フィアット・パンダとは?


 1979年11月、イタリア最大の企業でもある自動車会社フィアット(FIAT AUTO S.p.A)の乗用車ラインナップの底辺を埋めるためのモデルとして発表されたFF(&4WD)小型車。リアエンジンだった前任モデル126とは全く違う新設計のFF車だった。設計・デザインはフィアットではなく、ジョルジエット・ジウジアーロ率いるイタルデザインに委託されている。
 フィアットが量産車の開発を外部に委託したのはこれが初めてである。ボディバリエーションはデビュー時から一貫して2BOXの3Drハッチバックのみ(観音開きリアゲートを持つVANもある)。その簡素でアイデアに溢れた設計から「現代のシトロエン2CV」とも呼ばれる。

パンダの歴史


 1979年にデビュー時のパンダは652ccの縦置き2気筒OHVの「パンダ30」と903ccの4気筒OHVの「パンダ45」の2車種。ただし「パンダ30」はイタリア国内専用モデル。モデル名は当時のフィアットの通例でエンジンの馬力から付けられていた。サスペンション形式はフロント/マクファーソン・ストラットリア/リーフ・リジッド
 1982年には4気筒843ccの「パンダ34」と「45」ベースの豪華版「スーパー」が追加される。「スーパー」はそれまでの特徴的な「鉄板グリル」「ハンモックシート」に代わり、一般的なグリルとシートが採用されている。1983年にはオーストリアのシュタイア・プフ社との共同開発によるパートタイム式4WDを備えた「4×4」が追加される(エンジンは4気筒のみ)。これは横置きFFベースの4WD市販車としては世界初である。1984年には「スーパー」と「4×4」のみだった黒いグリルがすべてのモデルに採用される。
 1986年にはパンダの歴史上、もっとも大きな変更が施される。まずエンジンは2気筒モデルが落とされ、4気筒もSOHCヘッドを持った新設計の769ccと999ccのFIRE(Fully Integreted Robotized Engine=完全ロボット組立エンジン)に置き換えられ、さらにディーゼルエンジン(1301cc)も追加された。もう一つ大きな変更点がFFモデルのリアサスペンションで、Ωアーム+トレーリングリンクと呼ばれる特異な形式の半独立型に変更された(4×4は従来通りリーフリジッド)。その他、一般的なシートの全モデルへの導入、三角窓の廃止、メーター・パネルの大型化など各部がモダナイズされた。車名は従来とは異なり、「パンダ750/1000」となる。現在のパンダの形はこの時点でほぼ完成されている。
 その後、FIREのインジェクション化(1987年)、OHVエンジンの廉価版として復活(「750ヤング」/1987年)、電気モーターモデル「エレットラ」の追加(1990年)、などを経て1991年のマイナーチェンジを迎える。メカニズム、内外装の変更は小規模だったが、日本の富士重工製の無段階自動変速機ECVTを採用した「セレクタ」と1108ccのFIRE搭載モデルが追加された。

 そして、1999年には日本への正規輸入が中止される。これは主に衝突安全のレギュレーションにパンダが通らなくなったためと言われている。(おそらく同じ理由で)同時にドイツなど、ヨーロッパ各国の輸出も中止され、イタリア本国と、ポルトガルやスペインなどへの輸出に絞られ、生産もポーランドに移されているらしい。そして、セレクタとFIREエンジン搭載のFF5MT車、エレットラがカタログから落とされ、903ccOHVのFF、4x4のみが残されている。



[パンダを語るために知っておきたいクルマ達]

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