関門人道トンネル門司側入口 |
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夕暮れの時間が遅くなり、コートなしでも外を歩けるようになると、「旅に出たい」気持ちが疼きだす。1987年に本格的な'Spring Tour'として鳥取〜岡山〜高知を旅した、いわゆる「西のSide Line Tour」以来、春の恒例行事となっている。行き先は、ほとんど山陽、四国、九州で、もちろん春到来が早い地域なのだが、やはり原点が西にあることと無関係ではないと思う。今年は、久々に船旅を混ぜたいと思い、近々株式を売却する予定で、株主優待券を少しでも生かす意味合いもあり、関西汽船を軸に計画した。となれば1988年のSpring Tourの2回目で行った、関門人道トンネルも程近いこともあって、今回は「関門歩いて渡ろうTour」のPART Uをすることにした。 3月17日金曜日、浜松駅18時59分発のこだま551号でスタート。最近の旅のパターンは金曜日の夜から出掛けて、日曜日の早い時間に帰ってくるのがほとんどである。これだと、中日である土曜日がゆっくり楽しめて、日曜日に早く帰ることで、翌日の出勤に疲れを残さないようにできる。もっとも若い頃に比べて、金曜日の前泊分にかかる費用が気にならなくなったという「資金的な余裕」に負うことが大きいのかもしれない。そんなことを思いながら、新大阪でJR神戸線の快速電車、そして三ノ宮からポートライナーに乗り継ぎ、神戸ポートターミナルに出航1時間前に到着した。 |
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神戸ポートターミナルに煌々と輝く満月 |
「さんふらわあこばると」特等A船室にて筆者 |
関西汽船のチェックインカウンターでは、始発の大阪での出航が遅れたため、神戸入港が30分ほど遅れると案内された。先を急ぐ旅ではないので、特に腹が立つこともなく、テラスに出てメールのチェックなんかをしていた。外に出てみると南の空には満月が昇っていた。風も無く暖かな夜で、「春の宵は値千金」という言葉が思い浮かんだ。やがて関西汽船の「さんふらわあ こばると」が入港し、大勢の徒歩客やツアー客と一緒にフェリーボートに乗り込んだ。 株主優待券のこともあり、今回で当分関西汽船には乗らないだろうと思い、船室は特等Aを奢った。普通運賃で23,300円のところを、3割引で16,310円である。私が関西汽船の株主になった頃には、株主優待券は普通運賃から5割引だったが、経営改善計画のあおりで割引率が低下してしまった。それでも、阪神から別府まで夜のうちに動けて、なおかつ並みのビジネスホテル以上の部屋に泊まって、この値段なら十分納得できる。今回関心したのは、バス・トイレに併設されている洗面台の鏡の一部にくもり止めが塗ってあったところ。このサービスはシティホテル並みで、翌日泊まった下関東急インでもされていなかった。 神戸を1時間遅れで出航したため、明石大橋のライトアップは終わっていた。真っ暗な海上を進むため景色を楽しむわけにもいかず、関西の電波が弱くなったのをしおに、テレビを消して眠りについた。 翌朝、目覚めると松山に入港していた。天気は雨模様で、西から崩れているようだ。Spring Tourは天候に特に左右されるため、ちょっとブルーになってしまった。8時前にレストランに行くと超満員。旅行シーズンが始まったようで、そういえばロビーの片隅にカーペットを敷いて臨時の2等室にしていたっけ。カフェテリア方式の朝食は、ハムエッグとツナサラダ、そしてご飯と味噌汁をチョイスしてちょうど1,000円だった。市価より少し高めだが、ホテルの朝食を思えば、まぁまぁといったところ。混雑しているため、ゆっくりする訳にもいかず、ちゃっちゃと済ませて自室に逃げ込んだ。 別府入港も1時間遅れの午前11時。ホテルを11時にチェックアウトなんて、通常の1泊2日程度の旅行では考えられないが、自室でのんびり衛星放送なんかを見ていると「非日常」な世界が満喫でき、これだけでも船に乗った甲斐があった。九州の地に降り立つと、当初の予定より大幅に遅れているのと、雨が降っていることの両方で急ぎ足になった。非日常から日常に戻ってしまったようで残念ではある。大分交通のバスで別府駅に運ばれ、予定より一本後の特急ソニック号に乗車することになった。 今回の旅では、アプローチを除くと、鉄道利用が別府から門司港だけで、ちょっと物足りない。もともとSpring Tourは、ほとんどの行程が鉄道利用で、20代のころ春の旅のために編集した音楽テープも、鉄道旅行に合うように作ってきた。時代が下って、カセットテープからMP3プレイヤーに代替わりしたけれど、連れて歩く音楽は変わらない。振り子電車特有のダイナミックな走りを堪能しながら、流れてく車窓を見ていると、「旅をしている」という実感が湧いてくる。移りゆく日本の春の風景は「雨もまたよい」と思えてくるから不思議である。ちなみに、今回の車窓にベストマッチは、ドリカムの「笑顔の行方」から渡辺真知子の「唇よ熱く君を語れ」のメドレーだった。 小倉で鈍行列車に乗り換え、終着が今回の目的地「門司港レトロ地区」である。門司港駅は数年ぶりだが、ますますレトロな雰囲気になっている。近代的な813系電車からホームに降り立つと、まるで蒸気機関車が牽く列車に乗ってきたかのような錯覚を覚える。木製の柱に黒いランプシェード。改札口の前にはご丁寧に人力車まで飾ってあった。自動改札機とのミスマッチもご愛嬌である。正面玄関前の大きな広場から振り返ると、国指定の重要文化財の駅舎が凛とした雰囲気で建っている。大正3年建築で、当時の空気を現代に伝え、いつ見ても感慨を覚える建物である。その駅舎をしばし見とれた後、私は西鉄バスの「レトロめかり周遊バス」に乗車した。 |
