Trans Malayan Ekspres


8:05発スラタニ行き43列車の案内

2012年9月17日月曜日、午後4時過ぎ。マレーシアのジョホールバルを発車した「EKSPRES SINARAN SELATAN」号は、ジョホール海峡の土手道を走り、ほどなく対岸のウッドランズ・チェックポイントに到着した。2泊3日に及ぶマレー半島縦断の終焉を迎えた…。様々なトラブルがあったようで、取るに足らないことばかりでもあるし、長いようであっという間の距離でもあるし、いろいろな矛盾した気持ちが交錯した。チャンギ空港に向かう満員のMRTの中で、無為な時間をやり過ごすため、ちょっとこの旅を振り返ってみることにした…。

そもそもバンコクからシンガポールに抜けるマレー半島縦断鉄道の旅は、その区間をそのまま「イースタン&オリエンタル・エクスプレス(E&O)」が運行しているように、かなりメジャーな旅のルートである。私も「いつかは行ってみたい…」とずっと思っていた。その発露が2004年に行った二つの旅行だった(バンコク編クアラルンプール編)。そして今回の旅で、永年の念願が叶った。

マレー半島縦断に旅立つ筆者。バンコク駅にて


韓国大宇重工製のディーゼル特急は2両編成

さて、超豪華なE&Oに揺られると、バンコク→シンガポールは片道20万円程度と費用もバカにならない。そのうえ欧米のセレブな夫婦ばかりの列車に、バックパックを背負ったオッサンのひとり旅では周囲から浮いてしまうこと間違いなしである。というわけで、現地の方が気軽に乗っている特急列車の2等車を乗り継いで、マレー半島を縦断した。このパターンなら、行程の中で2等寝台で1泊車中泊をしても、キップ代は日本円で5,000円にも満たない。いわば20分の1の値段で同じ車窓が楽しめるわけである。

ひと昔前なら、タイ国鉄もマレー鉄道もキップは現地購入が原則で、日本で手配しようとすると、多額の手配料を支払って日本の旅行代理店に依頼するか、現地の旅行社と気の遠くなるようなやり取りをして手配するか、はたまた一発勝負で現地購入に賭けるかしかなかった。現在では両鉄道とも英語のWEBサイトを持ち、60日前からeチケットなるキップを簡単に手配できてしまう。いっちゃなんだが、新幹線のキップをWEBで購入するのに、○○カードが必要な、どこぞの国より誰でも簡単に列車のキップを買えてしまうのである。

ところでバンコク→シンガポール間約1,900`を、鉄道で最短で行く場合の行程は次のようになる。まず、バンコク発22時50分発の夜行に乗り、翌日の昼間にタイ南部のハジャイに到着。3時間半ほどの待ち合わせで、ハジャイ16時発の夜行国際特急に乗車し、クアラルンプールに翌朝5時半に到着。最後に朝9時のシンガポール行き特急に乗り、終着には16時到着。都合2泊3日、31時間10分の旅路となる。私も当初この行程で行こうと思ったが、日本との往復の飛行機も含め、4夜連続で車中(機中)泊となってしまう。さすがにこれでは体力的につらかろうと思い、途中のスラタニで1泊した。すなわち、実際の行程は、バンコク8時05分発→<タイ国鉄43列車>→スラタニ16時45分着…<スラタニ泊>…スラタニ8時15分発→<タイ国鉄41列車>→ハジャイ12時34分着/16時発→<KTM Senandung Langkawi号(車中泊)>→5時30分着/9時発→<KTM Ekspres Sinaran Selatan号>→シンガポール16時着となる。

そんなわけで、9月三連休の前夜、例によって勤務終了後に新幹線に飛び乗り、羽田空港から夜行便でバンコク・スワンナプーム空港へと飛んだ。時差の関係で朝5時前に到着し、エアポート・レール・リンクの始発を待って市内に向かった。5つめのマッカサン駅で下車し、地下鉄のペッチャブリー駅に向かったが、接続駅と言いつつも踏み切りを越えたりして、荷物をゴロゴロやりながらかなり歩かされた。ペッチャブリーからは地下鉄を20分ほど乗車し、フワランポーンに到着した。

