2025年1月1日,第141号


 今年は年末に穂香が英寿さんとともに山形に帰省し、田朗も例年通りに来て、5人で賑やかな年越しとなりました。
 昨年は穂香の結婚を始め、米山家としては祝い事が多かったものの、世界的には天災、戦争、政変など、穏やかとは言えない一年でした。
 今年は平和で喜びの多い一年となりますように。

穂香&英寿さん挙式
大阪のホテルの教会で

 穂香と英寿さんは一昨年八月に入籍を済ませていましたが、昨年1月19日(金)、大阪のアルモニーアンブラッセウエディングホテルのチャペルで結婚式を執りおこないました。式も披露宴も参列は身内のみでしたが、当日は1組だけというゆったりした空間で、暖かな良い式となりました。
 山形では横山家をサテライト会場に、横山一家と金代ばあちゃんがオンラインで式に参加。リアルタイムで映像を見ながら会話もでき、喜びを共にしました。

 翌日は新郎新婦の案内で万博記念公園に行き、太陽の塔の中に入るなど、米山家みんなで楽しんで帰りました。

 新婚旅行は九州方面。別府の地獄巡りや博多の屋台など、二人で楽しんできたようです。いつまでも仲良くね!


正寛のネイチャーウォッチング(75)
〜畑の雑草と暮らす〜

 山形へ移り住み、妻と二人で広さ約8アールの畑を管理することになった。いずれも自宅の近くだが三カ所に分かれており、個人的にはそれぞれ裏の畑、道沿いの畑、クルミの畑と呼ぶようになってきた。
 管理と言っても、日々の見回りと収穫はもっぱら妻の仕事だ。「だって、それをするために実家に帰ってきたんだから」と意気込んでいる。でも畑を耕したり、作物の播種や苗の定植、支柱立てやネット張りなどは二人でやった方が効率は良い。だから、うまく協力しながらキュウリやトマトなどの夏野菜、白菜や大根といった秋野菜をはじめ、いろいろな品目の栽培に取り組んでいる。

 我が家のこだわりは有機・無農薬。わずかな規模なので公的な認証を取得するつもりはないが、有機系の肥料を使い、害虫防除はもっぱら「必殺テデトール」(ひたすら手で取る)に頼っている。除草剤も畑には使用しないため、畝や通路がたくさんの雑草で緑に彩られてしまうことはしばしばだ。
 春先から初夏にかけては、まだ作物が小さいだけに、どんな雑草も手ごわい強敵と思えてくる。盛夏を迎えるころには、背がどんどんと高くなって作物を圧倒する怪物や、縦横に長いつるを伸ばしてはびこる厄介者も現れる。だから作物の収穫に悪影響を及ぼすような雑草は、私たちが引き抜いたり、掘り取ったり、刈り払ったりすることになる。

 でも、そんな雑草たちの間でさまざまな昆虫や蜘蛛、そしてカエルたちを目にすると、それなりに雑草が生えている畑も良いのではないかと思えてくる。最近は植物と生き物が共存する里山菜園がNHKの「趣味の園芸 やさいの時間」でシリーズ化されているくらいだから、雑草のある畑もそれなりに市民権を得るようになってきたようだ。
 山形の畑で雑草を眺めていると、春はハコベやオオイヌノフグリの小さな花に心踊るし、初夏から咲くドクダミやツユクサ、スベリヒユの白や青、黄の花にも目が引き寄せられる。夏から秋にかけて現れるエノコログサの穂やイヌタデの赤い花からは、それらをおもちゃのようにして遊んだ幼い頃を懐かしく思い出す。強敵や怪物や厄介者であっても、また別の顔を備えているのだということに、ふと気付かされる。

 こうした雑草には日本に元からいる在来種もあるし、明治や昭和の時代に国内へ侵入した外来種も多い。三カ所の畑では、どうやら過去に何を植えていたか、どのように管理していたかといった利用履歴の違いに応じて、現れる雑草の種類が異なっているらしいことにも思い至った。身近に現れる雑草たちを通して、自然や歴史への理解を深めていくことが、こちらでのささやかな楽しみになってきた。


2024年を振り返って

穂香は
 二十代最後となる2024年。仕事・私生活ともに非常に充実した一年となった。
 1月には大阪で結婚式を行った。親族のみの小規模な結婚式であったが、終始暖かな雰囲気が流れ、思い描いていた通りの結婚式を挙げることができたと思う。リストブーケや会場に飾るリースを用意してくださった新郎側親族、遠方からわざわざ来阪してくれた米山家側の親族はじめ、来てくださった方にはこの場を借りて改めて感謝を述べたい。

