野のようなもので、それまでは8合目以上を小児自閉症と言っていたものが、5合目以上をASDと言うようになったわけです。
1. ウィングの三つ組み
ASDの症状をウィングが三つ組みとしてまとめました。大変分かりやすいのでまずこれを説明します。(1)対人関係の質的な障害、(2)言語的コミュニケーションの障害、(3)限定的な狭い範囲の興味・関心の3つがASDを特徴づける症状とされました。
(1) 対人関係の質的な障害
対人場面での振舞の異常について、単に付き合いが悪いとか、引き籠っているというようなことではなく、乳児期から視線が合わなかったり、幼児期に役割遊びがみられなかったり、感情的な反応が極めて少なかったり不適切だったりという、対人関係における発達が明らかに遅れていることが特徴とされます。非言語的コミュニケーションの障害という概念に近いものです。
(2) 言語的コミュニケーションの障害
話ことばがなかったり、その発達がとても遅れていたり、常同言語と呼ばれるような特徴的な発語形態があったりするものです。常同言語としては、質問への応答として質問をそのまま繰り返したり(即時性エコラリア)、テレビコマーシャルなどの決まったフレーズを繰り返したり(遅延性エコラリア)することが含まれます。また、緊張すると「コーヒーちょうだい」といった決まり文句を繰り返すことなども含まれます。
(3) 限定的で狭い範囲の興味・関心
一つか二つの限定した範囲の活動に長時間を費やすことが特徴です。幼少期には、多くの時間を昆虫と関連したことに費やすとか、電車に強い関心があって路線を暗記しているとか、特定の動画や音楽を連日何度も再生して視聴しているなどがしばしばみられる特徴です。
ウィングが提唱したASDの三つ組みは分かりやすく特徴をまとめていて、診断にも使いやすかったために、DSM-IVの診断基準にも採用されています。これらの特徴が幼児期早期から一貫してみられるものがASDとされるようになりました。ただし、以前は広汎性発達障害(Pervasive Developmental Disorder: PDD)と言われていました。ウィングが自閉スペクトラムの概念をまとめたことで、対人関係にもコミュニケーションにも強い障害があり拘りも強いカナーが小児自閉症として報告したような例から、正常知能ながら対人関係の質的な異常と拘りが明らかな高機能自閉症と呼ばれるような例までが一括してASD(当時はPDD)と呼ばれるようになりました。医療、教育の現場でASDの概念の認知度が高まったことで、上述のように以前は1000人に数人かそれ以下とされていた有病率は現在では1%以上といわれるようになりました。このことによって、以前はASDと診断されなかった例が適切に診断され、対人関係や次項に述べる知覚過敏などに適切に対応されるようになりました。また上述のように、ASDと正常の間はスペクトラムと呼ばれるように連続的なものですから、正常との境界線にいわゆるグレーゾーンと呼ばれる、病名をつけるほどではないがいくらかその特徴をもつ人々が居て、その割合は人口の1割近いともいわれます。
2. 2因子モデルと知覚過敏
上述のように3つ組の概念によってASDが分かりやすく理解されるようになりましたが、疾患概念としては、より少ない基本症状で理解しようというのが常です。このために、近年では、(1)対人関係の障害に言語的コミュニケーションの遅れも取り入れて、これと(2)限定的で狭い興味・関心との2因子をASDの診断基準としています。DSM-5ではこの考え方が採用されて、言語、非言語的な対人相互作用と、拘りなどの2領域の障害を診断基準としています。これらのうちで、拘りなどのなかに知覚過敏が診断基準に入れられています。これは全てのASDの子どもにみられるわけではありませんが、音に過敏すぎて掃除機の音や車の音や風の音を怖がってしまうとか、においに過敏で建材の臭いや特定の食材の臭いに堪えられないといったASDの子どもは多く、日常生活にも強い影響があるために、DSM-5では知覚過敏が診断基準に入れられるようになりました。