タイの首都バンコクの中央駅は通称フアランポーン駅と言われている。しかし、タイ国鉄における正式な名称はクルンテープ駅であり、時刻表も行先表示板もタイ語ではこの表記となっている。そのフアランポーン駅には朝7時ころ到着。出発まで時間があったので、駅の構内をぶらぶらと歩いてみた。

この駅は頭端式ホームを持つ典型的な櫛形のターミナルで、全ての列車は北に向けて出発していく。ホームは7本14線あり、一部を除いて大きなドームの下にある。また、前回ここに来た時には気付かなかったが、トイレは有料で、関所に係りの人がいて、2バーツずつ徴収していた。この有料トイレはタイ国鉄共通らしく、この後スラタニでもハジャイでも有料となっていた(ともに利用料3バーツ)。

7時45分ころ、ドームの外にある10番線ホームに2両編成の気動車が入線してきた。この列車がスラタニ行き特急43列車になるらしい。低いホームから「よっこらしょ」とステップを昇り車内に入ると、2列+2列のリクライニングシートが並んでいた。見た目は日本の在来線特急に瓜二つだが、メンテナンスが行き届いてないらしく、テーブルが前の席のシートに固定しない。シートの表地もビニールなので、ちょっと蒸れそう。それでもタイにおける2等車の旅は、戦後すぐの在来線の混乱をイメージしていたので、いい方に裏切られた感じだった。

定刻8時5分を数分過ぎたころ、高らかに警笛を鳴らし列車はホームを離れた。しばらくはバンコク市街をしずしずと走り、「かなり走ったな」と駅名表を見ると、さっき乗車した地下鉄ブルーラインの一方の終点バーンスーだったりと、なかなかバンコクから抜け出せない。1時間ほど経過してようやく緑が目立ってきた。

首都圏を抜け出し、車内が落ち着いたところで女性の乗務員が各シートを回り、ケーキのパックと飲み物をサーブしていった。チーズケーキとクリームパンのセットで、なかなかの美味だった。驚いたのは、それから2時間も経たないうちに弁当が配られたこと。ケーキも弁当も翌日のハジャイ行きでもサーブされたので、タイ国鉄特急共通のサービスだろう。

ところで、車内はほぼ満席にも関わらず、私の隣の席には誰も座らない。というのも、横並びの2席とも私が押さえているからである。バンコク〜スラタニのキップ代は1人1,576円。8時間以上も見知らぬ外国人と相席で座っていることを思えば、余分にもう1人分キップを買っても安いものである。ちなみにJRでこれをやると規則違反になり、1席没収されてしまうが、タイ国鉄やマレー鉄道は運賃込みの料金設定なので大丈夫らしい(少なくともキップを2枚見せてもお咎めナシだった)。弁当が2つ配られたのも、キップを2枚持っていたためである。さすがに同じ弁当を2つも食べられなかったので、1つはありがたく夕食に回させてもらった。


タクシー車内からホテルを撮影


予約したシートに座るとほどなくケーキが出る


ランチタイムには弁当が。2席予約のため2個


タイ国鉄南本線沿線では牛の放牧が随所に


JR西日本の軽特急に外観も室内もよく似ている


650`の距離を実質10時間かかって終着へ


市街地と10`以上離れているスラタニ駅


ダイヤモンドプラザホテルの部屋からの眺望


治安情勢が不安定な南部へ向かう特急列車


幌無しの連結部分が喫煙コーナー(黙認?)


レベル2の町、タイ南部ハジャイに到着


タイ国旗を大胆にあしらった駅舎

閑話休題。列車は順調に南下を続けていたが、地図も時刻表も持たずに乗っているため、どこを走っているのか全く見当が付かなかった。車窓は、熱帯雨林と牛の放牧と小さな町の繰り返し。この繰り返しは少しばかり居眠りしてもパターンが変わらず、酒の力を借りなければ、どうにも耐えられなかったと思う。そのうちスラタニ到着予定の16時45分を過ぎたが、終点に到着する素振りは全く感じられなかった。結局、定刻に1時間以上遅れた18時ころ終点スラタニに到着。慢性的な遅れを出すタイ国鉄としては、いい仕事をした方かもしれない。

