なくなっており、豪農と領主権力との間の溝が急速に深まってきた状況の中で、豪 農が二者択一的に選んだ政治勢力は、一般的には尊王攘夷派(あるいは討幕派)の 方であったと考えられる。(註1) 以上のように、関東においては尊王攘夷派と結びつく豪農層が一般的であったの であるが、その中で江川太郎左衛門支配下に代表されるように多摩地方の豪農たち は尊王攘夷派とは結びつかず、領主権力と結びつくことにより農兵政策を押し進め、 世直し層との対決の方向を示した。さらに後になって、日野宿や小野路村の農兵隊 は官軍とも戦うことになる(小野路村の農兵隊は実際には戦火を交えなかった。)。 この多摩地方こそ、前述した新選組の幹部や後援者の出身地であった。武州多摩郡 の特殊性はいったいどこに起因するのであろうか。そのことについて考えていきた い。
左上写真・・・・・近藤勇の書 「新選組写真集」新人物往来社より (註1)高木俊輔「明治維新草莽運動史」191-204頁。高木俊輔「維新史の再発掘」(NHKブックス) 74-79頁。佐々木潤之助「世直しの状況」(「講座日本史」第五巻所収)
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