サ ロ ベ ツ 原 野 を 往 く


ヴィッツを借りて稚内空港から出発

JR発足から30年の今年。JR北海道がかなりヤバイことになっているらしい。北海道の背骨といえる石北線や宗谷北線も、JR北海道自身での維持が困難だとして、国や地元自治体との協議を求めた。いわゆる花咲線も含めて、ロシアとの国境に位置する線路なので、国もむざむざと廃線にはしないだろうが、特急列車が現在のようにいつまでも走っているとは限らない。というわけで札幌と稚内をダイレクトに結ぶ、1日1往復の特急「宗谷」に乗るために、今回の旅を計画した次第である。

羽田を10時30分に発つ全日空機に乗ると、2時間も経たないうちに北の果ての稚内空港に到着するのだから、さすがに飛行機は速い。空港近くの営業所でヴィッツを借り出し、まずは作戦会議と昼食を兼ねてマクドナルドへ寄った。ここには「日本最北端店舗 40号稚内店」と書かれたモニュメントが建っており、流行りのインスタ映えする被写体だった。ともあれ今後の予定としては、ノシャップ岬と抜海駅には必ず寄って、その後は幌延を目指して行けるところまで行こうと決めた。

そのまま国道40号線を走り稚内駅方面へ。駅を通り過ぎ、住宅地を抜けること数分で、日本のどん詰まりであるノシャップ岬に到着した。市街地とそれほど離れていないので「北の果て」という感じがしないが、背後には自衛隊のレーダーサイトがあり、ここはまぎれもない国境であると感じた。


SNS映えする日本最北端のマック


最北端ではないが“どん詰まり”ノシャップ岬


風雪にさらされた抜海駅は丘の上ではなかった

岬を出て道道254号を日本海に沿って南下する。10キロほど行くと道道106号に合流する。オロロンラインの始まりである。この後、オロロンラインは国道232号〜国道231号〜国道337号〜国道5号とつながり、日本海沿いに留萌、増毛、石狩、小樽へと続いている。2015年6月に雄冬に行った帰り、雄冬から札幌までオロロンラインをドライブしているが、一度は小樽から稚内まで通しで走りたい道路である。

海岸沿いをしばらく南下し、抜海駅の青看板を左折。一度下車してみたいと思っていたが、ダイヤの都合で下車すると大変なことになる抜海駅に到着した。2009年12月に宗谷北線を北上したが、その旅で印象深いのが「抜海の丘を越えて稚内の町の灯りを見下ろした」ことである。しかし抜海駅に来てみると、海岸からあまり登ることなく駅があり、印象と違っていた。抜海駅を出発した稚内行き列車は、標高をかせいで丘を越え、南稚内へと下って行くというからくりで、抜海駅は丘の上にはないのだ。記憶は自分の都合のいいように書き換えられると、以前から何度も書いているが、ここにも捻じ曲げられた記憶が転がっていた。

抜海駅を後にして再び南下。右手に見える日本海の先には、雲の合間に利尻富士が見え隠れしていた。雲が晴れれば撮影をしようと思っていたが、まったくそんな素振りがないので、「こうほねの家」という無料休憩所にクルマを停め、2階(屋上)の展望台に上った。雲の間からなので「見ようによっては富士山に見える」という状態だったが、抜海と利尻富士は切っても切れない関係なので、アリバイ作りのため撮影した感じではある。

次の目的地は幌延。中学を卒業後の春休みに、趣味の鉄道を通じて仲が良かったN君が北海道に行くというので、一緒に途中の東京まで行くことにした。彼は上野を午後に出発する特急みちのく号で旅立っていったが、その翌日だったか翌々日だったかに幌延に泊まることになっていた。幌延まで行ったのだから当然稚内まで行っているのだろうが、私にとっては稚内よりも幌延という地名の響きが記憶に残った。それから35年。幌延も当時とは全く変わってしまっているんだろうな。

