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「食と県民性」 食における東西の境界は?

「西日本は丸餅、東日本は角餅」
と言われるが、もともと餅は本来、丸いものだった。
 切り餅が出てきた背景は、生産性の問題と言われている。
 ひとつひとつ丸めるよりは、平らに伸ばした餅を切り分けた方が早くできる。
 人口の増加が著しかった江戸では、大量の餅を作らなければならず、切り餅が主流になったという。要は嗜好などという問題ではなく、そうせざるを得なかったのである。
 そのため、西は丸餅、東は角餅になったらしい。
 ところが、この「西日本は丸餅、東日本は角餅」は、大分変わりつつあるという。
 関西でも、徐々に角餅が増えているらしいのだ。これまた、格好など気にしない関西人気質の表れ?といってよい。


 さて、この丸餅、角餅の分岐点は日本海側では富山県か?
調べてみると、高岡市は角餅なので、ほぼ富山県全域が角餅、石川から丸餅ではないかと考えられる。このあたりから、南の滋賀県と三重県にかけては、いずれも角餅と角餅が混在しているようで、滋賀はほぼ丸餅だが、一部角餅の地域があるようで、三重は北から、四日市は混在、鈴鹿は切り餅、津は切り餅、名張・伊賀は丸餅、松阪は切り餅、伊勢は混在という状況になっている。
 滋賀県と三重県の場合は、昔の藩によって異なるようで、徳川派は角モチ。豊臣派は丸モチという説もある。このへんは、サンプルが少ないので、当該地域の方からの情報をお待ちしたい。
 但し、東日本でも山形の庄内(酒田や鶴岡など)は丸餅である。これは西回り航路で関西とのつながりが強かったためだ。
 高知は山内一豊の影響で、鹿児島も理由は定かでないが角餅も多く混在地域である。

「そばとうどん」


 そばとうどんの両方を出す店は、東京では「そば、うどん」と書いてあるし、大阪では 「うどん、そば」と書いてある。(もちろん、うどん店では、東京は「うどん、そば」だが)東のそば、西のうどんを象徴しているが、江戸時代は江戸も大坂もうどんが主流だった。それが江戸では、そばがうどんを凌ぐようになっていったのである。
 その理由は、第一に、江戸っ子は何事にも淡泊だから、淡泊なそばを好んだ。
 第二に、当時、江戸に入ってきたのは、そば切りが発生した甲州や信州をはじめ東日本の人たちが多かった。
 第三に、そばの基本は「もり」。忙しい職人たちにとって、汁の入っている熱いうどんより早く食べることが出来た、などと言われている。
 そばやうどんの汁の色は東は濃く、西は薄い。大阪の人が東京で初めてうどんを食べると、真っ黒のつゆに驚くし、東京の人が大阪でそばを食べると透明なつゆにびっくりするのも無理はない。
 渋谷駅のお店「あじさい」。ここは、そばのおつゆは関東風、うどんは関西風になっている。もちろんチョイスも可能。
 最近は都内の大学の学食でも同様なチョイスを実施している。全国各地から人が集まる東京だけに、粋な対応である。なんば駅のそば。おつゆの色が薄い。この境界線は昔は関ヶ原といわれていたが、最近は新幹線の駅そばでは三河安城、在来線の駅では一宮といわれている。どちらにしても愛知県であることは間違いない。
 ちなみに、 即席めんでは、日清食品や東洋水産などは、東日本と西日本で味が違う商品を販売している。東日本は中京以東(愛知県、岐阜県、三重県を含む)、西日本は北陸以西で味を変えているのだ。

         
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