2007年「アメリカの旅」(後編)

七月☆子、キトリの「ニューヨークお上り旅行(2007)」

(その4)

7月3日(火)

   楽しかったアメリカ旅行でしたが、今日はついに帰国の日。

 朝8時にタクシーを拾い、ハリウッド近くにある「H&Hベーグル」へベーグルを買いに行くことにしました。

乗ったタクシーはイスラム系黒人運転手だったのですが、全く場所が分からず、携帯電話で会社に問い合わせをしていました。

私たちも車の窓から目を皿にして、建物に付いているナンバーを見ていました。

やっとのことで店に着き、シナモンレーズンベーグルを朝食用に1つ買いました。

キトリは自分用に数個のベーグルも買いました。

この店のオリジナル・豆腐チーズがなかったのは、とても残念でした。

 9時半少し前にホテルをチェックアウト。タクシーでJFKに向かいました。

その時乗ったタクシーの運転手はインド人だったのですが、二人でお喋りをいていたら、その声が耳障りだったのでしょうか、3回にわたり、ラジオのボリュームをどんどん上げていくのです。

その音がうるさくて、お互いの声が全く聞こえませんでした。

ニューヨークではよくタクシーに乗りましたが、運転手さんが個性的(というよりも、恐ろしいと言った方が適切な表現かもしれませんが)なのには感動すら覚えました。

 飛行場に着き、キトリは国内線(ロスに戻るので)に荷物を預けに行き、私は全日空のカウンターで発券をしてもらいました。

全日空ですが、グランド乗務員はほとんどアメリカ人です。

拙い英語で、「エコノミーをビジネス(エコノミープレミアム)に替えて欲しい」と言ったところ、今回に限り無料で交換する、と言います。

ラッキー! 私の酷い発音で通じたということは、日本の航空会社のアメリカ人乗務員は、さすがにジャパニーズ・イングリッシュにはたけているようです。

 キトリとは国際線出発ロビーで別れました。

今度会うのは1年後の卒業式かな。元気でね、キトリちゃん。お世話になりました。

 ゲートを確認した後、免税店に行きました。

たった3店しかなく、少なさにびっくり。

店内を見ていたら、「Natsuko」と自分の名前の呼び出し放送が流れているような気がしましたが、英語アナウンスだったので自信がなかったこともあり、無視することにしました。

15分ぐらいたった時、今度は日本語のアナウンスが流れ、確かに私の名前を呼んでいます。

全日空のインフォメーションカウンターに来るようにとのアナウンスです。

すぐにカウンターに行き、チケットをエコノミーからビジネスに替えてもらいました。

 搭乗時間が近くなったので、トイレに行くことにしました。

この時、予想だにしない大変な事態が起こりました。

トイレの個室のドアが開かなくなってしまったのです。私は、

「エクスキューズ ミー!」

 と、ドアを叩きながら叫びました。

その声を聞きつけて、アフリカ系アメリカ人の女性清掃作業員がやってきました。

しかしドアは開きません。

彼女は、係の者を呼んでくる、と言い残し、去って行きました。

(もちろん再び戻ってくることはありませんでした。)

搭乗時間まで、あと15分しかありません。

なんとかドアを開けようと、ドアをがたがた揺すっていたら、

「日本の方ですか?」

 と若い女性が日本語で声をかけてくれました。

ドアの向こうから開け方を教えてくれたのですが、ドアはびくともしません。

するとその女性はおもむろに隣のブースに入り、壁越しに上半身を乗り出して、

「鍵を左に回して下さい。回しながらドアを押してみて下さい」

 と開け方を指示してくれました。

言われたとおりにやってみたら、無事ドアが開きました。

ドアが開いた時の嬉しかったこと。

心より感謝しています。ありがとうございました。

 12時20分に搭乗。入ってすぐのところで、すでに購入していた免税品を受けとりました。

座席はビジネスに替えたので、完全リクライニングシート。

もちろん食事もサービスもビジネスで、日本までの帰路は快適そのものでした。

  
yoshinoya tribecagrill
ニューヨークの
吉野家
ロバート・デ・ニーロ
のイタリア料理店
トライベッカ・グリル

(写真をクリックすると大きい画像が楽しめます。)

※七月☆子、キトリの「ニューヨークお上り旅行(2007)」を元に、『2007年「ニューヨークお上り旅行」』という作品を書きました。
 興味がおありの方は、 自分史実験室 第3部・10枚以上作品をご覧下さい。

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(前編)七月☆子の「ロサンゼルス滞在記(2007)」
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