1987年の記録


1987年1月24日(土) 鳥羽 <MBX50でのツーリング>
(行程)浜松〜国道1号〜知立〜国道23号〜鳥羽〜フェリー〜伊良湖〜白須賀〜浜松
(評)原付しかバイクに乗れない時代に、50ccのバイクで行った本格的なツー リング。名四国道(国道23号)のトラックの間をすり抜けていったあの頃が懐かし い。

1987年2月22日(日) 高山
(キップ)青春18キップ使用
(行程)浜松〜東海道線〜大垣〜岐阜〜高山線〜高山〜美濃太田〜太多線〜多治見〜中央西線〜名古屋〜東海道線〜浜松
(評)恒例となった「冬の大垣ツアー」であり、また青春18キップを初めて使 った旅でもあった。高山線渚駅で特急通過待ちの間の車窓から見た小雪降る情景 に心が洗われた。

1987年4月7日(火)〜8日(水) 鳥取・宇高航路・高知 "西のサイドラインツアー "
(キップ)青春18キップ使用
(行程)浜松〜東海道線〜京都〜山陰線〜鳥取(鳥取砂丘)〜因美線・津山線〜岡山〜宇野線・宇高航路〜高松〜予讃線・土讃線<車中泊>〜高知(はりまや橋)〜高松〜岡山〜吉備線・伯備線・赤穂線〜相生〜山陽線・東海道線〜浜松
(評)現在まで連綿と続く「Spring Tour」の基礎を作った旅。この旅で味を しめて毎年この時期にどこかへ旅立つようになった。当時本州を出たことがなか った私にとって、初めての本州脱出となった記念すべき旅である。深夜に乗り継 いだ宇野線213系「備讃ライナー」、宇高連絡船、土讃線夜行鈍行の50系レッド トレインの乗り継ぎには旅の醍醐味を感じた。当時の私の最西端の旅ということ で「西のサイドラインツアー」と名づけた。

1987年8月26日(水) 上越線・信越線・飯田線
(同行者)中野氏
(キップ)青春18キップ
(行程)浜松〜東海道線〜東京〜東北線・高崎線・上越線〜長岡〜信越線〜長野〜篠ノ井線・中央東線〜辰野〜飯田線〜豊橋〜浜松
(評)余った18キップで中野氏と行った信越方面の旅。大垣夜行の上りで行っ たため眠気との闘いの旅であった。一眠りした後の柏崎付近の日本海の午後の水 平線は眩しかった。

1987年8月29日(土)〜9月10日(木) 北海道<Γ125でのツーリング>
(行程)浜松〜国道1号・246号・6号〜土浦<泊>〜国道6号〜仙台・松島<泊>〜国道4号〜青森<泊>〜青函航路〜函館〜国道5号・37号・230号〜札幌<泊>〜国道36号〜苫小牧〜国道235号・336号〜えりも岬<泊>〜国道336号・236号〜帯広〜国道241号〜阿寒湖<泊>〜国道241号〜摩周湖〜国道243号〜美幌〜国道39号・244号・334号〜知床〜国道335号・244号〜尾岱沼<泊>〜国道244号・44号・38号〜帯広<泊>〜国道38号・12号〜札幌<泊>〜札幌観光〜国道5号〜小樽<泊>〜新日本海フェリー<船中泊>〜舞鶴〜国道27号〜小浜<泊>〜国道303号・365号・21号・22号・1号〜浜松
(評)12泊13日という長期間の記録は未だもって破られず、それも125ccのバ イクで延々下道を走り北海道を回ってきたということは、いくら大学時代とはい え時間も体力もあったとういことが感じられる。北海道に渡る時は今はなき青函 連絡船に乗ったのだが、当初予定していた夜行便は台風接近のため欠航。青森で 足止めを食らったことも今となってはいい思い出である。青森での朝、駅構内の 食堂で流れていたシカゴの「素直になれなくて」は今も忘れられない曲である。 札幌での2泊は孝ちゃんの家で、札幌観光のガイドも孝ちゃんであった。道内で の記憶に残る風景は道東の雄大さ。辛かった記憶は霧と雨の中での狩勝峠越えで 、峠を下った富良野は爽やかに晴れ渡っておりホッと一息ついたものだった。
摩周湖にて筆者

1987年12月8日(火)夜〜12日(土) 北陸
(キップ)北陸ワイド周遊券
(行程)浜松〜東海道線〜名古屋〜急行ちくま<車中泊>〜松本〜大糸線〜糸魚川〜北陸線〜高岡〜城端線〜城端〜高岡〜金沢〜急行能登〜糸魚川〜急行きたぐに<車中泊>〜福井〜越美北線〜九頭竜湖〜福井〜高岡〜氷見線〜高岡〜富山〜富山港線〜富山〜金沢<泊>(兼六園)〜福井〜東尋坊〜福井〜金沢〜急行能登〜糸魚川〜急行きたぐに<車中泊>〜小松〜急行きたぐに〜糸魚川〜富山〜急行のりくら〜岐阜〜名古屋〜東名バス〜浜松
(評)さすがに若かったとはいえ行程4泊のうち3泊が夜行列車の自由席がベッ ドとは、自分ながら驚きである。特に周遊区間内での夜行乗り継ぎは午前3時台 の小松駅乗り換えなどもあり相当ハードであった。主に周遊区間内の路線の乗り つぶしで行ったのだが、ちゃんと兼六園や東尋坊にも寄っていて、ただの鉄チャ ンでなかったことが偲ばれる。


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