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和菓子


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桂月堂 秀菓撰


松江は京都、金沢と並び、菓子処として名高いところ。今なお、城下町の風情を色濃く残す街には和菓子の名店が多く、松江市民の生活に和菓子とお茶は切っても切れないものとなっている。これは松江藩7代目領主松平治郷の影響である。松平治郷は江戸時代の代表的茶人の一人でもある。松平治郷は1767年(明和4年)、父の隠居により家督を継いだ。この頃、松江藩は財政が破綻して周囲では、「雲州様(松江藩の藩主)は恐らく滅亡するだろう」と囁かれるほどであった。そのため治郷は、家老の朝日茂保と共に藩政改革に乗り出す。茂保が財政再建のために行なったのは、積極的な農業政策であった。さらに防砂林事業の完成、治水事業などによる改革事業により、藩の財政改革は成功した。政治能力の無かった治郷は、ほとんど改革に口出ししなかったのだが、財政が再建されて潤ったため、1,500両もする天下の名器・「油屋肩衝」をはじめ高価な茶器を大量に購入してしまった。このため、藩の財政は藩主の道楽で一気に悪化してしまったといわれている。政治家としての治郷の評価は低いが、一説には財政を再建して裕福になったことを、幕府から警戒されることを恐れて、あえて道楽者を演じていたとも言われている。参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』保守的な出雲の人は、どうみても改革は苦手だから改革に口出ししなかったのはわかる。また、見栄っ張りだから高価な茶器の購入もうなづける。ただ、加賀百万石の前田氏も「うつけ者」を演じたことを考えると、道楽者を演じたというのも信憑性が高い気がするが。

             
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