 結婚式後は新婚旅行のため福岡・大分へ。博多の屋台で飲んでみたい!という私の熱烈なリクエストに答える旅程である。福岡ラーメンにもつ鍋、屋台のおでんに大宰府の食べ歩き…結婚式に向けて行ったダイエットが帳消しになったことは言うまでもない。福岡グルメを堪能した後は特急に乗って大分・別府へと移動し、こちらも行ってみたかった地獄めぐりを楽しんだ。運悪く最強寒波が襲来しており、もう寒い寒い…だからこそ、時折入る足湯がまるで天国のように感じられた。地酒をはじめお土産もたっぷり買い込み、思い出に残る一週間であった。

 その他10月には愛知県にあるジブリパークへ遊びに行くなど、私たち夫婦にしてはフットワーク軽く旅行に出かけた一年であった。47都道府県制覇を目指して、これからも時間があればお出かけをしていきたい。
 また職場では店舗から本部へと異動し、慣れないながらも刺激のある日々を送っている。自身の足らずに落ち込むこともあるが、それを補うための資格勉強を行うなど前向きな行動をとることができているので、これからも継続していきたい。

 ついに三十代へと突入する2025年。年齢が区切りとなるとは感じていないが、自然と背筋が伸びる心地である。夫婦ともに、楽しく日々を過ごしていきたい。
実里は
 昨年一部不合格だったため再受験をした実験動物技術者一級の資格試験に無事合格しました。今年ずっと頭の片隅を占めていた懸念事項だったため、ほっとしています。
 また、今年は人との再会の機会に恵まれた年でした。大学の友人や親族の新たな門出をきっかけに顔を合わせたり、高校の同窓会やゼニガタアザラシセンサス五十周年記念シンポジウムなど、イベントが開催され懐かしく語らうこともありました。以前は時を経て久しぶりに会う行為に対し、気負いすぎてしまうため苦手意識がありました。しかし今年は肩の力を抜いてその場にいる自分がおり、自身の内面の変化も感じられて嬉しかったです。

 2025年も結果に対して悔いのない選択を積み重ねていく年にしたいです。
田朗は
 社会人になって4年が経とうとしている。人生二度目の富士登山に中学生とともに挑戦したり、関わった団体が総務省の表彰を受けたりと山形の外に出ることや、私の裁量で動く仕事も増え、目新しいわけでは無いものの毎日せわしなく動いている。

 この一年で力をつけたことは、けちんぼである。私生活でも業務上の予算でも、お金のやりくりに頭を悩ませる毎日だ。さらに自分でできる範囲のことで他人を頼るのが極端に苦手であるのも大きい。ないものは作ればいい、あるもので代用すればいい、できることは自分でする、柔軟に見えて頑固な思考だと我ながら思う。母からは作りの詰めが甘いとよく言われていたものだが、自分ですること自体はよく今日まで続けたものだ。

 性根のけちんぼに燃料価格の高騰が拍車をかけて、部屋でのものいじりが休日の楽しみになっている。機械修理ははんだごてを使いこなし、車も自分で部品交換するようになった。できることを増やすために道具を買いあさり、狭いワンルームには物が増える一方である。


野菜の直売所開設
道路沿いの畑の隅で

 6月18日、念願だった野菜の直売所を、ビッグウイングに向かう大きな通り沿いの畑に開設しました。
 自家用で食べきれない分を売る程度なのですが、化学農薬を使わず、種類が多いというのが特長です。
 ほぼ100円で、初めてということもあり、当初の目標は1万円だったのですが、11月までの開設で743件、72,000を超える売り上げを計上しました。肥料や資材などの経費をほぼまかなえるくらいの金額です。
 数が出たのはトマト、キュウリ、インゲンなどの夏野菜ですが、時にはブルーベリー、いちじく、あけび、山形のだしセットなど、その日限定のものも。買いに来たお客さんと話すこともあり、そんなコミュニケーションも楽しみの一つです。
 冬の間は休みとなり、春はふきのとうが初売りになる見込みです。そして、今年の売上目標は、ズバリ「黒字」です。