3. ASDの基本障害とは何なのだろうか?
この項で述べることは筆者の臨床経験の基づくもので、一般の成書には書いてないことなので、参考程度に読んでください。
我々がその場にあった行動をとることができるのは、さまざまな状況に対する適切な行動を学習しているからです。柔軟に好ましい行動をとるためには、状況を詳細に認識して、それに対応する行動を組み立てる必要があります。例えば挨拶について考えてみましょう。ほとんとの人は他者と出会って挨拶するときに、その相手が後輩であるのか上司であるかによって、挨拶の言葉や会釈の深さなどを微妙に変えています。ASDの人はここで相手によって態度を適切に使い分けることができないことがありますが、それは状況の違いを細かく認識するのが苦手で、相手に応じた態度の使い分けを学習することが難しいからのようです。もう一つ例をあげましょう。ASDの人は片付けが苦手なことが多く、大切なものを失くしたり、机に積み重ねた本などが崩れてしまって事務室の隣の同僚の机に被害を与えたりすることがあります。片付けができないことも広い意味での学習の困難と捉えることができます。ASDの人は親が片付けなさい!と言っても、片付け方が杜撰で叱られることがあります。親が一生懸命片付け方を教えても、いちいち片づけを指示しないと自発的には片付けてくれないことが多いようです。そもそも散らかった部屋に居ても不快と感じてないことがあります。そのために折角片付け方が上手になっても、「片付けなければならない」というスイッチが入りませんから結局はいちいち指示しないと片づけをスタートできないことが多いのです。以上の例は、適切な状況認識の苦手さやその場や目的に合った系統だった行動を組み立てることの苦手さによるものと考えられます。対人関係における言語的、非言語的なコミュニケーションは正に状況を正しく詳細に認識して、その状況に合った過去に獲得した行動を引き出す能力によりますから、ASDにおけるこれらの行動の苦手さは、多様な場に合った行動が獲得されていないことによると理解することが可能です。より細かく見ると顔を合わせた相手が自分とどのような関係なのかを瞬時に判断したり、部屋に入った途端に片付けスイッチを入れるかどうかを判断したりすることが苦手であるようです。そして、これらの判断ができたとしても、上司に対する適切は態度を組み立てるとか、散らかった部屋の片付けの手順を組み立てるなどのことが苦手なので、上述のような場面での柔軟な対応に困難を感じます。また、様々な活動に喜びを感じるまでに習熟することも困難を伴いますので、やっと獲得した電車の路線を辿ったり、変わった昆虫の図鑑を見て楽しんだりするような行動に長時間を費やすようになります。このように2因子モデルを更に統合してASDの基本障害を、周囲の状況を認識して場に合った行動を柔軟に組み立てる能力の困難と捉えることができそうです。場に合った言動ができないことの例を
2つほど追加して述べてみます。1つ目は「電線をカラスと憶えていた3歳のASD女児」です。電線にカラスが止まっていることがしばしば見られますが、その子の親はそれを指さしてカラスだよ!と教えていました。そしたらある時その子が、カラスの止まっていない電線を指さして、あっカラスだ!と笑顔で叫んだそうです。これなどは、ASDの子が対象を認識するときにそうでない人とは異なる部分に着目する傾向をよく示しています。多くの人は何かを指さされた時に、動きのあるものに着目します。それはおそらく、動物の視覚というものは、静止画よりも動く対象に着目するようにできているためです。ところがASDの子はそうではないために、カラスではなく電線に着目して、それが「カラス」という言葉と結びついてしまったわけです。このように、対象の認識が非ASDの人と違っていますから、場に合った適切な行動がなかなか獲得できないわけです。もう一例は、「トナカイさんを高橋さんだと思っていたASDの2歳女児」を紹介しましょう。その子はなかなか寝付かず、就寝前のドライブがルチンになっていました。雪国だったので、冬になると近所にも雪が積もり、あちこちの家にLEDのイルミネーションが飾られていました。ある家の前にとてもかわいいトナカイのイルミネーションがあったので、通りかかるたびに、父親は指さして、「トナカイさん!」と教えていました。ある日、その子をドライブに連れていくと、トナカイの家の前で、「あっ、高橋さんだ〜!」と叫んだのでした。父親はびっくりして、なんでこの家が高橋さんだと知っているのだろう?と訝しがりました。しかし、表札を見ると高橋さんではありません。