さて、スラタニ駅とスラタニ市街地は12〜3`離れていて、いわば別の町である。スラタニ市街にある「ダイヤモンド・プラザ・ホテル・スラタニ」を予約していたので、当然交通機関のお世話になる。現地の路線バスをいきなり乗りこなすのは無理なので、タクシーを拾おうと駅前のタクシー乗り場で声を掛けてみた。すると、数人いた運転手のうち、最も英語が堪能な人が私を乗せることになり、行灯もメーターも付いていない一見普通のセダンに乗せられた。ボラれてはいけないと身構えたが、後から考えれば気のいい運転手で、ホテルには15分ほどで到着。160バーツ支払って降りた。

「後から考えれば…」というのは、翌朝ホテルのドアマンにタクシーを頼んだ時にイヤというほど痛感したことである。ホテルから駅に戻るため、ホテルの目の前にあるバス停からエイヤっとバスに乗ってしまう手もあったが、大事をとってタクシーにしようと思ったのが運の尽き。ちゃんとした立派なホテル(っぽい)にも関わらず、玄関前に客待ちをするタクシーはおらず、ドアマンに駅までのタクシーを依頼した。タクシーがホテルに着き、私はタクシーに乗り込んだが、その後運転手はなかなか運転席に座らず、クルマの後ろでドアマンと話し込んでいた。ようやくホテルを出発し、猛スピードで私を駅まで運んでくれたのは良かったが、代金を聞くと500バーツだという。私は200バーツだと主張したが埒が明かず、運転手は件のドアマンに電話し、私に携帯を差し出し、話せという。怒りの頂点に達していた自分は日本語で文句を言い、当然解決せずに再び運転手と押し問答。運転手が「それならホテルに戻る」と言ったのをシオに観念し、500バーツ支払ってタクシーを降りた。タクシーに乗る前に料金を聞かなかったのがそもそもの間違いだったが、まぁボラれても日本円で1,300円程度である。しかし、これから乗車する特急列車なら、500バーツも出せば300`先のハジャイまで行ってお釣りがくる貨幣価値である。私は、ちょっともやもやした気分で列車を待った。

スラタニを8時15分に発車する特急41列車は、前夜バンコクを発った夜行列車である。そのため「どれだけ遅れてくるか分からんぞ」と身構えていたが、わずか20分の遅れでスラタニ駅3番線ホームに入線してきた。同じく区間を走る昨日の43列車が1時間ちょっと遅れたのを考えると、この差は昼行と夜行の余裕時間の持ち方の差じゃないかと思う。まぁとにかく、途中駅でいつ来るとも知れぬ列車を待つ事態にならなくて済んで良かった。

ハジャイまでの41列車は隣席をブロックできなかった。4時間半くらいの行程なので「隣に誰か来てもまぁいいか」と思っていたが、乗車率5割を切るくらいの状態だったので、最後まで隣に誰かが来ることはなかった。例によって乗車するとすぐにパンケーキがサービスされ、飲み物は何も聞かずにオレンジ・ジュースを持ってきた。すぐさまジュースを飲み干し、残った氷にウイスキーの水割りを注いだ。実は羽田空港の免税店で、ジョニ黒とシーバスの500mlペットボトルを買っていて、旅の間中ミネラルウォーターのボトルに5分の1くらいづつ注いではシェークすることを繰り返していた。おかげで現地では、ビールすら購入することなく、いつでもお酒が飲める状態だった。ちょっと困るのが、水割りがぬるくなることで、こんな感じでたまに氷にありつけると、かなり嬉しいのだ。ちなみに「東南アジアでは氷に気をつけろ」とよく言われるが、この旅を通して腹の調子が悪くなることはなく、胃だけは丈夫だということを改めて感じた。

さて、タイ国鉄もマレー鉄道も客室内は全面禁煙で、私のようなスモーカーは列車に乗っている間ずっとタバコを我慢しなければならないかと思えばそうでもない。というのも、車両と車両の連結部分は喫煙が黙認されているからである。しかし、この連結部分というのがすごいところで、日本のように幌がかかっていない。申し訳程度の柵が備わっているだけである。そのため100`以上で走っていると、猛烈な風を巻き込み、ライターでタバコに火を点けようと思っても全く点かない。そのうち「駅で停まっているときに火を点ければいいじゃん」と気づき、列車が停車しそうになると客室を出てタバコを吸うといのが日課になってしまった。駅の停車時間はわずかなので、走り出すと猛烈な風を受ける。列車から落ちないようにステンレスの柵をしっかり握って、命懸けで(!)タバコを吸うのもまた一興だった。

