夜 汽 車 に 乗 り た い


2011年就航の「いしかり」で40時間の船旅

26年間勤めた会社を退職し、次の会社に勤めるまでのつかの間のモラトリアム。ためにためまくったストレスを解消するために旅に出た。とにかくゆっくりしたいと思い、過去にもたびたび登場している太平洋フェリーを早割で予約した。太平洋フェリーの就航船の中で最も新しい「いしかり」は、6月14日の19時に名古屋港を出航した。目的地の苫小牧には翌々日の11時に到着するので、所要時間は40時間。特等ツインの部屋をひとり占めにして、お代は15,400円。トイレもシャワーも付いているので、食料や飲み物さえ確保しておけば、一歩もドアを出ることなく北海道に運ばれる。

しばらく夕暮れの名古屋港内を進み、伊勢湾に出るころにはとっぷりと日が暮れた。ひとしきり部屋呑みをすると、早くもやることがなくなりベッドに横になった。21時ころには夢の中。あっという間に旅の初日が終了した。何度か目覚めたが、窓の外が白み始めたのをしおに起き出した。まだ朝の4時を回ったばかり。太平洋フェリーに初めて乗ったころは、沖合に出るとテレビがBSしか映らなくなったが、デジタル化後はずーっと地上波を見られる。テレビをつけてしばしザッピングをしていたが、ショッピング番組か情報番組しかやっておらず、すぐに飽きた。部屋を出て船内の散策をしてみた。そこで船内でもインターネットにつながることを知ったが、ネット環境下で登録が必要とのこと。携帯をいじくり倒して登録を試みたが(今では洋上でもかなり携帯がつながるのだ!)、結局うまくいかず諦めた。ネットさえつながればヒマを持て余すようなこともなくなるが、それでは「心の洗濯」を目的に乗船した意味が薄れるので、この状況を受け入れることにした。7時15分からBSで再放送中の「あまちゃん」を見て、その後は二度寝、三度寝を繰り返した。

船旅では食事が唯一の楽しみみたいなところがあり、昼食は船内のレストランで摂ることにした。千円で食べ放題のバイキング。大した品数はなかったが、カレーやうどんなど、がっつりと2食分くらい食べた。で、食後は昼寝。よくこれだけ寝られるもんだと、自分でも感心してしまった。


特等ツインルームのカードキー

目覚めると14時を少し回ったところ。梅雨時なのに晴れ渡っており、デッキで潮風に当たることにした。おそらく船は相馬沖を航行中。震災の前は原発がはっきり見えるところを航行したが、件の事故以来、ルートを沖の方に変えたらしく陸地は見えなかった。というわけで360度見渡す限りの海。船尾のデッキから後方を見ると、一直線に伸びる航跡が遥か彼方まで続いていた。これぞ船旅の醍醐味である。さて、もうひとつのイベントが14時台にある。それは苫小牧を同じ時刻に出航した僚船の「きそ」との洋上のすれ違いである。2年前に苫小牧→名古屋に乗船した時には、デッキからその模様を眺めたが、今回は部屋から見ようと思い、急いで戻った。予想よりも近くですれ違い、予想以上にスピードが速かった(相対速度は75`!)ので2回しかシャッターを押せなかった。それが右の画像である。というわけで僚船とのすれ違いは、旅のちょうど中間点。居眠りが多かったこともあり、あっという間に半分が過ぎてしまった感じである。

当初の予定では、仙台で一時下船をするつもりはなかったが、船内でのネット環境を整えるために下船することにした。フェリーターミナルに到着直前、すぐ近くにイオンが見えた。下船後そのイオンまで歩いたが、すぐ近くにあるようで結構遠く、埠頭から1`ちょっとある感じ。フードコートでネットにつなぎ、無事に登録終了。これで苫小牧までは無為な時間を過ごさずに済む。

船に戻りネットにつないでみると、部屋では電波が弱く途切れ途切れだった。結局ネットはスタンドバー前のプロムナードまで行って閲覧するハメになった。まぁ喫煙所も近いので、それはそれで好都合なのだが。ひとしきりPCを操作した後は、部屋に戻ってテレビタイム。月曜夜は割と普段見ている番組が多く、うまいこと時間をつぶせた。で22時からラウンジで「超高速!参勤交代」放映されるとのことで楽しみにしていたが、そこまでに部屋呑みで酔っぱらってしまった。結局眠気には勝てず22時前に眠ってしまった。

3日目の朝も3時台に目覚めた。昨晩はそこかしこで宴会が開かれていたプロムナードも、いるのは船内警備のガードマンさんだけだった。5時半ころまでネットチェックをしながら過ごし、乗客が多くなってきたところで部屋に退散。昨日仙台で買い出しをしたカップラーメンとパンを食べ、昨日同様二度寝。それでも「あまちゃん」だけは見た。部屋でゴロゴロしているうちに苫小牧が近づき、10時を過ぎると気の早い乗客が下船の準備を整えてエントランスホールに集まりだした。私はぎりぎりまで部屋で粘り、船が止まってからエントランスへ。列の最初はツアーバッジを付けた団体さんで、あまり急ぐ必要もないのにご苦労なこったと感じた。