正寛&由佳岩手二人旅
平泉と三陸鉄道など2泊3日

 10月29日から2泊3日の日程で、正寛と由佳は平泉・三陸方面を中心に、岩手県に旅行に行ってきました。
 初日は、昼食に名物の餅御前を食べて平泉の中尊寺を拝観。長い上りの月見坂を上り、まずは死ぬ前に見ておきたかった金色堂へ。内部は写真厳禁だったので、地味な覆堂の写真しか撮れませんでしたが、眩しいほどのきらびやかさです。金色堂は九百年に当たる年で、記念の御朱印も頂けました。
 二日目は中尊寺のすぐそばにある庭園の美しい毛越寺、磨崖仏のある達谷窟へ行き、陸前高田にまわって大船渡温泉で宿泊。レンタカーを借りたので、なんとか奇跡の一本松を見ることができました。流された松林は新たに植林されて、堤防から見下ろす海沿いに、若木が青々と広がっていました。
 三日目は三陸鉄道へ。盛駅から釜石駅まで往復の短い区間でしたが、「あまちゃん」のラッピング電車に乗車し、震災後開通した時の感動を思い起こしながら、楽しく乗ることができ、釜石では遠目に大観音も拝むことができました。
 心残りは、わんこそばが食べられなかったこと。今度はもっと北まで三陸鉄道で行き、瓶丼とそばを堪能したいと思いました。
 二人で泊まりがけのレジャーは、コロナ以後初めて。元気なうちに、二人であちこち出かけたいものです。
(正寛筆) どこへ出かけても「ポケモンGO」を楽しむ由佳。この旅では毛越寺の駐車場にクレセリアとルナトーンの「ポケふた(ポケモンが描かれたマンホールのふた)」があることに気づいた。岩手県と宮城県は、ポケふた先進県だったのだ。
 由佳が探すと、三陸鉄道盛駅の前にもサイホーンのポケふたがあった。また、旅の終盤、仙台駅の近くにもラプラスとジラーチのポケふたがあることがわかった。私は駅の近くで用事があったので、別行動で落ち合うことにしたのだが、由佳は戻ってきた仙台駅で目的のホームがわからずに右往左往していたらしい。発車直前に「今乗ったけど、満員で動けない」というメッセージが届くまで冷や冷やしながら待つはめになった。


給湯器交換
補助金利用でエコ給湯

 山形の給湯器が古くなり、いつ壊れてもおかしくない状況だったので、補助金が出るのをきっかけに、思い切って交換しました。電気でお湯をため、足りなくなったらガスでわかすというものです。給湯器交換でほっとしたのもつかの間、今度は二度続けて空調システムにエラーが。幸い直りましたが、もう二五年近く経つことを考えると、部品もないし替え時なのでしょう。この冬だけは持つように、と祈っています。

天童の雛まつり
女子会雛に驚愕!

 山形には時代雛が多いせいもあってか、ひなまつりの季節になると、あちらこちらで雛展示のイベントがあり、心が浮き立ちます。三月十四日には、和佳ちゃんと由佳で天童の雛展示を楽しんできました。
 個人宅で開放している「ふうやのひなあそび」では、女びなが三人官女とビール片手に「女子会」をしている姿があり、びっくり。織田の里歴史館では、多くの時代雛や押し絵の雛飾りを鑑賞しました。まだ知らない雛文化がたくさんある山形。毎年違う楽しみに出逢えそうです。

田朗びわ結実
 田朗が九歳の時に給食で食べたびわの種を植えて十六年、小平の家の裏で、ついに初めて実をつけました。
 収穫は六月。ちょうど熟しはじめの時に由佳が東京に行ったので、数房実ったうち、熟したものを少し山形に持ち帰りました。
 冷凍しておいて、後日田朗も試食、「うん、小さいけど給食のびわの味」とコメント。今年も少しは実ってくれるかな。

和箪笥修理
 離れの建て替えで修理に出していた和箪笥が、三月に修理を終えて戻ってきました。金具もぴかぴか、欠けや穴もふさがって、見違えるようです。修理費は勇気が要るほどの価格でしたが、ほぼ百年経つアンティーク。きれいになって、あと百年は持ちそうです。

由佳携帯買替え
 由佳の携帯が、支障が出るほど動かなくなってきたので、5月8日にドコモで買い替えました。機種はGalaxyS24です。反応が遅くて困っていた支払いアプリやポケモンGOが快適になりましたが、その分読み込む情報量が増えたかも?一ギガだった契約を三ギガにして正解でした。

薪棚完成
 正寛懸案だった薪ストーブ用の薪棚が、苦労の末四月に完成しました。車庫を圧迫していた薪がある程度収まるところに収まり、「薪ストーブのある家」らしくなってきました。乾くまで二年かかるという薪。棚はまだまだ足りないらしく、正寛は「次はどこに…」と画策中です。




登場人物紹介

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