Eさんの体験記
はじめまして、○○と申します。
実は、私も95年5月に発見され、約1.5ヶ月入院し、手術と化学療法を体験しました。 現在年齢は、36才です。
種類としては、セミノーマで、手術は高位除睾術で、化学療法は、再発防止ということで、 1クール(2週間)くらいで、投薬名は不明です。
化学療法中は、白血球値が2000台で、口腔内に違和感がありました。 退院時には、白血球値が6000台ぐらいになり、口腔内に違和感もなくなりま したが、髪の毛が抜けはじめ、一週間程で側頭部と後頭部にわずかに残る状態になり、 非常にショックを受けました。
結局、かつら(約100万円)を作成し、作成期間2ヶ月程かかり、会社には自 宅療養として休みをとり、かつらを半年くらい使用して会社に行って、 髪の毛は元どおりになりました。
予後は、通院してCTスキャン/血液検査/胸部レントゲン(3ヶ月サイクルぐ らい)の検査を受けてます。
現在は、何の問題も見つかってませんが、再発/転移への不安が大きく、 97年1月から12月まで鬱病で休職してました。他に不妊の不安があり、 最近、精液検査を受け、医者は、要妊性に問題はないと言ってますが、 運動性と奇形率が異常値でした。
私の経験が役に立つかわかりませんが、アドバイスできることがあるかもしれま せんので、このホームページに参加させてください。
質問
運動性と奇形率が異常値でした。 と有りましたが、 異常値というのは、子供は作らない方が良いですよって事なのでしょうか?
Eさんの答え
私の場合、睾丸摘出と化学療法のダメージで、精子の数の減少、運動性の低下、 奇形率の増加などが起こってます。医者の説明では、要妊性も低下はあるもの の、 奇形児等の発生確率は常人と変わりがないと説明されました。不妊の可能性が あるものの、子供は作ってよいと理解しています。
Fさんの体験記
はじめまして、滋賀県在住の○○○といいます。 わたしは、今年で35歳になる会社員です。
わたしは、昨年の5月に精巣腫瘍で入院し、 入院した翌日に高位除去手術をうけました。 (診察ではセミノーマのUB期と診察されました。) 以後、半年間化学療法をうけ、最後にもう一度 後腹膜リンパ節隔清手術を受けて、昨年の11月に退院しました。
化学療法中は脱毛し、白血球減少で隔離されたりもしました。 また、胃腸傷害や口内炎がひどかったこともありました。 そのために、入院前は100kgを超えていた体重が70kg近くまで減りました。
退院後は会社をやめて自営業を営んでいますが、やはり再発が気がかりです。 入院中に様々な本を読み、自分の病気のことについて勉強しました。 というのも、珍しい病気らしく、自分と同じ病気の人が周りにいなかったからです。 ましてやインターネット上でこういった情報交換の場があることも知りませんでした。
どんなにわかっているつもりでも、 なかなか同じ立場におかれた人でないと 分からないのが人間だと思います。
わたしは同じ苦しみに悩んでいる人と 少しでも病気に立ち向かう勇気をわかちあいたいと思っています。
また、わたしでよければ「相談窓口」になりたいと思います。
それから、これはわたしの経験ですが、 睾丸の腫れは恥ずかしい部位であるために なかなか気軽に他人に相談できるものでもなく、 気後れしてなかなか病院にいきませんでした。
はじめは医学事典を買ってきて読みあさりました。 しかし辞典では、難解な部分が多く、似たような症例も 多数あり、病気の特定にはいたりませんでした。
また、働き盛りの年齢でもあり、簡単に会社を休む訳にもいかず、 忙しさにかまけて、痛みがないのをいいことに3,4ヶ月放っていました。
そのうちに激しい腰痛と共に右足全体がむくみだし、 おすもうさんの足のようになってきました。 あとで聞くとリンパ節に転移した腫瘍が右大腿部静脈と尿管に 癒着してふさいでしまったそうです。 そして完治した今も右足には後遺症が残っています。
もっとはやくに病院にいっていればと、今から思うと後悔の念を禁じ得ません。
今後ともよろしくお願いします。1998.02.20
同じ病気の方と友達になれるのは本当に心強く思います。
私は32歳、高槻在住で独身。