苫小牧のフェリーターミナルでレンタカーの手続きをして、北海道のドライブがスタート。ETCカードを持ってくるのを忘れたので、全行程で下道を走ることにした。まずは室蘭線沿いに北上して岩見沢を目指した。ご存じのとおり、北海道の3桁国道は信号もなく、70`くらいで走れるので(それでも地元民のペースよりも遅い!)、高速よりも近回りのルートでは、あえて高速を走らなくても到着時間はそれほど変わらない。


暮れなずむ名古屋港フェリーターミナル


早割15,400円でツインルームに2泊する


午後の水平線にまっすぐな白いラインを描く


船旅の中間点で僚船「きそ」とすれ違う


仙台港で一時上陸。この後イオンで用を済ます


苫小牧港に到着。ここから北海道ドライブ


月形のpopoteさんの味噌ラーメン

12時半ころ岩見沢市街地に到着し、道道6号線に左折した。30分くらいで月形に到着し、ここで昼食を摂らなければ食いっぱぐれると思い、国道275号線に曲がった直後のpopoteさんという食堂に入った。北海道の味噌ラーメンは、まずハズレがないという鉄則から、味噌ラーメンを注文。出てきたラーメンは期待を裏切らないものだった。味もさることながら、普通盛りのラーメンなのに麺が二玉入ってるのではと思わせるボリューム感。スープまで飲み干すと、後の運転に差支えそうなほどの満腹感。これで750円なら納得である。

国道275号線はわずか1`ほどしか走らず、再び道道へ。山越え区間となり慎重にクルマを走らせる。借りたクルマは日産デイズという軽自動車で、三菱のeKワゴンのバッジを変えただけのクルマである。軽のトールワゴンなのであまり期待するのは可哀そうだが、高速コーナーリングのフワフワ感はちょっと恐怖だった。燃費はトータル25Km/lを超えたのでさすがと思ったが、やはり北海道のドライブは少しでも大きなクルマの方が快適である。さて、ほぼほぼ人家のないところを走り抜け、浜益で国道231号に出た。ここからは日本海を左に見ながら北上。かつては断崖絶壁で車道がなく、これから行こうとしている雄冬は文字通り「陸の孤島」で、「西の知床」とまで言われていたほどである(知床岬は現在でもクルマで行けない)。

今回、雄冬に行こうと思ったのは、1981年の映画「駅 STAITION」を健さんが亡くなってから改めて見直したから。今年の正月に釧路で過ごしたのも、この映画を観て「年越しを北海道で過ごし、舟唄を聴きたい」と思ったためで、半年の間に2度も同じ映画の影響で旅をするというのは、私にとって異例なことである。まぁそれだけあの映画の影響力は大きく、中国のみなさんがB級(失礼!)の娯楽映画「君よ憤怒の河を渉れ」を見て「健さん、健さん」というのと似通っている感じがする。雄冬へは増毛から連絡船で行くしか手段がなく、その連絡船も荒れ狂う日本海の前に欠航となり、何日も増毛で足止めを食らうという行きにくさ。それが私を雄冬に来させた原動力となった。快晴の日本海オロロンルートを走ること30分。私は難なく雄冬に到着した。


日本海沿いを北上し雄冬岬が見えてきた


かつては陸の孤島だった雄冬のバス停


雄冬岬展望台駐車場にてレンタカーのデイズ


雄冬岬展望台を背景に筆者


国道沿いのサンセットウェーブ


寝台券は既にプラチナチケット化


「急行」という表示さえ貴重なもの


ブルートレインの残り香のする金帯

着いてみれば雄冬は普通の漁村で、雄冬岬の景観だけが印象に残った。映画を観て訪ねてみると、だいたいこんな感じになるのは世の常。いちいちガッカリはしない。30分ほど滞在し、来た道を引き返した。札幌へは国道231号で一本道。予定よりも2時間も早い18時前にレンタカーを返却した。

急行はまなすの発車時刻まで、あと4時間もある。札幌の夕食はジンギスカンでも食べようと思っていたが、月形の大盛り味噌ラーメンの影響で全くその気が起こらない。それに短時間で250`超のドライブをこなしたので疲労感満載である。ここは駅の近くで時間を潰すのが最良の選択。公衆無線LANがあり、タバコを吸えて、酒を飲んでダラダラ過ごせるところということで、駅地下のパセオにある銀座ライオンで、本場のサッポロビールを飲むことにした。結局2時間あまりをそこで過ごし、すっかり出来上がって札幌駅の改札に入った。

