〜30th Anniversary〜
高校時代の文化祭のヒトコマ
BGMは「Lakeside Avenue」
・・・『かと』の私的写真館・・・

<注意>
このページは、1996年12月22日に生誕30周年を迎えたこのホームペ ージの主(あるじ)『かと』の昔なつかしい写真を集めたものです。従ってまっ たく自己満足のページであるので、興味のない方は立ち入り禁止と致しておりま す。ご了承下さい。

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坊主頭のころ・・中学2年、沼津駅

中学時代は校則で坊主頭でした。もっとも水泳部だったので、都合は良かった のですが・・・このころから、当時の国鉄全線乗車を目指し「チャレンジ20000 キロ」キャンペーンに乗っかって、行く先々で駅名を入れた写真を撮っていまし た。

高校の修学旅行のひとこま・・・同じく運動会にて・・・・

・・・高校の時は現在に比べてずいぶん痩せていた。まあそれでも口の悪い連 れからは、
「ぶーちゃん」と呼ばれていたが・・・多分現在と比べて15キロは体重が軽か った。

浜松北高ボート部の艇庫&部活が終わったあとの体育館

高校時代はボート部に所属していて、インターハイ出場を目標にハードな練習 に明け暮れていた。浜松市郊外の佐鳴湖が練習の場であったが、湖上でのトレー ニングが終わり艇庫に戻ってくると、日はとっぷりと暮れていた。だけど艇庫に 戻ってきて艇から降りる時が一番ホッとできたなぁ。部活が終わって学校に戻り 、更衣室兼溜まり場である体育館のギャラリーに来ると、また凝りもせずカード ・マージャンを仲間とやり始めるのだった・・・

キャンパス・コンサート〜高3の文化祭にて


高校時代は、部活生活がメインであったが、そのかたわら独学で習ったピアノ を武器に「シンガーソング・ライター」の真似事をやっていた。自分で言うのも なんだが当時の曲を今聞いてみると結構いいんだな、これが・・・で、文化祭で 無謀にも全曲オリジナル曲のコンサートを開いてしまったのであった。観客はボ ート部の仲間がほとんどだったが・・・

一番始めに作った曲、「Lakeside Avenue」(BGMはこの曲!!)の歌詞と、12月のメインテーマ「Birthday Medley 」の歌詞をここで紹介しとこう!


Lakeside Avenue 作詞・作曲;加藤 友信(1983年)

水平線に輝く 太陽を見つめて
湖沿いの街は目覚める
朝もやに煙った 湖はミステリアス
さわやかな朝風に包まれながら

そんな心地よい気分に浸りながら
独りこの街をさまよい歩くのさ
湖沿いの通りを駆け抜け
少し君のこと 思い出すのさ

真夏の太陽がギラギラ照りつき
眩しい波間に飛び込んで
さわやかな夏の風 そっと吹き抜け
昼下がりの水平線をそっと見つめ

Ah−<Interlude>

夕闇迫ったTwilight Lakeside
懐かしいあの曲が流れてくるのさ

Lakeside Avenue 湖岸通り
夕日を浴びて駆け抜けるのさ
Lakeside Avenue 湖に沿って
懐かしいあの曲が流れてくるのさ

夏休みもう終わり ひと夏の思い出は
湖沿いの街に捨ててきたけど
Lakeside Avenue あの道あの通り
真夏の思い出は終わったけれど(Coda)


<Birthday Medley>
White Birthday in December
作詞・作曲;加藤 友信(1983年)
December
作詞・作曲;加藤 友信(1984年)
<White Birthday in December> <December>
すっかり葉が落ちた
銀杏並木
街路樹の間を
木枯らしが吹き抜け

西の強い風
めっきり冬模様
泣き出しそうな
冬の黒い雲

街のデパートでは
ジングルベルが
騒がしく鳴り響き
急ぎ足 人の波

White Birthday in December
枯葉が舞う冬の街
White Birthday in December
急がさせる ジングルベル

<Interlude>

夕陽が ビルの間に
落ちてゆく ゆっくりと

今ごろは 君なんか
誰かと 一緒さ きっと

<Interlude>

夕暮れの時間迫る 大通り
師走の人の波に もまれてた

木枯らしが 吹き抜け
背中を丸め
いそいそと 帰り道
就くのさ

Say Goodbye in December
I'm Alone in December

善地と浜松の
往復も飽きたよ

さようなら あのころ
少年の日々

18回目の 誕生日
忘れられない 今日なのさ

<Fade Out>



バイクに凝った大学時代・・・

静岡大学に進学し下宿生活を始めたものの、とりたててサークル活動もしなか ったので、暇な田舎生活となってしまった。それじゃ、ということで自動二輪の 免許を「一発」で取得し(小型限定だが)、RG125ガンマを購入して、野山 を駆け巡った。特に3年生(20歳)の晩夏の北海道への2週間にも及ぶツーリ ングは思い出深い。北海道に入るまでまる3日間、国道を走り詰めなおかつ今は 無き青函連絡船が台風のため出航しないというハプニングもあり、大変な思いを した。しかし道内はいたって快適に走ることができ知床まで足を延ばした。
上の写真は知床を回って網走へ向かう途中にある藻琴湖畔で撮ったものである。よく見 ると湖畔で牛が草を食んでいるのがわかる。
・・・ちなみにガンマは今でもたまに通勤で使用している・・・・


社会人になってから〜現在へ・・・

平成元年に就職し、しばらく天竜に通っていたが、その時はじめて添乗に出た 時の写真がこれ。場所は摩周湖で、くしくも大学時代にバイクでたどった道東を 廻った。飛行機に乗るのは確かその時がはじめてで、結構ドキドキものの添乗で あった。

社会人1年生の時に、はじめて大きな買い物をしたのが下のセリカ。さすがに 自分の給料をコツコツ貯めて買っただけあって、現在でも愛着があり、クルマも それに応えて快調に走ってくれている。

1996年10月5日、尾道駅前の駐車場にて撮影


ここまで付き合ってくれた貴方、本当にお疲れ様でした!!さあ INDEX に戻りましょう