体調がおかしいと思ったのは、96年7月頃で腰が異常に痛くなりました。 病院にいくと盲腸だといわれ、盲腸の手術を受けてしまったのです。
退院後すぐに長期出張、同年11月に戻りました。 すぐに泌尿器科を受診し、その日のうちに摘出手術をし、 抗がん剤投与がはじまりました。抗がん剤は、シスプラチンを4クール、 大量療法(薬名不明で、通常の3倍の量を入れる)を2クール、 イリノテカンを2クール打ちました。
これだけ薬をいれたのは、 腫瘍マーカーであるAFPが下がりきらなかったためです (薬を投与するたびに数値があがった、 最終的に薬物性肝機能障害によるものと診断)。
化学治療が終わったのは97年7月、 12月にリンパ節郭清手術(15時間かかった)、98年1月に転移している肺の一部を取り、 抗がん剤の効果により、すべて悪性腫瘍が死んでいたため退院が許されました。 1ヶ月間自宅療養し、会社に復帰してから2週間になります。
私の場合も今から考えると、 あれほど多くの抗がん剤を入れなくてもよかったのではという気がしてなりません。
長いブランクを埋め合わせるのは、非常にしんどいですが、 体に無理のないようぼちぼちと頑張っていきたいと思います。 同じ苦しみを味わった方々と意見交換をいたしたく、またメールを送らせて頂きます。 なにか、疑問点、アドバイス等ありましたらよろしくお願いします。
はじめまして、 私はセミノーマで化学療法と放射線療法の体験者ですが、ホームページを 拝見してメールを差し上げたしだいです。
アメリカにはTCRCという大規模なホームページがあって、専門的アドバイス や体験者の相談が受けられるようになっています。
http://www.acor.org/diseases/TC/
しかし、言葉や医療環境の違いもあり日本にもこんなHPがあればと思っていました。 以下に私の体験を記しますので、お役に立てばお使いください。 また、私でよければ相談員もOKです。-------------------------------------------------
私は35歳の技術者で、妻と二人の子供がいます。 異常に気がついたのは2年前のことで、右の睾丸がニワトリの卵大にはれていた のです。それまで気がつかないのが不思議ですが、痛みは全くなく石のように 硬くなっていました。
これは悪い病気だと直感したので、すぐに近くの総合病院で診断を受けました。 腫瘍マーカーの結果はAFPは異常なし、βHCGはわずかに高いものの、これだけでは 判断できないということで、高位除睾術による手術となりました。 病理検査の結果が出るまで2週間、精神的に一番つらかったのはこの期間です。 生死の審判を待つようで、家族の将来を考えたりしていると仕事も手につきません。 結果はやはりガンでした。 ある程度覚悟はしていたものの、やはりショックでした。 ただ、睾丸腫瘍のなかでも治りやすいセミノーマという種類で、転移もない(ステージI) ということが、安心材料でした。
主治医は、再発予防として2クールの化学療法(BEP)を提案し、3ヶ月の入院が 必要とのこと。セミノーマの予防治療としては放射線療法が一般的なのは知っていましたが、 医者にたいして偉そうなこともいえず、そのまま入院することになりました。
投薬中の5日間は副作用もなかったのですが、点滴が抜かれた週末から吐き気が 強くなり、病院の食事を受け付けなくなりました。ただ、差し入れのパンや果物が 食べられたのが幸いでした。吐き気は2,3日でおさまったのですが、次の週に発熱し、 採血の結果、肝機能に副作用が出たとのことで2クール目は中止して放射線療法に 切り替えるとのことでした。予定された治療計画が途中で終わってしまう不安はありましたが、 はやく退院できるとほっとしたのを覚えています。
