L o n g F o r T h e E a s t
摩周湖第三展望台は霧の中


このところ、学生時代に旅をした場所を再度訪ねてみたいという衝動にかられる。今春の『関門歩いて渡ろうTourU』もそうだった。あれが18年ぶりの訪問なら、今回の旅は19年ぶりに夢を叶える旅となる。1987年の8月終わりから9月初めにかけて、私はバイクで北海道をツーリングした(『旅のreference』1987年の頁を参照)。記録によると9月4日に阿寒湖を出て、摩周湖、美幌、網走と回り、知床峠を抜けて尾岱沼に投宿となっている。その翌日は厚床から霧多布を経由して一気に帯広に抜けている。当時の私は、いわゆる道東のパートで、「ここには絶対行きたい」という候補地を幾つか挙げていて、実際かなりの場所は訪問したが、2箇所行きそびれた所があった。ひとつは中標津の開陽台展望台で、もうひとつは本土最東端の納沙布岬である。開陽台は尾岱沼から近く、それほど遠回りにもならないので、行こうと思えば行けたはずだった。しかし、インターネットでちょいちょいと検索すれば答が一発で分かってしまう現在と違い、当時は「調べ物は図書館か書店」と相場が決まっていた時代である。「北海道の開陽台」というキーワードでは、どこにあるのか見当もつかず、結局断念せざるを得なかった。もう一方の納沙布岬は、厚床から往復100`以上あるため、日程上の都合で泣く泣く断念した。まぁ「本土最東端(現状は日本最東端)ならいつでも来れるだろう」という甘い考えもあったことは確かである。結局は19年間もほったらかしにしたが…。


第一展望台に回ると摩周湖の湖面が拝めた


今にも『霧の摩周湖』に変貌を遂げそう

札幌で前泊をして、9月9日の朝、丘珠空港からANA4865便で女満別空港に飛んだ。10時過ぎにはレンタカーを借りて、東への遥かなドライブがスタートした。クルマはスズキのスイフト。まずはカーナビに開陽台展望台を打ち込んだ。美幌峠を経由して弟子屈から開陽台に向かうつもりで、実際にカーナビもその通りの経路を案内していたが、途中で道を間違えて左折を繰り返しながら元の道に戻ったら、カーナビが混乱したのか逆方向を案内し出した。「ま、いいか」と案内通りに走ったら、オホーツク寄りの進路をとって、気付いたら小清水だった。ここから国道391号を南下すれば摩周湖のそばを通るため、行きがけの駄賃で摩周湖にも立ち寄ることに決めた。

学生時代に来られなかった開陽台に到着


国道391号の野上峠を越えると、オホーツク海側から太平洋側へと水系が変わる。それほど標高のある峠ではないが、天気が一変した。今まで晴れ間が見えていたが、一面の曇り空となった。川湯温泉から県道52号線を登り、摩周湖エリアに入ると、標高が上がるにつれて霧が深くなってきた。摩周湖第三展望台では、まさに『霧の摩周湖』という感じで、右上の画像もキャプションが無ければ「一体なんの写真?」ということになってしまう。早々に展望台を後にして、道端にひょっこりと姿を現すキタキツネやリスを慰めにクルマを走らせた。

約3`離れている摩周湖第一展望台に「ものは試し」と寄ってみると、こちらは霧がかかる直前で、湖面まではっきりと拝めた。19年前の北海道ツーリングも含めて、これまで摩周湖には3度来たが、第一展望台で湖面を見られなかったことは無く、『霧の摩周湖』を体験するなら、第一展望台より第三展望台や裏摩周がオススメ(?)である。

摩周湖を12時過ぎに出発して、一路、開陽台に向かう。フロントガラスには細かい雨粒が当たり、相変わらずの悪天候である。40分ほどで開陽台に到着したが、天気は好転しなかった。「地球が丸くみえる」というキャッチフレーズが虚しく響いた。晴れていれば眼下に牧歌的な風景が広がり、360度の地平線を満喫できるところだが、今日のところは霧の中にうっすらと地平線が見渡せるだけであった。天気のことだから仕方ないが、これが19年間熱望していた場所だったのかと、ちょっぴり失望した。まぁ、天候が安定する晩秋にもう一度訪問するという宿題ができて、かえって良かったのかもしれないが…。

晴れていれば地球が丸く見えるのに…


霧の中うっすらと地平線が丸く見える気がする


開陽台から中標津の市街に入って遅い昼食をとった。なんでもないラーメン屋に入ったのだが、味噌ラーメンは秀逸だった。北海道のラーメン屋はレベルが高く、どの町のどの店でも味噌ラーメンだけは旨いというのが私の定説である。