ますますハテナ?です。そして、はっと思いつきました、ローマ字で書くと、トナカイ→TONAKAI、高橋→TAKAHASIです。子音を合わせると半分の音声が一致しています!場所がずれている「K」をカウントすると半分以上が一致しているのです。というわけで、聴覚認知の良くないASDの子に良くあるエピソードをご紹介しました。このようなわけですから、ASDの子どもとの言語コミュニケーションは想定外のところですれ違ってしまいます。以上のように、ASDの子どもは、与えられた場を適切に理解して、適切な対処行動を組み立てる能力に困難があるようです。そのために、取り分け微妙な理解が必要となる対人場面での適切な行動が取り難いということが対人関係の困難につながります。そしてそれは多くの場合、言語面でも非言語面でも現れます。また、やっと獲得した特定の場に対応するスキルに拘るので、興味や関心も狭くなりますし、習慣への拘りが強くなります。
4. ASDを理解することの重要性
ASDを正しく理解することで、まず、障害の基本症状に近く、短期間には改善が不可能である、対人関係の発達の遅れや知覚過敏に基づく問題に対して、「発達を待つ」観点でより余裕をもって対応する可能性が生じてきます。例えば、まだ他者の気持ちを想定することができない、概ね発達年齢が10歳未満のASDの子どもに対して、「相手の気持ちにもなってごらん!」というような有害無益な指導をするのではなく、「お友達と話すときにはこのくらいの距離ではなす決まりだよ」とか「人を叩いてはいけない決まりだよ」と穏やかに指導することが適切であることがわかります。また、ASDの子どもに対して、その過敏性に基づく偏食などを軽減するつもりで、少量の食材を食べさせると、あたかも食物アレルギーで感作されている食材を不用意に食べてしまった時のように、以前よりも反応が増強されてしまうことがあります。例を2つ挙げてみます。最初は当時3歳ASD女児です。ある時この子が急に夜寝付けなくなりました。ウトウトしても大声を上げて覚醒することを繰り返し、遂に1か月に渡って夜ほとんどまとまった睡眠をとることができませんでした。当時原因は分かりませんでしたが、折しもその時にその保育園で苛めの噂があったため、昼間の苛めが夜間不眠につながっているのではないかと疑った両親はこの子を転園させました。途端に酷い不眠は解消しました。当時この子は自分の気持ちや何時間も前の昼間の出来事を言語化することがほとんどできなかったので、両親が本当の原因を知ることになったのはずいぶん後のことです。両親はすっかり忘れていたのですが、この出来事から数年たったある日、車に乗っていたこの子は急に寝付けなかった時のことを思い出して、げらげら笑いながら次のようなことを語りだしました。「〇〇ちゃんね、▲▲保育園のときに寝なかったことがあったよね!」「ニンジンをさあ、一口だけと言われて口に入れられたの!」「そしたらさあ、夜に頭がニンジンで一杯になって、口の中もニンジンの臭いで一杯になって、寝付けなくなったよ!」ニンジンを避けていたこの子は10歳代後半になって、いつの間にかニンジンを食べられるようになり、今では大好きになったそうです。次の例は更に深刻です。当時10歳代男性です。もともと偏食がありましたが、支援学級の先生が、嫌いな食材に対して「一口だけ食べようね!」というような偏食指導を始めたそうです。
すると、1か月ほどの間に、ほとんど何も食べられなくなってしまったのです。来院時には、なんと水も飲むことができなくなっていました。その1か月に起きたことを詳しく聞いてみると、給食に出されたカレーに入っていた玉ねぎを食べることができずに、脇に除けておいたものを、先生が、「一口だけ」と口に入れたら、その不快感が目の前のカレーと結びついてしまい、カレー全体を食べることができなくなった、というようなことを繰り返すうちに遂には何も食べることができなくなったという経緯のようでした。カレーにしてみたら、玉ねぎの巻き添えを食ったようなものです。飲食拒否の経緯は理解できたのですが、水も飲まないのでは死んでしまいます。末梢静脈で点滴しようとしても、拒否が強くできませんでした。仕方なく、入院の上、麻酔下で大静脈にカテーテルを留置して、見守れる時間にだけ輸液を接続して水分と栄養を補給して命をつないでもらうことにしました。ところが数週間のうちに、数時間補液をつないでいることにも抵抗を示して、経中心静脈的な栄養補給を安全に続行することができなくなってしまいました。そこで仕方なく、麻酔下で胃瘻を造設して栄養、水分を確保することとしました。