ところがその後、白血球が急減し1000以下になったので個室に移され、缶詰め生活に。 投薬後1Wくらいして全身の毛がごっそり抜け落ちました。入院前に丸坊主にして来ていた ためそれほど不便はありませんでしたが、精神的にはショックです。 入院1ヶ月後、白血球も3000程度まで回復したので退院し、今度は別の病院でライナック という機械で放射線療法が始まりました。週5日×4週で20回、合計30グレイだったと 思います。治療は通院でおこない、1回15分程度です。副作用も食欲不振があった程度 でたいしたことはありませんでした。ところが白血球がまた下がってきて、なかなか回復しま せん。チトレストという医者も効かないだろう?という薬を飲んでいましたが効果が無いので、 そのまま社会復帰することに。現在でも2500〜3000くらいです。 結局、入院1.5ヶ月+自宅通院1.5ヶ月の3ヶ月間の治療生活でした。
この間、強く感じたのは医者とのコミュニケーションの重要性です。 医者のちょっとした一言でも患者は気にかけます。病気は治るのか..治療は苦しいのか.. いつ退院できるのだろう..先が見えないのが患者には一番つらいのではないでしょうか。 睾丸腫瘍は治るガンだといわれています。であれば、なおのことインフォームドコンセント が大切だと思います。私の主治医は同年代で比較的気さくに話ができたほうですが、やはり 詳しい話はこちらから聞かないとしてくれませんでした。
最後に、入院をはじめ治療生活の最大の支えは妻でした。当時彼女は下の子がお腹にいて 自分だけでも大変だったはずなのに、普段と変わらない態度で私に接してくれました。 おかげで、私はあまりガンという病気を意識せずにすんだのだと思います。
社会復帰を控えた年末のある日、私が入院していた同じ病院で妻は女の子を産みました。 その子も今では1歳半です。ツルツル頭で社会復帰した私の髪も元に戻りました。 2年後の現在、再発はしていませんが、3ヶ月に1回の血液検査と6ヶ月に1回のCTを 続けています。今でも、再発するのではという不安は常につきまといますが、ガンから 逃げられるわけではなく、そうであれば淡々とつきあっていこうと思っています。
初めまして。 私は現在33才、独身の会社員です。情報機器メーカに勤務しています。
私も5年前の冬(93年3月)に右側の睾丸を摘出しました。
実は、92年頃から妙に大きくなったのが気になってはいたのですが、 仕事が忙しいあまり病院に行けなかったのと、病院に行く勇気がなかっ たことが手術を受けるまでに時間がかかった理由です。
手術を受けた時の大きさは、ニワトリの卵(Lサイズ)より大きくなって いました。 当時、動いても痛く、夜も1週間以上眠れなかったために、ついに病院 に行く決心をしたのでした。
病院は最寄りの総合病院で、診察を受けたその時に、 問診→エコー→血液検査&尿検査を受け、状況説明を先生から受けた後、 すぐに入院と手術の手続きをしました。
手術には同意書なるものが必要で、一人住まいである私は、一旦会社に 行き、担当となる医者の説明どおりのことを上司に告げて、同意書のサ インをもらい、必要なものを買い揃えてから病院に戻りました。 また、同時に実家に電話し、両親に来てもらうお願いをしました。
私が病院に戻ると、すぐに剃毛、浣腸、筋肉注射をし、手術室に連れて 行かれ、まもなく麻酔を打ち手術開始です。 手術は2時間程度で終わったと記憶しています。
手術後の1週間は、摘出した腫瘍の検査結果待ちと云うことで、病院で 寝て過ごす毎日でした。
検査結果が出る当日は、私の母が面会に来ていました。最初に母だけが 呼ばれた時、なんとなくその後の自分に何が起こるのか悟りましたが、 遅れること15分、私も先生に呼ばれました。 先生のところに行った時、泣いている母親の姿を発見しました。 先生によると、私に病気のことを云う前に、息子さんに云いますよ! と、私の母に云ったそうです。が、母は反対したみたいです。 病気の事を聞いた時、本当にショックでした。その晩は、病院のベッド で一人泣きをしました。
長期治療の前には、3日だけの外泊が認められ、実家で過ごしました。
3日が過ぎ、病院に戻って先ずしたことは、MRI検査です。 これは、他に転移が無いことを確認するものです。
そして、抗がん剤投与の生活が始まりました。私の場合は、2クール で終わりました。皆さんみたいに、薬の名前まで覚える余裕はありま せんでした。
抗がん剤の副作用は、その日のうちから始まりました。 先ずは吐き気と発熱。吐き気は周りの臭い全てを拒絶するようになり ました。