中標津からは納沙布岬までノンストップのドライブである。およそ110`の道のりだが、カーナビの予想所要時間は3時間と恐るべき数字をはじき出していた。アップダウンを繰り返しながら、まっすぐな一本道をひたすら走る。カーステレオからは松岡直也のアルバム「Long For The East」が流れている。「long」には「長い」という意味の他に「あこがれる」という意味がある。今日の私にとっては、どちらも当たっている。


アップダウンを繰り返すまっすぐな一本道


北方領土返還祈念『四島のかけ橋』

降りしきる雨の中、15時15分に本土最東端「納沙布岬」に到着した。中標津から1時間35分で到着したので、平均速度は69`だった。納沙布岬は「北方領土返還!」という政治色が強い観光地で、北方領土返還祈念モニュメント「四島のかけ橋」や「北方館・望郷の家」といった政府の施設のほか、右翼の祈念碑や国旗などが点在する。こんな最果ての地へ来てまで政治に関わるのはゴメンだが、ついこの前も漁船がロシアの警備艇に銃撃されて船員が死亡し、船長は拿捕されるという事件があったばかりで、この地の人にとっては切実な問題だろう。それでもと思い、望郷の家の展示物を眺めたりした。晴れていれば北方領土が望めるところだが、雨のためそれも叶わず、結局施設の望遠鏡は一度も覗かなかった。


本土最東端の納沙布岬灯台


望郷の家に展示されていた北方領土模型


現在、一般の日本人が行ける日本の最東端


根北峠を越えると嘘のように青空が広がった


知床半島の上に朝日が昇っていく


さて、次は岬めぐりの旅につきものの灯台鑑賞である。本土最東端であって、現実は一般の日本人が行ける日本最東端の場所にありながら、北方領土問題の絡みがあって、そういう表示はひとつも無かった。それでも私は灯台を見て、岬の突端まで歩き、一人悦に入っていた。日本の果てでの滞在時間は約30分。再びクルマのハンドルを握った。

納沙布岬から投宿地の網走まで210`のノンストップドライブ。到着予定時間=22時40分の表示を出すカーナビは、あいかわらず大袈裟で、参考にするのはやめた。まずは根室半島を一周するべく、半島の北側を通る県道を走った。根室からは国道44号線。この道はトラックの往来が激しく、低速のトラックには容赦なく追い越しをかけ、メーター読み80`のキープに努めた。厚床から国道243号、続いて別海から国道244号線を走ると、信号もなく、通行量も圧倒的に少なくなり、アメリカの田舎道を走っている感覚だった。

オホーツク海に出て、懐かしい尾岱沼を通ると「よく125ccのバイクでここまで来たものだ」という感慨でいっぱいになった。バイクで走った時は、知床峠を走ってこの地に宿泊したが、今日は夜間になるので道なりに根北峠を経由した。18時ころ根北峠を越え、根室支庁から再び網走支庁へと戻ってきた。すると今まで降っていた雨が嘘のように上がり、快晴の天気となった。もう日没の時刻を過ぎており、薄明かりが残るだけだったが、極上のトワイライトセクションのドライブが楽しめた。今日の宿泊先の網走ロイヤルホテルには、ちょうど19時の到着で、納沙布岬からの所要時間は3時間15分、平均時速は65`だった。そして今日の総走行距離は500`弱というハードなドライブだった。

翌朝、朝日が眩しくて目覚めると、時計は5時を指していた。昨日は雨にたたられていたので「こんないい天気なのに二度寝をしたらもったいない!」と思い、浜小清水までのショートトリップを敢行した。藻琴湖と原生花園に挟まれた国道244号線は、走っていて気持ちのいい道路で、20歳の自分は、この風景にいたく感激して、一枚の写真を残した。それが『30th Anniversary』のコーナーに掲載している画像である。今回も同じ場所で撮影したが、19年の時を感じさせないのどかさである。

ひととおり原生花園を回り、朝日に輝く知床半島やオホーツク海の眺めを堪能した。さぁ帰ろうということで、最後に原生花園駅をバックに、セルフタイマーで記念写真を撮ろうとした時に、悲劇が起こった。カメラをセットし、ポーズをとっている時に突風が吹き、風にあおられて、無残にもカメラが欄干の柱から落下。レンズを紛失してピントが合わなくなってしまった。この1件さえなければ感傷旅行としてはイイ線を行っていたのに、後悔が残る一瞬だった。

1987年の北海道ツーリングで撮影した思い出の写真の場所で19年ぶりに撮影


朝凪のオホーツク海。冬は流氷に閉ざされる


このカメラの最後の画像となった原生花園駅

<おしまい>

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