いよいよ九州上陸。別府観光港に到着 |
雨に濡れる関西汽船「さんふらわあこばると」 |
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別府からは振り子列車「ソニック号」の旅 |
ランプのシェードや木製の柱にレトロの香り |
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改札口の前には人力車が飾ってあった |
国指定重要文化財・門司港駅舎 |
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レトロめかり周遊バスでつかの間の観光気分 |
関門橋のたもとにあるノーフォーク公園にて |
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あいにくの雨で展望台の眺望も台無し |
本州・下関に向けてスタート!! |
レトロめかり周遊バスは、門司港駅を出発して、門司港地区やめかり地区のビューポイントを周り、門司港駅に1時間で戻ってくるという路線バスである。しかし観光ガイドさんが乗車し、ノーフォーク公園とめかり第二展望台では、それぞれ10分間の散策が楽しめるという、定期観光バス的な運行形態である。これで御代が220円。ずいぶんトクした気分になれる。あいにくの雨で、ノーフォーク公園や展望台からの関門海峡の眺めはイマイチだったけど、壇ノ浦合戦や下関条約の話など、ガイドさんの話は含蓄があり、もう一度天気のいい時に訪れてみたいと感じた。駅に戻る途中の関門人道トンネル口バス停で下車。いよいよ「関門歩いて渡ろう」である。
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トンネルのほぼ中間にある本州と九州の境界 |
19年前この場所で初めて九州入りした |
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こちらは下関側の人道トンネル起点 |
下関のみもすそ川にある本州側人道入口 |
九州にだって歩いて行ける |
旅行3日目。雨が上がり朝日が眩しい |
ANAのB767に迎えられ山口宇部空港到着 |
19年前の「関門歩いて渡ろうTour」の時は、私はまだ大学生。当時、九州には一度も行ったことがなくて、九州への最初の上陸が歩きだったことが、今でも誇りである。当然、その時は本州から九州へと歩いたので、今回は逆コースをたどることになる。19年前と状況が違うのは、今回は昼間に来れたこと。前回は、浜松から青春18キップで関門海峡を目指したので、下関に到着するころにはとっぷりと日が暮れてしまい、風景を楽しむことなんてできなかった。今回はゆっくり楽しもう。 まずは、エレベーターで海底に下る。人道トンネルは、車道である国道2号線関門トンネルのすぐ下にある。小学生のころ図鑑で見て、その構造に興味を持ち、一度は行ってみたいと思った憧れの場所だった。それは2度目の今回でも変わらぬ思いである。 |
下関駅から1時間15分。きっちり定時運行 |
海底に下りてみると、大勢の観光客が思い思いに楽しんでいた。初めてこのトンネルをくぐった時は、時間が遅かったこともあってか、2〜3人の地元民とすれ違うだけだったが、その数十倍の人とすれ違った。それどころか、トレーニングウェアに身を包んだ市民ランナーまでいるのにはビックリした。もしかしたらレトロめかり周遊バスが、あらためて人道トンネルに光を当てたのかもしれない。そして山口・福岡の県境線へ。ここが最も低く海面下58bにある。このポイントは人気が高く、記念撮影をするグループ客がいなくなるまでずいぶん待たされた。そして上り勾配にかかり、下関側のエレベーターに到着。延長は780bとあったが、ゆっくり歩いても10分くらいしかかからなかった。地上に出ると、みもすそ川公園で、関門橋が真上を走っていた。人道トンネルをくぐったことで、私は満足し、下関駅行きのバスの乗客となった。 翌朝、下関東急インを6時前にチェックアウトして、サンデン交通の宇部空港線に乗車した。すっかり雨が上がり、山陽自動車道を走っていると太陽が昇ってきた。出発した日と帰りの日は晴れたのに、一番大事な中日に雨が降ってしまったことに、自分のツキの無さを感じた。まるで、パンは美味しいけど具がまずいサンドイッチみたいなものである。そんなことはお構いなしにバスは走り、この旅の最後の楽しみであるスーパーシートプレミアムの待つ山口宇部空港に到着した。 <おしまい> |
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