普段は本人が気にしないように腹壁にでているのは小さなボタン上のデバイスのみになるようにして、できるだけ短時間の栄養チューブの接続で栄養、水分を確保するように工夫しました。回復の転帰は茹だるような暑い日の午後に訪れました。母親と散歩している時に、「アイスクリームが食べたい!」と言って、丸まる一個一気に食べたのです!!!その日からいろいろな物が食べられるようになり、感動の昼下がりから約1か月で全量を経口摂取できるようになったため、胃瘻も閉鎖して半年ぶりに退院することができました。非ASDの子どもには上手くいく偏食指導がASDの子どもに対しては致命的な結果をもたらすことがあるのです。このようなことを回避するために、ASD(傾向)の正しい診断、評価は重要です。
5. ASDのポジティブな側面
なんかASDのたいへんな面ばかり書いてしまいましたが、ASDだから良かったとか、ASDじゃないとできなかったよね、ということはたくさんありますので、ASDのポジティブな側面を書いてみます。ASDの人は、周囲の人と同じものを観ても、同じ状況に出くわしても、他の人と違った見方をしたり、違ったことを思いついたりすることが多いです。これは正にASDの本質に近いものであって、前述のように「こんな状況はこんな風に捉えてこんな風に対処する」という連なりが他の人と違った、その人独自の連なりになっているからです。このような側面は音楽や絵画に生かされます。誰でも思いつくようなメロディーや絵はびっくりするような感動を呼び起こすことは難しいのです。これらの芸術のなかになにか他人が思いつかないその人独自のものが入っていることではっとするような感動が呼び起こされるのです。患者の中にもデザインなどのアーティスティックな職業で評価を受けている人がいます。なにもアートでなくとも、お掃除などでも他の人ができない完ぺきな仕上がりで評価を受けているASDの方がいますし、誰も思いつかないような隠し味で大当たりしたラーメン屋さんも居ます。お掃除の例などは、ASDの同一性保持や他人が気づかない細かいところに拘る傾向が生かされているようです。科学研究の分野においても、ASD傾向のために他人と違うアプローチをして大成功を収める研究者は時々みます。このように、ASDの人は、他人のようには物事を捉えることができないとか、他人のように無難に振舞うことができないといった特徴そのものが、彼らのオリジナリティや他人にはできない芸術的なまでに丁寧な仕事や科学の分野のイノベーションに反映されているわけです。だから、ASDの思春期の子どもが、このように、他人のように無難に振舞えない、他人が気づくことに気づくことができないと悩み始めたら、是非、「それが正にASDであるその子の価値」であり、「それが将来おいしいラーメンでたくさんの人を幸せにしたり、大発明で世界を救ったりするかもしれない」ことを教えてあげて下さい。
6. ASDの人などにみられる知覚過敏について
ここ数年、聴覚や視覚や嗅覚に非常に過敏な子どもや大人をHSC(Hypersensitive Children)、HSP(Hypersensitive Person)といって紹介されることがあります。以前はこれらの人々はもともとASDであるとか、偏頭痛をもっている人のなかに多いと考えられていました。しかし、最近これらの人々の存在が社会的に広く知られるようになったことで、自らHSPであるということで受診される方の半数位はASDや偏頭痛を伴っていないことを経験することになりました。しかし、ASDの人の半数以上が子供のころはHSCと言われるような知覚過敏を持っていますし、大人になっても一部はHSPと言われるような知覚過敏を持ち続けています。これらは、発達とともに軽減することが多いのですが、ストレスが多かったり、心身の具合が悪かったりする時に再燃することがあります。そして、これらを確実に軽減する方法は未だに知られていません。したがって、聴覚過敏に関しては、イヤホンやヘッドホンで軽減することが良いと思いますし、視覚の過敏性に関してはサングラスなどで軽減することが良いと思います。重要なことは、これらの特徴が同じ重症度で何年も続くことはむしろ少ないので、一番つらい時に上述のような方法で負担を軽減したり、周囲に配慮を求めたりして乗り切ることが良いようです。また、抗精神病薬などで過敏性を軽減する試みは上手くいかないことも多いですし、また、副作用も無視できませんのであまり勧められません。
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