今年は年末に穂香が英寿さんとともに山形に帰省し、田朗も例年通りに来て、5人で賑やかな年越しとなりました。 昨年は穂香の結婚を始め、米山家としては祝い事が多かったものの、世界的には天災、戦争、政変など、穏やかとは言えない一年でした。 今年は平和で喜びの多い一年となりますように。 穂香と英寿さんは一昨年八月に入籍を済ませていましたが、昨年1月19日(金)、大阪のアルモニーアンブラッセウエディングホテルのチャペルで結婚式を執りおこないました。式も披露宴も参列は身内のみでしたが、当日は1組だけというゆったりした空間で、暖かな良い式となりました。 山形では横山家をサテライト会場に、横山一家と金代ばあちゃんがオンラインで式に参加。リアルタイムで映像を見ながら会話もでき、喜びを共にしました。
翌日は新郎新婦の案内で万博記念公園に行き、太陽の塔の中に入るなど、米山家みんなで楽しんで帰りました。
新婚旅行は九州方面。別府の地獄巡りや博多の屋台など、二人で楽しんできたようです。いつまでも仲良くね!
山形へ移り住み、妻と二人で広さ約8アールの畑を管理することになった。いずれも自宅の近くだが三カ所に分かれており、個人的にはそれぞれ裏の畑、道沿いの畑、クルミの畑と呼ぶようになってきた。 管理と言っても、日々の見回りと収穫はもっぱら妻の仕事だ。「だって、それをするために実家に帰ってきたんだから」と意気込んでいる。でも畑を耕したり、作物の播種や苗の定植、支柱立てやネット張りなどは二人でやった方が効率は良い。だから、うまく協力しながらキュウリやトマトなどの夏野菜、白菜や大根といった秋野菜をはじめ、いろいろな品目の栽培に取り組んでいる。
我が家のこだわりは有機・無農薬。わずかな規模なので公的な認証を取得するつもりはないが、有機系の肥料を使い、害虫防除はもっぱら「必殺テデトール」(ひたすら手で取る)に頼っている。除草剤も畑には使用しないため、畝や通路がたくさんの雑草で緑に彩られてしまうことはしばしばだ。
でも、そんな雑草たちの間でさまざまな昆虫や蜘蛛、そしてカエルたちを目にすると、それなりに雑草が生えている畑も良いのではないかと思えてくる。最近は植物と生き物が共存する里山菜園がNHKの「趣味の園芸 やさいの時間」でシリーズ化されているくらいだから、雑草のある畑もそれなりに市民権を得るようになってきたようだ。
こうした雑草には日本に元からいる在来種もあるし、明治や昭和の時代に国内へ侵入した外来種も多い。三カ所の畑では、どうやら過去に何を植えていたか、どのように管理していたかといった利用履歴の違いに応じて、現れる雑草の種類が異なっているらしいことにも思い至った。身近に現れる雑草たちを通して、自然や歴史への理解を深めていくことが、こちらでのささやかな楽しみになってきた。 穂香は 二十代最後となる2024年。仕事・私生活ともに非常に充実した一年となった。 1月には大阪で結婚式を行った。親族のみの小規模な結婚式であったが、終始暖かな雰囲気が流れ、思い描いていた通りの結婚式を挙げることができたと思う。リストブーケや会場に飾るリースを用意してくださった新郎側親族、遠方からわざわざ来阪してくれた米山家側の親族はじめ、来てくださった方にはこの場を借りて改めて感謝を述べたい。
結婚式後は新婚旅行のため福岡・大分へ。博多の屋台で飲んでみたい!という私の熱烈なリクエストに答える旅程である。福岡ラーメンにもつ鍋、屋台のおでんに大宰府の食べ歩き…結婚式に向けて行ったダイエットが帳消しになったことは言うまでもない。福岡グルメを堪能した後は特急に乗って大分・別府へと移動し、こちらも行ってみたかった地獄めぐりを楽しんだ。運悪く最強寒波が襲来しており、もう寒い寒い…だからこそ、時折入る足湯がまるで天国のように感じられた。地酒をはじめお土産もたっぷり買い込み、思い出に残る一週間であった。
その他10月には愛知県にあるジブリパークへ遊びに行くなど、私たち夫婦にしてはフットワーク軽く旅行に出かけた一年であった。47都道府県制覇を目指して、これからも時間があればお出かけをしていきたい。
ついに三十代へと突入する2025年。年齢が区切りとなるとは感じていないが、自然と背筋が伸びる心地である。夫婦ともに、楽しく日々を過ごしていきたい。
2025年も結果に対して悔いのない選択を積み重ねていく年にしたいです。
この一年で力をつけたことは、けちんぼである。私生活でも業務上の予算でも、お金のやりくりに頭を悩ませる毎日だ。さらに自分でできる範囲のことで他人を頼るのが極端に苦手であるのも大きい。ないものは作ればいい、あるもので代用すればいい、できることは自分でする、柔軟に見えて頑固な思考だと我ながら思う。母からは作りの詰めが甘いとよく言われていたものだが、自分ですること自体はよく今日まで続けたものだ。