実は、一発目は血を吐いたので、すごくびびってしまいました。 次に、脱毛です。体毛が徐々に抜けていったのですが、ある時、頭髪 が一気に落ちてしまい、あまりにもカッコ悪くなったので、看護婦さ んに剃ってもらいました。(それからは、毛糸の帽子で生活です) それから、白血球の低下です。やはり私も2000以下になってしま い、第1クールから第2クールの間を結構取りました。 また、第2クールが終わってからもなかなかもとには戻りませんでし た。
第2クール後に、血液検査(腫瘍マーカ、白血球数他)やCT検査、 胸の断層写真(レントゲン)等をし、退院できました。 入院日数は、93日です。
苦しい抗がん剤を乗越えられたのは、家族・友人・病院スタッフの おかげであると、今も感謝しています。
退院してから、約2週間は実家で静養をしました。 その後は、職場復帰し今の仕事と同じようなことをしました。 ただ、体のほうがついていかないのに、復帰したその月から50時間 もの残業をした私は、その後10日間寝込むこととなりました。
寝込んだ理由は、帯状疱瘡です。これは、体力が落ちた人が良く掛 かる病気で、神経に沿って帯状にできる湿疹です。 神経にできることから、容易に想像はできると思うのですが、体に 触れるものすべてが悲鳴を上げる原因になるのです。服を着るのも 嫌で、寝るのも、動くのも嫌でした。 これが長く続けば神経ブロックの処置をするとまで云われましたが、 薬で我慢することができ、いつのまにか痛みを忘れていたので、そ こまでする必要はありませんでした。
それからは、ずーっと職場からリタイアはしていません。 ちなみに、職場へは坊主姿で行きました。 髪の毛は、第2クールを終えてから約半年後には生えてきました。
退院して約2年間、3ヶ月おきに精密検査を受け、その後現在に至 るまで、6ヶ月おきに検査を続けています。また、これからも検査 をすることになっています。
入院する以前から変わったことと云いますと、
1)髪質が変化した。
2)体が疲れ易くなった。
3)体質が変わった(食べ物、体調次第でジンマシンが出る)。です。
とりとめもなく書いてしまいましたが、自分も経験者の一人として、 役に立てればと思っております。
はじめまして。23歳男性、大学生です。 98年7月に入院して99年1月に退院しました。
治療は化学療法を3回やりまして、その後手術(後腹膜リンパ節郭清)、最後に化学 療法1回。これでちょうど半年でした。
化学療法の内容としては、今のところ各病院毎に少しずつルーチンが違ってるのでい ろいろあると思いますが、シスプラチン・エトポシド・ブレオマイシンを使いまし た。これらを15日間かけて点滴で投与しました。
一般的に化学療法は辛いと言いますがまさにその通りでした。初めはいいのですが、 回を重ねる毎にどんどん辛くなっていきました。
副作用は、気持悪さと全身倦怠感!!何もしたくなります。僕の場合 シスプラチン(気持悪くなる)が入るのが初めの5日間で、それがすぎるまでひたす らベットでモグラ生活をしてました。
手術は、12時間かかりました。初めは15時間くらいかかると言ってたのですが、 腫瘍の状態がよく採り易かったらしく早く終わりました。傷はみぞおちからちんちん の付けねまで縦に30センチくらいあります。手術の次の日には自力でトイレに行き ました(痛いので2日くらい寝てた方がよかったのかも・・・)。何もしてないと別 に平気なんですが動くと痛いです。まあ、手術の次の日でも安静にしてれば痛くあり ません。
最後に手術で採り切れてない可能性がある事と、再発防止という事でもう1回化学療 法をやりました。なんでも、腫瘍があるときは薬が腫瘍に作用するので体に直接作用 (つまり副作用)する量が減るらしいのですが、腫瘍を取ってしまった後では点滴し た薬がすべて体に作用するので副作用も強くなるらしく、4回中一番大変でした。
もっともっとたくさん書きたかったのですが、本当の日記になってしまいそうなので やめときました。まだ退院してから1ヶ月しか経ってなく、本当に治ったのか分かり ませんが体力が無いぐらいで食欲も有り元気です。そろそろ部活とかも始めようかと 思っているくらいです。