ホームに上がったところで入線まで1時間以上あり、着発を繰り返す見慣れぬ列車を見ながら過ごした。ホームを駆け抜ける風が気持ちよかった。で、21時35分を回ったころ、いよいよこの旅のメインイベントである急行はまなす号が4番ホームに入線してきた。ひとしきり撮影した後、指定されたB寝台の上段に向かった。本当は下段が欲しかったが、発売日の10時に浜松駅の窓口でマルスを叩いてもらったところ、その晩の寝台券を発券されるという痛恨のミスがあった。もう一度発券してもらったが、既に下段は埋まってしまい上段を辛うじて確保した次第である。今年度末には北海道新幹線が函館まで開通予定で、それとともにこの「はまなす」も廃止になる模様。JRの中で定期急行列車はこの列車だけ。またいわゆるブルートレインと呼ばれる24系25型という車両をつないでるのも定期列車ではこの列車だけ。いろいろな要素が絡み合って、廃止9ヶ月前の6月の平日なのに寝台券はプラチナチケット化してしまったのである。車内放送でも寝台車、指定席車とも満席という放送が繰り返されていて、「自由席も混み合うことが予想されるので、荷物は網棚に、座席は回転しないよう」と、戦後の混乱期を思わせるよなことを言っていた。上段ベッドでは全くくつろげないので、発車から千歳あたりまで自由席に座っていたが、実際は乗車率3割くらいの状態だった。盆暮れ正月など、指定席が満席でも自由席は空いているということがよくあるが、まさにその状態。キップはいい席から売れるということを身を持って感じた。

さて、その自由席。使用車両は14系客車のハザ。この車両に座ると学生時代の頃を思い出す。当時、下宿先の静岡から浜松に帰省する折、いろいろな手段を使った。その中で異色だったのが臨時快速「飛騨スキー号」。乗車券だけで乗れたが、使用車両は特急型客車である14系。この車両の簡易リクライニングシートを当時の私は「豪華だ!」とひどくありがたがった。指定席はオハ14だが、自由席はスハフ14。ディーゼルエンジンが床下で唸り、まるで気動車特急に乗っているようだったが、それでもスキーシーズンになると、決まってこの列車に乗って帰ったものである。おそらく「はまなす」は最後の乗車になると思うが、14系のハザに乗れて本当に良かったと思った。

B寝台に戻り、列車の揺れにまかせてうとうとしていると、函館に到着。タバコを吸おうとホームに降り、ついでにオハネフ25の前で記念撮影をした。午前3時にセルフタイマーを使って記念撮影をするのもどうかと思うが、多くの乗客が寝静まっているだけに変なポーズをとり放題である(変なポーズはしなかったが…)。函館で30分停車した後、青森に向けて逆向きに発車。ベッドですぐに眠りに落ち、気付くと窓の外が明るくなっていた。青函トンネルを抜け、蟹田の手前を走行しているようだ。もう一度スハフ14で過ごしたい。ベッドに散乱していた荷物をまとめ、再び自由席に向かった。

青森〜新青森〜二戸と進み、8時前に二戸駅前のトヨタレンタリースで86を借り出した。ここからは今回の旅のオマケで、「あまちゃん」の舞台となった久慈までドライブする。二戸から久慈は道路の整備状況が良い山越えルートで、86を走らせるにはぴったりの場所である。昨日のデイズと比べるのは失礼かもしれないが、軽量コンパクトなスポーツカーらしく、ワインディングでのオンザレール感覚に目を見張った。それほど吹かしたわけではないが、それでも水平対向独特のエキゾーストノートに痺れた。そうこうしているうちに、あっという間に久慈に到着した。


展望台から雄冬漁港と集落を見下ろす


漁村である雄冬集落から雄冬岬を眺める


21時35分ころ札幌駅に急行はまなすが入線


学生時代を思い出したスハフ14自由席


未明の函館駅で機関車をED79に交換


午前3時の記念撮影。24系25型乗り納め


目覚めた後に再びお世話になったスハフ14


今回のオマケは「86」を駆って久慈ドライブ


富士重工製のFA20型水平対向4気筒エンジン


ドラマあまちゃんでたびたび登場の久慈駅


プールっぽさを出すのに一苦労


ご存じ「うに弁当」は1,470円也


今でも3点セットの看板が掛かる駅前デパート


袖ケ浜駅として登場した堀内駅に宮古行き入線


ユイが「アイドルになりたーい」と叫んだトンネル

「あまちゃん」がBSで再放送中の時期に久慈を訪れることができたのはラッキーで、記憶が新しいだけにドラマのロケ地探しに苦労しなかった。たびたび登場している三陸鉄道の久慈駅、そして駅前のビルにはお馴染みの3点セットの看板が未だに掛かっていた。

駅前地区から小袖海岸に移動し、海女センターを訪ねた。ドラマでプールのように映っていたウニの漁場は、なかなかプールっぽさを切り取るのに苦労し、海女センターの3階のベランダから、ようやくそれっぽい画像が撮れた。

そして最後は堀内駅。「あまちゃん」では袖が浜駅として描かれた駅である。ここで久慈駅で買ったうに弁当を食べながら列車が来るのを待ち構えた。宮古行き2両編成の先頭車はオリジナルカラー。あまちゃんの構図そのものだった。そして堀内トンネルに入っていく列車を見送りながら、ドラマのワンシーンを思い浮かべていた。ユイ「アイドルになりたーい」。アキの心の声「バカなのか?」。
<終>

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