性根のけちんぼに燃料価格の高騰が拍車をかけて、部屋でのものいじりが休日の楽しみになっている。機械修理ははんだごてを使いこなし、車も自分で部品交換するようになった。できることを増やすために道具を買いあさり、狭いワンルームには物が増える一方である。 6月18日、念願だった野菜の直売所を、ビッグウイングに向かう大きな通り沿いの畑に開設しました。 自家用で食べきれない分を売る程度なのですが、化学農薬を使わず、種類が多いというのが特長です。 ほぼ100円で、初めてということもあり、当初の目標は1万円だったのですが、11月までの開設で743件、72,000を超える売り上げを計上しました。肥料や資材などの経費をほぼまかなえるくらいの金額です。 数が出たのはトマト、キュウリ、インゲンなどの夏野菜ですが、時にはブルーベリー、いちじく、あけび、山形のだしセットなど、その日限定のものも。買いに来たお客さんと話すこともあり、そんなコミュニケーションも楽しみの一つです。 冬の間は休みとなり、春はふきのとうが初売りになる見込みです。そして、今年の売上目標は、ズバリ「黒字」です。 10月29日から2泊3日の日程で、正寛と由佳は平泉・三陸方面を中心に、岩手県に旅行に行ってきました。 初日は、昼食に名物の餅御前を食べて平泉の中尊寺を拝観。長い上りの月見坂を上り、まずは死ぬ前に見ておきたかった金色堂へ。内部は写真厳禁だったので、地味な覆堂の写真しか撮れませんでしたが、眩しいほどのきらびやかさです。金色堂は九百年に当たる年で、記念の御朱印も頂けました。 二日目は中尊寺のすぐそばにある庭園の美しい毛越寺、磨崖仏のある達谷窟へ行き、陸前高田にまわって大船渡温泉で宿泊。レンタカーを借りたので、なんとか奇跡の一本松を見ることができました。流された松林は新たに植林されて、堤防から見下ろす海沿いに、若木が青々と広がっていました。 三日目は三陸鉄道へ。盛駅から釜石駅まで往復の短い区間でしたが、「あまちゃん」のラッピング電車に乗車し、震災後開通した時の感動を思い起こしながら、楽しく乗ることができ、釜石では遠目に大観音も拝むことができました。 心残りは、わんこそばが食べられなかったこと。今度はもっと北まで三陸鉄道で行き、瓶丼とそばを堪能したいと思いました。 二人で泊まりがけのレジャーは、コロナ以後初めて。元気なうちに、二人であちこち出かけたいものです。 (正寛筆) どこへ出かけても「ポケモンGO」を楽しむ由佳。この旅では毛越寺の駐車場にクレセリアとルナトーンの「ポケふた(ポケモンが描かれたマンホールのふた)」があることに気づいた。岩手県と宮城県は、ポケふた先進県だったのだ。 由佳が探すと、三陸鉄道盛駅の前にもサイホーンのポケふたがあった。また、旅の終盤、仙台駅の近くにもラプラスとジラーチのポケふたがあることがわかった。私は駅の近くで用事があったので、別行動で落ち合うことにしたのだが、由佳は戻ってきた仙台駅で目的のホームがわからずに右往左往していたらしい。発車直前に「今乗ったけど、満員で動けない」というメッセージが届くまで冷や冷やしながら待つはめになった。 山形の給湯器が古くなり、いつ壊れてもおかしくない状況だったので、補助金が出るのをきっかけに、思い切って交換しました。電気でお湯をため、足りなくなったらガスでわかすというものです。給湯器交換でほっとしたのもつかの間、今度は二度続けて空調システムにエラーが。幸い直りましたが、もう二五年近く経つことを考えると、部品もないし替え時なのでしょう。この冬だけは持つように、と祈っています。 山形には時代雛が多いせいもあってか、ひなまつりの季節になると、あちらこちらで雛展示のイベントがあり、心が浮き立ちます。三月十四日には、和佳ちゃんと由佳で天童の雛展示を楽しんできました。 個人宅で開放している「ふうやのひなあそび」では、女びなが三人官女とビール片手に「女子会」をしている姿があり、びっくり。織田の里歴史館では、多くの時代雛や押し絵の雛飾りを鑑賞しました。まだ知らない雛文化がたくさんある山形。毎年違う楽しみに出逢えそうです。 収穫は六月。ちょうど熟しはじめの時に由佳が東京に行ったので、数房実ったうち、熟したものを少し山形に持ち帰りました。 冷凍しておいて、後日田朗も試食、「うん、小さいけど給食のびわの味」とコメント。今年も少しは実ってくれるかな。 |