だらだらと書いてしまいましたが、何か質問がありましたら遠慮なくメールしてくだ さい。僕の分かる範囲でしたらお答えさせていただきます。
はじめまして。私は49歳で静岡に住んでます。 「睾丸腫瘍ホームページ」の体験記中では年の多い方です。病院の泌尿器科部長から 「体が若いんじゃないの」と言われ喜んでいいものかどうか、現在こうして元気でい られるので笑い話で済んでいます。少し長めの体験記になりますがご参考になればと 思います。
発症:
私が異常に気がついたのは1999年1月の中頃。風呂場で体を洗った際にたまた ま変だなと思い、つくづく眺めて見ると右側だけが鶏卵(Mサイズ)より一回り小さ い程度ですが、固くパンパンに膨らんでいました。痛みといえるほどの痛みもなく、 それまで全く気が付きませんでした。
ただ、今思えば前年に車の運転中や足を組んだ時に痛かった事がありましたが、当 時はここ何年か体重も増え脂肪も増えの状態だったので下腹部についた脂肪のせいだ などと思っていました。実はこの頃から腫脹し始めていたのだと思います。
因果関係:
私は父を胃がんで姉を卵巣がんで亡くしています。その事もありいずれは自分も癌 の発病は止むを得ないなとは観念しておりましたが、医師の話によれば体質的にはあ るにせよ、この病気がそのせいでは無いといわれました。前年に子供の中学野球の練 習を観戦中にライナーで飛んできたファウルチップを右睾丸にもろに受けたのも全く 関係は無いようです。
結局のところ細胞の突然変異による異常増殖で、原因となるべき事はわからないそ うなんです。
検査と入院:
異常に気づいて「家庭の医学」やらなんやら調べてもよくわからず。(「家庭の医 学」にも睾丸腫瘍についての記載はありましたが、まさかと思っていたせいもありま す。)インターネットでこのホームページを知り、さらに皆さんの体験記を読ませて 頂き、まさに自分の症状が睾丸腫瘍であることは間違いないことが分かりました。
おりしも2人の子供が受験であり、子供達の事を考え受験のおわる4月まで待とう かとも悩みましたが、私自信が父と姉の時に体験した思いを考えると、先延ばしにし て父親が最悪の状態になるよりかは 父親も頑張っているんだから・・・なんて事を 子供に感じさせるのもよいかな という気持ちで翌日すぐに検査に行きました。
検査結果は悪性腫脹らしく、除去しての細胞検査が必要という判断でした。仕事の 片付けもありましたので、1週間後の1/26に入院しました。
手術と放射線治療:
1/27に高位除睾手術を受けました。手術は右睾丸(精嚢)と右精巣およびそれ にともなう血管とリンパ管を取り除くというもので、2時間で終了しました。もっと も実際の手術時間は30〜40分ぐらいで麻酔やらの準備時間の方が長かったような 気がします。手術は下半身麻酔の為、2人の医師の話を人ごとのように比較的冷静に 聞いていました。手術自体は盲腸の手術のように内臓をいじるわけではないので、患 者にとっても楽なようです。
術後の経過も良くしかも外科的な痛みには強い体質のせいか、手術以降いっさい痛 みはありませんでした。(もちろん痛み止めの点滴処方のせいもあるでしょうが。) 次の日から食事もとれ、歩くことも出来ました。
2/2に細胞検査結果が出ました。セミノーマ I期で胸のレントゲンとCTの結果 から転移は認められないという事で、術後の話し合いを行いました。方法としては3 つあるそうで
1.このまま退院する。
2.通院しながら放射線治療を受ける。
3.引き続き入院して放射線治療を受ける。
最良の方法は、レントゲンでもみつけられない転移の巣の根絶を考えて放射線治療を 受ける事でした。放射線治療を受ける事により10年生存率はかなり高くなるようで す。(安心したせいか10年生存率の正確な数値は記憶しておりませんが。)
放射線治療は、私の場合もライナックという装置で合計20回30グレイ、週2回 の白血球の数値をあげる為の注射でした。1日1回15分程度なので、それ以外は薬 の処方もなく暇な1日となりますが、私は通院の自信がなかったので入院して加療し ました。
