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Midnight Express Aug.26

 翌26日は仕事があるので、今日は帰らねばならない。しかし結局、競技終了は20時を大きく回ってしまい、46分の新大阪行最終「ひかり」は、ほぼ絶望の状況。取りあえず博多駅へ出て、善後策を考えた結果、「こだま」小倉乗り継ぎ「彗星」が、大阪には一番早く着くので、特急・寝台券を買って、「こだま」で小倉へ。夜行往復とはしんどいが、選択の余地はない。小倉で少しばかり時間が余ったので、門司港まで往復。423系簡易冷房車の車内は薄暗く、とりわけ喫煙車など、絵に描いたような「場末」の雰囲気である。しかるのち、「彗星」B寝台上段に身を投げた。


 26日朝、目覚めは姫路。100回近く(当時)夜行列車に乗っている私であるが、山陽夜行の上り・寝台というのは初体験であった。まあ常識的に考えても、行きは夜行でも、帰りは新幹線、というのが、人間の行動パターンとして「普通」である。(中央東線の増発パターンなど、示唆的)
「彗星」の特徴として、神戸停車、三ノ宮通過、というのがある。いい加減、両方停めればいいようなものだが、これは、戦後初の山陽特急「かもめ」新設に際し、上下列車で停車駅を分けたことに端を発するものである。その後は列車増発によって、列車毎に停車駅を振り分けるようになり、現在の神戸停車=「彗星」に落ち着いたのは、確か1978年10月改正時だったと記憶している。当時はそれでも数往復あった「彗星」も、今では1往復のみ。「彗星」自体、現在の山陽寝台特急トリオ中、最も利用者の少ない列車であるから、多分に儀礼的な意味合いが強い「神戸停車」である。もちろん別に、始発・終着の「スーパー雷鳥」はあるにしても。

 震災の傷跡いえぬ神戸市内を通過し、ラッシュ前の大阪に定刻到着。

 そして、その夜、「こだま」岡山乗り継ぎ「なは」で博多へ舞い戻る。せめて大阪から乗ろうと思っていたのだが、時間的に厳しく、こうなってしまった。

 どうでもいいが、これだけ夜中ばかり動いていると、飢える。弁当など期待するべくもないし、日中は日中で、行列ださんにっぱだとやっていては、食事のことにまで回す「気」とヒマはない。岡山駅ホームの自販機で「たこ焼き」とビールを買い、「なは」のオハ24・ミニロビーで夜食とする。もちろん、今夜も座席である。



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