火鉢の上のおかき
「おばあちゃん、ただいまぁ」 小学校から帰った私は、すぐに祖父母のいる部屋に走っていった。 同じ敷地内で、両親と妹と私は新宅に、祖父母は本宅に住んでいる。この二軒は廊下一本で繋がっており、その廊下添いには、共同で使うお風呂、洗面所、物干し場などがあった。いわゆる二世帯住宅のはしりである。本宅に続く廊下の入り口には、ぶ厚い鉄の扉があった。この扉を閉めると、新宅と本宅を完全に隔てることができる。しかし実際には、扉が閉められることはほとんどなかった。 祖父は脳溢血の後遺症のため、寝たり起きたりの日々である。言葉はほとんど話せず、手足も不自由だ。祖父は、サンルームに置いてある肘掛け付きの籐椅子に座っている。暖かな日差しに包まれて、うつらうつらとしているようだ。 祖母はサンルームの前の八畳の和室に正座し、熱心に雑誌に見入っていた。私は、すぐにピンときた。クロスワードパズルを説いているのだ。祖母は『サンデー毎日』の愛読者で、この雑誌に載っているクロスワードパズルを解くのが趣味だった。 ウィキペディアによると、日本語のクロスワードパズルは、1925年3月『サンデー毎日』誌に連載されたのが最初だそうだ。毎週「ラッキー・サンデー・クイズ」というページがあり、そこに問題が載っている。「昭和38年5月12日特大号(特価50円)」の第354回ラッキー・サンデー・クイズの解答と正解者の発表を見ると、応募数126491通、うち正解は39通しかなかった。「賞金10万円を等分して2570円ずつをお贈りします。」と書いてある。 他の回をいくつか見ても、応募数12万〜15万人、正解20〜700ぐらいであるから、かなり難しいクイズであったと思われる。 祖母は全問説き終わると、雑誌に付いている応募はがきにインクで解答を書き込み投函するのだ。私は一度、インクが乾いていないはがきを指で触って、せっかく書いた解答を読めなくしてしまったことがある。もちろん見つかる前に祖母のもとを逃げ去ったのだが、そこは子どもの浅知恵、母に報告され、叱られた苦い経験がある。次の日に、祖母は雑誌と全く同じクロスワードパズルを、黒インクと定規を使って、官製はがきに書き写していた。私はこのことがあってからは、祖母のかいた応募はがきには、絶対に手を触れない。 祖母は、全問正解者として雑誌に名前が載ったことがあるのだろうか。そのような話を祖母から聞いた記憶はない。 「おかえり。ちょっと待っといで。おかき、焼いてあげますよって」 八畳間の押し入れの中には、3〜4種類の生おかきが入った一斗缶が入れてある。祖母は火鉢の上に餅網を載せてから、4枚のおかきを取り出した。それらは餅網の上に行儀よく並べられた。しばらくすると、固くて薄いおかきが、お餅のようにふっくらふくらむ。焼きたては、ぱりぱりもちもち、本当に美味しい。 「今日、五分間走(ごふんかんそう)やったんだよ」 「五分間走って何ですの?」 「朝礼の時間にね、みんなで駆け足するの。1、2年生が一番内側のコースを走って、私たち3、4年生は真ん中のコースを5分間走るんだよ」 「そうかいな。そういうたら、おばあちゃんな、小学校の時、走るん早かったんやで」 「へぇ、本当?」 「運動会のかけっこでは、いっつも一番やったんえ。おばあちゃんが走ると、『山田さーん(祖母の旧姓)!』って、みんなが手を振って応援してくれはるよって、……」 自慢げに話をする祖母は、和服を着た白髪の小柄なおばあちゃんである。かけっこでトップを走る少女時代の祖母 ― 残念ながら、どう逆立ちしても、私には若き日の祖母の姿を想像することはできそうにない。 |
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