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食領域で何かお役に経つことはないか?という気持ちで様々な活動をしています。大学で学生たちと共に活動をすることにより広がりと繋がりを深めた活動をご紹介します。

 

【富士山北麓御師料理】

富士山北麓は山梨県側の富士吉田市が起点となる。この町の御師道通りに江戸時代に富士講で栄えた御師の家が佇むまちがある。

現在は約12軒ほどになってしまったが、宿泊、食事の提供を行なっている御師の家も数件ある。この御師の人たちにより継承されてきた料

理を御師料理といい、2016年からご縁があって研究をすすめるようになった。しかし、調べれば調べるほど謎が深いのが歴史である。特に

武田信玄、徳川家康、北条氏康という戦国の名だたる武将たちに絡む、いやそれ以前から富士山という途方もない霊峰の元に集まる人々によ

り、常に歴史が刻まれてきた場所となれば、ただならぬところといえるだろう。古くから多くの人を受け入れてきた地であるため、一筋縄で

はいかない。その御師料理を分析し、体系化し、食生活文化としてみたのが「富士山と御師料理」の本である。2023年コロナ明けと同時に

食環境WSを行い、御師の皆さんと料理をつくり実際に提供方法の復元を試み、市長さん、教育長さんはじめ関係者数人をご招待し、お食事

をしていただいた。今後はまちづくりに力を入れられるということで、御師の家で御師料理を多くの人が食べられる日も遠くはないと考えて

いる。この活動は、5年ほど前から女子栄養大学の学生が一緒に研究を重ね、支援を手伝ってくれた。今後も細く長く、日本の食生活文化の

一つとして支援をおこなっていきたい。 

 

【倉敷市玉島】

くらしき作陽大学に赴任した10年の間、町並み保存地区である玉島地域のまちなみ研究を学生とともに行い活動をおこなった。湊町である

玉島は江戸時代、備中一栄えた町で、江戸時代の禅僧 良寛様が修行した地でもある。この良寛様由来の老木の椿がこの円通寺に残されてい

る。この椿の老木を救うと共に、椿の森をつくり、環境保全を通じて地域創生をはかろうという目的で立ち上がったのが「良寛椿の会」であ

る。赴任当初より交流をおこなっていた造園家の家守さんのご紹介で支援を始めた。それまでも学生と共に玉島お町に繰り出し、玉島の郷土

料理を名物料理にということで研究や活動を重ね、古民家「桃和」さんや「良寛会館蔵」などでも活動し、観光ルートの開発も含め、玉島の

町の支援をしてきた。そうした思いが「良寛椿の会」の安藤瑞子さんと一致し、地元の食材や調味料を用いて開発したのが「良寛椿弁当」で

ある。コロナ禍と重なったこともあり、東京のアトリエで卒業生にも手伝ってもらい最終レシピを仕上げ、国民宿舎良寛荘のご協力でこのお

弁当が販売されることが決まった。料理長さんに褒めていただいた時には心底嬉しかった。日本料理の料理人さんのプライド(技術と味覚)

にかないつつ、ビジネス的な視点も踏まえ100年続く郷土の味を出すのはなかなかに厳しい。そして、料理長山口貴俊氏のお力も加わり、植

樹祭が開かれた3月19日から「良寛椿弁当」と「良寛椿御膳」が販売されている。どちらも要予約ではあるが、好評である。素人目にはわ

からないかもそれないが、料理長山口貴俊氏の工夫が込められている。地元で愛され、末長く販売されることを願っている。

 

【ベトナム 2005年〜】

ベトナムの農村集落の保存と食文化の継承活動 この活動は昭和女子大学の国際文化研究所のもと続けてきた活動で、多くの方々と共にドン

ラム村、フクテイック村、カイベー、ホイアン市チャム島、ヌア村等と交流を続けてきた。私の役割は地元の方々が気づかない素朴で残して

欲しい食文化は何かを伝えたり、あるいはすでになくなりつつあるものを発掘し、その素晴らしさを伝えたり、調理や衛生的な技術の交流を

行なったり、献立や提供方法などの検討や提案を行い、残すために何ができるかを共に考え、表現することである。農村漁村辺境地域には近

代化されていないベトナム固有の食文化がある。むろんベトナムは奥が深かく、まだまだ研究途上ではあるが、約20年ベトナムの食生活を

観察し支援することで、美しいベトナムの大地、美味しい食の特徴を感じ、多くの友人たちに出会えたことに感謝している。

 

 

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