抜 海 の 丘 を 越 え て


さいはての旅立ちはスーパーカムイ

恋に破れた。もう一度、稚内に行こうと思った。宗谷本線を鈍行で北上しようと思った。雪の天塩川を見たかった。夕暮れ時に抜海の丘を越えようと思った。

札幌は季節はずれの雨が降っていた。9時30分発旭川行き特急スーパーカムイ9号。岩見沢、美唄、砂川、滝川、深川、そして終点旭川。川のつく駅が多い。最初の川のつく駅、砂川で車窓は白くなった。イアホンからはクリスマスソングが流れていた。カーペンターズの「ウィンター・ワンダーランド」メドレーが心にしみた。

10時50分旭川到着。表定速度は100`以上。速くて快適だった。だが、いい思いはここまで。4番ホームに停まっていた快速なよろ号はキハ40の単行。狭いボックス席の一角に身を縮めた。


札幌は雨だったが旭川到着には雪に変わった


快速なよろ1号はキハ40の単行で混んだ〜

旭川から名寄までは難行苦行の旅。昭和時代のボックス席にぎっしり4人。座ったら最後、身体を動かすことは不可能だった。スーパーカムイと同じ1時間20分の行程なのに、2倍にも3倍にも感じた。名寄で吸った外の空気が旨かった。


名寄からは通称宗谷北線を行く


この日最も雪深かった音威子府で長時間停車


宗谷本線の原風景である天塩川とともに北上

名寄から北は鈍行列車の旅。先ほどの快速列車と同じ気動車の単行。でも状況は雲泥の差だった。お古とはいえ新幹線のシート。ちゃんとリクライニングもした。集団見合い式シート配列の真ん中のボックスに腰を下ろした。ここには大きなテーブルがあった。雪を見ながら一杯やるにはおあつらえ向きだった。

名寄での乗り継ぎ客は、ほんの僅かだった。10数名を乗せて稚内行き鈍行列車が出発。通称宗谷北線を行く。短いホームしかない単線の駅に着くたびに1人また1人と客を降ろしていった。乗り込んでくる客はもういない。静かな時が車内を流れた…


雄信内駅を雪煙を上げて特急サロベツが通過


少年の頃あこがれを抱いた幌延で35分停車


車内のパンフレットボックス


水割りと乾き物を前にご満悦の筆者


さいはての森の中を一直線に北上する


たそがれの抜海越えに挑む


坂を下り灯火が見えると南稚内


ベタですがやっぱり撮りました

音威子府で14分の停車。名高い駅蕎麦をすするチャンスだったが、煙草の誘惑に負け断念。気動車の後ろに回ってみたら、走行中巻き上げた雪で真っ白になっていた(こちらの画像を参照)


すっかり日が暮れた南稚内。旅もあと一駅


稚内全日空ホテル11階客室からの夜景


雪雲が途切れ一瞬稚内港に朝日が差した


上の夜景と同じアングル。フェリーが着岸する


11時のチェックアウトまでのんびり海を眺める


客室からの北防波堤ドームの眺め


戦前は樺太への連絡船が往来


C5549の車輪と稚内全日空ホテル

宗谷北線は天塩川とともに南下する。特に音威子府からは両側に山が迫り、線路と川が近くなる。凍てついた川面が、私の宗谷本線の原風景。1992年のちょうど今頃、青春18きっぷを片手に日本最南端の西大山から稚内まで鈍行を乗り継いだ。西大山を出て5日目の午後、ようやく最後の路線である宗谷本線にたどり着いた。初めて乗る宗谷本線の車窓はどれも新鮮だったが、とりわけ雪の天塩川の風景が印象に残った。水墨画の世界に迷い込んでしまったかのようだった。いつまでも車窓を離れない天塩川の流れを、私はずっと見つめていた。

天塩川が離れていくと、やがて幌延に到着。幌延には少年の頃の切ない思い出があった。中学時代に鉄道好きな中野君という友人と出会ったが、中学の卒業旅行で北海道に誘われた。厳しい私の父親は友人同士の遠出を認めず、結局中野君だけが北海道に渡った。彼が最北の地へのアプローチとして泊まったのが幌延だった。今でも幌延という地名を聞くたびに、その時の羨ましい思いが湧き出てくるのだった。

35分という長い休息を終え、キハ54は抜海越えに挑んだ。この時期、宗谷地方は15時台に日が暮れる。薄暗い上り坂をゆっくりと走った。BGMにはクルセイダーズの「明日への道標」。ジョー・コッカーのしわがれ声が心に響いた。

抜海の丘のてっぺんでは利尻富士が見えるはずだが、雪雲に包まれて果たせなかった。曲はモーリス・ホワイトの「アイ・ニード・ユー」からデレク&ドミノスの「いとしのレイラ」に移り変わった。抜海の丘から坂を下る途中に稚内の灯がちらりと見えた。「いとしのレイラ」のコードバッキング・ピアノが見事にシンクロした。

稚内到着は15分遅れの17時14分。名寄からの183.2`を4時間34分もかかった。表定速度は40`。4時間以上の間、ちびちびだったが、ずっと水割りを飲んでいたので、かなり酔っ払っていた。でもその分時の過ぎるのは早かった。

稚内は12月とは思えない暖かさだった。コートも着ずに稚内全日空ホテルまで歩いたが、寒さを感じなかった。11階の部屋をあてがわれたので、稚内の夜景を見ながら、ひとりぼっちの宴会の続きをやった。夜半過ぎに雪に変わった。


総延長424b。悠然と連なる北防波堤ドーム


古代ローマの柱廊を思わせるドーム内部


短歌の道から見下ろすドームは巨大列車のよう


ドームの外側はオホーツク海の荒波が洗う


北門神社の境内。参道は熱線入りか?


稚内公園からの眺望。昇り降りに苦労した


辺境の地に悲しみを誘う慰霊碑。沖縄を連想


タロ・ジロもここで訓練を受けたという記念碑


稚内で最も有名なスポットのひとつ『氷雪の門』

翌朝は、11時のチェックアウトまで自室でのんびりしていた。窓の外には利礼を結ぶフェリーが行き交っていた。濃い目のコーヒーを飲みながら、何をするともなくぼーっとする。こういうのが至福の時というのかもしれない。

ホテルを出た後は、稚内のミニ観光。ローマ時代にタイムスリップしたかのような荘厳な北防波堤ドーム。ドームの中ほど南側にあるC55の動輪のところまで、線路がつながっていたとか。ここ稚内と樺太の大泊を結んでいた稚泊連絡船の時代のことだが…

ひとしきりドームでたたずんだ後、北門神社を経由して稚内公園へ。短歌の道と呼ばれる遊歩道を登った。雪の無い時には快適な散歩道だったろうが、この積雪の中、ビジネスシューズで登るには、ちょっと骨がありすぎた。息を切らせて登りつめた稚内公園では、キタキツネの出迎えを受けた(右上の画像)。

氷雪の門、九人の乙女の像。先の戦争で犠牲になった人々の慰霊碑である。沖縄の摩文仁の丘もそうだが、辺境の地の慰霊碑は一層の悲しみを誘う。
<おしまい>

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