列車に乗車して2時間が過ぎ、お昼前に例によって弁当が配られた。昨日と全く同じ内容で、激辛のタイ風カレーだった。この辛さがウイスキーに良く合った。弁当を食べ終えると、全くすることがなくなり、ハジャイはまだかなぁと思うようになる。しかし到着予定時刻を過ぎても、全くハジャイに近づく様子がない。この後述べるが、ハジャイにあまり長居したくなかったので、「早く着いて欲しいけど、あんまり早く着かないで」という矛盾する気分で車窓を見ていた。結局、ハジャイには1時間ちょっと遅れて14時前に到着した。

ハジャイに長居したくない理由、それは日本の外務省より「危険情報」が出ているからである。外務省海外安全ホームページによると、ハジャイを含むソンクラー県は「渡航の是非を検討してください。」という地域である。危険情報には4つのレベルがあり、危険な順に「退避を勧告します。渡航は延期してください。」(レベル4)、「渡航の延期をお勧めします。」(レベル3)、「渡航の是非を検討してください。」(レベル2)、「十分注意してください。」(レベル1)となっている。タイ深南部はマレー系の住民が多く、宗教はイスラム教。仏教徒が多いタイからの独立運動があり、2001年からイスラム過激派による武装闘争が激化。今年3月にはハジャイ中心部のホテルで住民を巻き込む爆発テロが起き、3人死亡、350人が負傷というおっかないことがあった。そんなレベル2の町に足を踏み入れるのは初めてで、いい大人がやるこっちゃないのである。ちなみに今降りた列車を仮に寝過ごした場合は、終点がヤラーで、こちらはレベル3。旅の真ん中で、そんな綱渡りのような状況になっちまったわけである。政府から「不要不急の旅はするな」と言われている以上、ほいほいと街歩きに出るわけにはいかず、おっかなびっくりに駅前に出て駅舎を撮影し、あとは駅の構内で次の列車の発車をひたすら待つだけだった。幸いにも、クアラルンプール行きの国際特急が1時間以上前からホームに据え付けられていて、早々に列車の中に逃げ込んだ。まぁ列車の中にいようが、駅舎の待合室にいようがテロへの脅威は変わるわけではないが、列車に乗っていれば気分はクアラルンプールで、変な気を回さずに平穏でいられた。

発車時刻の15分前にディーゼル機関車が先頭に付き、定刻の16時にレベル2の町ハジャイを後にした。今回の旅の最大の懸念材料が無くなり、寝台車のベッドで酒盛りを始めた。予約の時に「どうせ寝るだけだから値段の安い上段にしよう」と思ったのがマズく、下段なら車窓を心ゆくまで楽しめたものを、上段の狭い窓から変な体勢で景色を覗かねばならず、非常に疲れた。まぁその分静かに眠れたけれどね。


1時間以上前からホームに入線していた


タイのハジャイに乗り入れてきたマレーシア車両


発車15分前にディーゼル機関車を連結


国境までは機関車+客車2両+電源車のミニ編成


2等寝台車の車内。日本の開放式A寝台っぽい


上段ベッドの窓は小さく車窓を見るには難渋した


国境を越えマレーシアに入ると風景が変わった


夕陽に照らし出された山に二川付近を連想した


深夜特急は未明のスンカイ駅で長時間停車中


定刻より1時間半遅れでクアラルンプール到着


ほとんど全線にわたってゴム畑が広がる


集団離反式クロスシートの後ろ向きシートにて


ハジャイから40分ほど走ると、線路のそばにコンテナを積んだトレーラーが数十台停まっていた。「なんだ〜?」と思ううちに線路の横に有刺鉄線が張り巡らされて国境通過。すぐにパダンブサールに到着した。ここで乗客全員が荷物を持って下車するように促され、イミグレーションを通る。荷物を全て持ってイミグレを受けるのが正しいが、面倒なのでウイスキーの水割り入りペットボトルとつまみはベッドに置きっぱなしにしてみた。無事に国境を通過し、ホームで待っていると、先ほどまでの機関車+2等座席1両+2等寝台1両+電源車のミニ編成が、一気に個室寝台、食堂車を含む十数両の大編成に変身していた。この列車で快適に過ごすには、ハジャイからパダンブサールまでは2等座席、そしてパダンブサール以降はコンパートメントの1等寝台(2人用)を1室独占すべきだったと思っても後の祭り。さっきの2等寝台の上段によっこらしょと昇り、変な体勢で小窓から景色を見るしかなかった。ちなみにイミグレ職員が列車を回った形跡はあったが、水割りもつまみもお咎めなしだった。