ところで今日の大本命である特急宗谷号の稚内発車は17時46分。まだ2時間以上あるとはいえ、稚内では買い出し、給油、レンタカーの返却があり、17時ころには市街地に戻りたいところである。幌延〜稚内間は国道40号線経由で53キロ、約1時間といったところ。すると幌延に行くのは、時間的にちょっとリスキーな感じがしてきた。幌延で特に何をするわけでもないので、そろそろオロロンラインを捨てて、国道40号線で戻るのがよかろうという気になった。おあつらあえ向きに「左折 サロベツ湿原」という青看板があったので、そこで曲がってみた。

道道444号線を東に向かうこと10分ほど。荒涼たるサロベツ原野の真ん中にサロベツ湿原センターを見つけた。入館無料のビジターセンターっぽい建物を通り抜け、尾瀬ヶ原のような木道を歩いていくと、展望所が2か所あった。そのうちの1つで湿原を撮りまくったが、どれも同じような原野の写真になってしまった。紫色の可憐な花を咲かせていたサワギキョウも、広大な原野の中では目立たない。帰ってから「もう少しアップで撮っておけばよかった」と後悔することしきりだった。


「こうほねの家」の展望台から見た利尻富士


道道106号線「オロロンライン」を南下中


原野のど真ん中「サロベツ湿原センター」


尾瀬を思わせる木道と湿原の取り合わせ

通常なら一周40分ほどかかる原生花園の外周木道を、わずか10分で駆け抜けてクルマに戻った。この時点で16時少し前で、多少旅程に余裕ができた。そのまま道道444号線を東進し、豊富駅の北側で国道40号線に合流した。

国道40号線を少し北上すると、カーナビの画面上に「宮の台展望台」という気になる表示が出てきた。旅程に余裕ができたので寄ってみることにした。徳満駅から東へ1キロほどの高台にある展望台だが、列車で来たらまず来ないであろう場所である。展望台の建物の3階部分はガラス張りとなっており、そこからは広大なサロベツ原野が見渡せ、地球が丸く見えた。もっとも本来なら原野の向こうに利尻富士が見えるらしいので、もしそうであったなら息を飲む絶景だったろう。いずれにせよ稚内からは、さほど遠くないので、クルマで行くならお奨めの場所である。


知る人ぞ知る宮の台展望台


ラムサール条約湿地に登録されている


拡大すれば紫色のサワギキョウが見える?


晴れならサロベツ原野の上に利尻富士が


2011年4月駅舎建て替え〜まるで別の駅

宮の台展望台からは、結局稚内を往復することになるが、往路となる国道40号線北上ルートは、日本の果てに向かって走る感が満載だった。それは国道4号線の十和田市あたりとか、中国自動車道の美祢の先とかのような感じで、本当のどん詰まりの町(稚内、青森、下関)よりもテンションが上がる感じである。きっと30年前の8月31日、国道4号線をバイクで北上していた自分にもそんな高揚感があったのかもしれない。だから記憶が書き換えられたのかもしれない(詳細はこちら)。

さて無事に稚内に戻り、昔の面影が微塵も残っていない稚内駅から特急宗谷号の自由席に乗車した。稚内から豊富までは今さっき来た道を、ほぼほぼ戻るルートである。抜海駅もサロベツ原野も、クルマから見るのと特急列車から見るのでは感じが違う。私はどちらかというと列車から見る風景の方が好みだが、これは列車に乗ると同時に飲み始めたウィスキーの水割りの作用かもしれない。

まだ8月とはいえ日本の北端の太陽らしく、日没のころにはすっかり光が弱まっていた。どこまでも地平線が続くサロベツ原野に、その太陽は静かに沈んでいった。あたりがすっかり暗くなり、車窓に自分の顔が映るころになってもまだ19時前。終点札幌までの道程は、4時間という気の遠くなるような長さである。

5時間先の札幌に向け発車を待つ特急宗谷


サロベツ原野に晩夏の太陽が沈んでいく

<終>

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