放射線治療による副作用は人によりさまざまですが、初めの2〜3日は下痢をした り吐き気をもよおし、数回程度をすぎると照射部位に日焼けのような症状が出、15 回をすぎる頃からしぶり腹や下痢などを起こすと言われました。また数回すぎた頃か ら白血球が2500程度までさがるので週2回の注射が週4回に増えました。
私の場合、始めた頃と10回程度まではかなり楽でした。食欲もあり下痢もありま せんでした。こんな程度なら乗り切れるかなと思っていました。
10回をすぎた頃か らやはり白血球は2700程度まで落ちました。ただ食欲は病院食のまずさも手伝っ てか減少してしまいました。
15回を過ぎた頃からは、食事しかも白飯を受け付けな い状態になってしまい、午後になると胃や腸がむかむかする状況で少し辛かったでし た。
日焼けは大丈夫でした。結果として食事のまずさによる食欲不振で体重が落ちた 程度ですみました。外出して外の食事でも構わないとは言われましたが、入院すると 体力も減るし、まして白血球の少ない状態で人込みにもいけませんから所詮無理な話 です。
通院の方が良かったかなという気持ちは残りました。実際の病気よりも別の面 で体力をなくし回復を遅らせてしまうという要素の方が多いのでは、というのが実感 として残っています。
現在(退院2週間):
白血球の数値変動が良かったせいか退院後の検査が2週間後でよいということでし た。退院後の2〜3日は午後横になって休んだりしていましたが、その後は1日中起 きていても大丈夫です。ただ社会復帰は慎重にということなので、仕事の方も1ヶ月 程度は時間を頂く積もりでいます。
退院後は向こう2年間は1ヶ月おきに血液検査が必要で、6ヶ月後にCTスキャン ・胸部レントゲン・腫瘍マーカー等の検査が必要だそうです。いずれにしても長い付 き合いを気長に行なうことが肝心のようです。
最後に:
父と姉、そして叔父(下咽頭がんで死亡)と3人のがん治療をつぶさにみており、 死の間際まで見取った経験からして、がんは告知を受け患者本人が納得するまで医師 と話し合い自分で結論をだして付き合って行く事が大切だと思います。
そしてやはり早期発見が大切です。会社や地域の定期的な健康診断も受けるに越し たことはないけれども完全な早期発見には難しく、やはり通院しての精密検査が一番 のようです。
長くなってしまいましたが、私の体験記を読んでくださりありがとうございます。 わずかでもお役にたてればと思っております
私は、現在(2002年)アメリカの大学院に留学中で、その留学中に精巣腫瘍を (2002年1月)を発見しました。 半年くらい前から右の睾丸が大きくなっ ていたのですが痛くもないので放置していました。が、少しずつ大きくなってき たので、意を決して、新学期の前に学校にあるヘルスセンター(学校の中に小さ な病院がある感じです。)に行きました。そこでは、医者から何も言われなかっ たのですが、直ぐに少し離れた市にある大きな病院に行き、精密検査を受けるよ うに進められました。そこで、泌尿器科の医者に会って直ぐに”これは癌だね” と言われて、かなり動揺したのを今でも覚えています。ちなみに、私はたばこも お酒も飲みません。血縁者にも癌を発病した人は誰もいません。
泌尿器科の医者からは、来週手術をすると言われた時、内心では、”え、明日じゃ ないの?” と言う気がしました。なぜなら、この時既に、私の右側の睾丸は卓 球ボールみたいに膨れ上がっていたからです。でも、私の口からは言えませんで した。ちなみに私の英語力は中級レベルです。
この病院に来るまでは、妻に”何でもないから、大丈夫”と言われていたのが、 夢のように崩れていきました。が、直ぐに気を取り直して、自宅アパートに帰り、 インターネットで調べまくりました。Hさんの体験記にあったホームページ (http://www.acor.org/diseases/TC/)は、とくに有益な情報で、ほぼこの通り に物事が進みました。