マレーシアに入ると明らかに風景が変わった。平原が広がったと思うと、東海道線の二川付近を思わせるような岩山が夕陽に照らし出されて息を飲む。走っても走っても風景に変化がなかったタイと比べると、車窓を見る楽しみが増えた。何度も言うが、だからケチって上段ベッドにしたことを後悔した。

マレーシアとタイでは1時間の時差があり、19時ころまで明るかったが、日が落ちると車窓は漆黒の闇に包まれる。車窓の楽しみがなくなり早々に居眠りを始めた。沿線最大の駅バターワースで「なんだか騒がしいな」と思ったが目覚めるまでには至らなかった。再び眠りから覚めると駅に停まっている。時計は4時を指していた。「どこだろう」と思いホームに出てみるとスンカイという駅だった。タバコに火を点ける。ホームに横たわる長大な深夜特急は国際列車。こんなシチュエーションを求めて旅に出たのかもしれない…。


シンガポールの新しい玄関口


クライ駅にて同名特急どうしのすれ違い


懸念していた遅れも僅かで、無事終点に到着


2泊3日、1900`の旅を終え駅前にたたずむ

スンカイ駅で既に1時間も遅れていたので、終点のクアラルンプールには1時間半遅れの朝7時に到着。次のシンガポール行き特急は9時発だから、それでも余裕があった。駅構内のスタバは営業前だったので、駅前のミレニアムヒルトンのロビーでネットチェックして時間を過ごした。2004年に泊まった時には、まだ出来立てほやほやでオペレーションに難ありと思ったが、さすがに今ではそんなこともないだろう。そうこうするちに発車30分前になり、駅に戻るとホームへのエスカレーターの前には長蛇の列。発車10分前になって、ようやくホームへの入場が許可され、指定されたシートに腰を下ろした。タイ国鉄と異なりマレー鉄道の2等座席はリクライニングはするが回転しない。いわゆる集団離反式というやつで、昔の東北新幹線の3列シートがそうだった。このタイプは半分が進行方向と逆向きになるが、心配していたとおり見事に逆向きシートが当たってしまった。クアラルンプール→シンガポールは日本円で900円弱なので例によって隣の席も買ってしまったが、こんなことなら回転する1等座席の1人用シートにしとけば良かった。まぁそれでも、上段ベッドの小窓から変な体勢で景色を眺めるよりは、よっぽど車窓を楽しむことができた。

この区間は2004年に一度乗車しているが、当時と同様、行けども行けども天然ゴムのプランテーションばかりだった。タバコはデッキに灰皿がついていたので、折り畳みシートに腰を下ろしてゆったりと吸えたが、これがOKなのかどうかは分からなかった。それにしても時刻表を持たず、地図もないので、どの程度シンガポールに近づいているのか皆目見当がつかない。この列車が3〜4時間遅れると、帰りの飛行機に間に合わなくなり、変更の効かないチケットは紙切れ、翌日の仕事も欠勤になるということで、かなり気をもんだ。途中クライという駅で長時間停車したうえに、いったんホームに入ったもののスイッチバックしてホームのない側線で停車し、うんともすんとも動かなかった時にはキモを冷やした。シンガポール発の「Ekspres Sinaran Selatan号」という同名特急と交換し、ようやくクライを発車。そこから30〜40分でジョホールバル・セントラル駅に到着したので正直ほっとした。ジョホールバル停車中の車内で、イミグレの職員にパスポートを見せ、16時過ぎに列車は発車。コーズウェイを走りわずかな遅れで終点シンガポール「ウッドランズ・チェックポイント」に到着した。バンコクから2泊3日、1,900`。列車に乗っているか、列車を待っているかどちらかしかない旅路だった。

…と、旅を振り返っているうちに、チャンギ空港への乗り換え駅タナ・メラを2つも乗り越してしまった。「アイヤ〜」私は大きな荷物を抱えて、MRTを慌てて飛び降りた…。
<終>

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