以下が私のスケジュールでした。 1/7 大学のヘルスセンターに行く。同じ市にある検査のみの施設に行き、超 音波検査を受けるように言われる。 1/9 超音波検査を受ける。ヘルスセンターから電話で直ぐに来るように言わ る。そして少し離れた市にあるM病院の泌尿器科で精密検査を受けるように進め られる。 1/11 泌尿器科の医者に”多分癌である”と告げられ CT検査を進められる。 1/15 M病院にてCTスキャンをうける。 1/16 摘出手術をうける。 1/31 泌尿器科の医者に術後の経過(セミノーマ・ステージ1であると告げ られた)と今後の予定を聞く。放射線治療の専門のS病院に行くことを勧められ る。(さらに自分が住んでいるところから遠い病院、片道100km、車で約一時間 ちょっと) 2/6 S病院の放射線治療の医者から今後の予定などを聞く。約20回の放射 線治療が必要とのこと。 3/6 終了 4 現在 6/6 次回の検査日(予定)
私の場合は、アメリカにて治療したので、他の方が書いている体験記とは少し違 うかもしれません。まずは、泌尿器科の医者が私の手術を執刀しましたが、手術 前に会ったのは、たった一回だけでした。手術の当日に、手術室に入った際、CT スキャンの結果、転移はなかった事が告げられましたが、その後は全身麻酔だっ た為、何も覚えていません。手術当日、妻と友人のアメリカ人に付いてきてもら いました。手術後に、その泌尿器科の医者から手術の経過、結果報告と転移がな かったことが、妻と友人に告げられたようです。
手術では、へそした10cmぐらいの所を横に15cmぐらい切られました。手 術の前に下の毛を剃られることもなく、また、術後の抜糸もありませんでした。 傷口には、小さい絆創膏のような物を無数に貼られ、自然にそれらが剥がれるま で待てと言われました。全てが剥がれるまで、約一ヶ月かかったような気がしま す。
手術の日に最も驚いた事があります。それは、手術後一時間くらいで目が覚めた 時です、看護婦さんが直ぐに私の健康状態をチェックしに来ていろいろ私に尋ね ましたが、最後に、自宅に帰っても良いと言われたときには、かなりビックリし ました。多分、何も問題がなかったからだと思いますが。とにかく”え、入院じゃ ないの”と言う感じでした。思い起こすと確かに入院に関することは、一つも聞 かれていませんでしたが、まさか手術当日に帰宅できると思ってもいなかったの で、本当に驚きました。傷口から血がにじみながら車に乗って帰宅したのが忘れ られません。
私の場合、セミノーマ(I期 転移なし)だったので手術と放射線治療(約20 回)をしました。放射線治療では、私が住んでいるところから片道100km (車で片道約一時間ちょっと)ぐらい離れた癌専用の病棟がある病院に毎日(月〜 金)行きましたが、実際の治療は、いつも10分ぐらいで終わり、毎日の待ち時 間は、平均10分ぐらいでした。最初の2〜3日は、吐き気等がありましたが、 後は、ほぼ普通と同じような健康状態でした。また、週に一度は、血液検査があ りました。放射線治療も自宅から通ったので、結局、癌になったにもかかわらず、 一日も入院はしていません。
アメリカでは、自分の診断記録書のコピーを無料(場所によって違うかも)にて もらえます。私の場合は、泌尿器科と癌科からそれぞれ約10枚づつもらいまし た。内容は、私が各医者の診療所に訪れた際にどのような事が話されたのかと言 う報告書と、各検査の結果報告書、どのような手術・治療が行われたかという報 告書です。
それと以下が今まで病院から請求された治療費です。(大学のヘルスセンターで 受けた診療代と大学にある薬局から買った薬代は、保険会社が直接全額支払うの で、私は、請求書を受け取りませんでした。それと下記のは各病院より直接請求 された金額です。この後、保険会社に請求された明細を送り、保険会社にこれら の請求書の料金を払ってもらいますが、3割くらいは、自己負担になりそうです。 現在手続きをしています。)
1.CTスキャン代 $ 3,015.25 2.手術代 $ 3,235.08 3.放射線治療代 $ 3,615.00 4.血液検査代(一回) $ 144.03 5.薬代(痛み止めと吐き気止め、病院の薬局にて購入) $ 26.42 合計 $ 10,035.78
1ドルを130円とすると約130万円でした。
ただ、現在まだ受け取っていない請求書(血液検査代3回分)が少しあるので、 実際にはもう少し膨れそうです。
以上ですが、皆様のお役に少しでもなればと思い投稿しました。 2002年4月末日