☆ Linux+Internetが開く、新しい世界へ ☆
私が初めてコンピュ−タで仕事を始めた80年初めは、I社,H社の汎用機が花形でした。わたしも、会社でCOBOLの教育を受け、約3年間I社の汎用機の世界で活躍をしました。(自分で思っているだけ)
そのころ、オフコンという中小企業で使えるコンピュ−タを各社が販売し始め、各社オリジナルなOSでユ−ザ−の獲得合戦が始まり初めていました。
私も、約2年間機械語でシステム開発を行いました(C言語に似ていました)。その後、オフコンもCOBOLでも開発が出来る様になり、その後約10年間、何も考えず開発に熱中していました。
一時期は、AS/400+RPGも開発していました。転機が訪れたのは、Net-Wareの出現からです。
あれから約20年、今、又新しい時代の風(Linux)が吹き始めています。
しかし今回の風は今までとはまったく違う開発手法で、大手を田舎の小さな会社が食う時代、又、企業内の個人レベルで開発が済み、特化していない開発会社がいらなくなるとか、本当に考えただけでぞっとします。(個人的な主観)
今まさにオ−プン・ソ−スが試されている時代です。私も、私の会社もうまくこの風に乗れるか、乗れないか今はまだ未知数です。乗らない選択もあるかもしれませんが。
Net-Wareの出現
- 94/7 それまで、約15年間何も疑わずに仕事をしていた矢先、Net-Ware+db-Magicの組み合わせで、これからはダウンサイジングへと、世の中がスライドしていく。
社内にも、このキ−ワ−ドで何人かが危機意識を感じ、積極的に取り組んでいました。現在、当社の支店、営業所では、この時期開発したNet-Wareの販売管理が動いています。このころは、まだNTはメジャ−ではありませんでした。
この時すでに私は35才を越えており、この風には完全に乗り遅れました。
WindowsNT3.51の出現
- 95/4 Net-wareの出現以降、かなの早いスピ−ドでダウンサイジングが世の中に浸透し、併せてNT3.51が
使える様になり、一気にPCによるサ−バ−構築が奔流になりました。このときも、私は少し乗り遅れ気味でした。
私のWinNT3.51でのシステム開発は1社、4.0も2社です。ちなみに、SQL6.5は勉強しましたが、ビジネスでは使用していません。
開発数が比較的少ないですから、個人的にはあまりMSに泣かされたことはありません。
インタ−ネットとの出会い
- 96/7 40才を目前していた96年夏、インタ−ネットと出会い、国境の無い自由な世界を知りました。このとき、この技術がビジネスを大きく変え、WWW技術が世界標準になり、近い将来ビジネスモデルが大きく様変わりすることを確信し、この技術習得に注力することを決めました。(Yahooは本当に先見性があった)
このとき、自宅にPCを購入し、HTML,CGI,Java-Script,コンテンツ作りに熱中しました。このインタ−ネットとの出会いが、ある意味において私の人生を大きく変える出来事になりました。これからは、WEBしか残らないとその時痛切に感じました。
けつこう当時は、周りからは、冷たい視線で見られていました。今でも、忘れていませんが。
ホ−ムペ−ジ開設
- 96/12 当時社内ではまだ、テストする環境もなく、大手のN社と契約して、ホ−ムペ−ジを開設し、色々なテスト、実験を行いました。
又、各種雑誌、新聞でペ−ジを紹介していただいたり、この3年間色々なことがあり、数多くの実験成果を得ることが出来ました。
O氏との運命的な出会い
- 98/11 Oracle7での開発案件の、開発、最終テストをしていた98年秋、O氏と出会いました。O氏の掲載記事、NT+IIS+Oracle7+ASPでの情報公開のテストを試してみての、メ−ルが出会いでした。
私のような初心者に対して、とても親切、丁寧なご回答をいただき、すぐにファンになりました。
併せて当時、私は社内で一人Linuxを初めたばかりで思考錯誤をしていた頃で、O氏がLinuxに特化されていることは数日後、O.D誌で知りました。その後、私のタコなLinuxの質問にも丁寧に必ずメ−ルをいただき、技術、精神両面でとても苦しい思いをしていた時期に、何度も手をさしのべて私を助けていただきました。恩は忘れません。
O氏のおかげで私も、ある程度の事は自分でも出来、社内で教えることも出来るようになりました。
99年3月、岡山で初めてお会いすることが出来、運良く懇談までする事が出来、今までの数多くのお礼と、今後の展開、Linux談義を夜遅くまで行いました。
L社とのジョイントビジネス
- 99/2 Linuxでの提案案件をかかえ、ビジネスを開始するのを少しためらっていました(失敗も怖いし、私自身まだ完全にLinuxの実力もわかっていませんでしたし、初めてのモデルで上司の強い反対もあった)。当時はLinuxの実力を上司も知らず、NTしか無いと思っていた、今でもあまりわかっていませんが。又、当時インスト−ル程度しか出来ないような、技術でお客様を満足させることは出来ない(自分で体験したことしかお客には、進めたくない、私の持論)。そこで、思い切ってO氏(L社)に相談したところ、全面的に支援をしても良いとの嬉しいお話をいただき、めでたくお互いにビジネス展開をすることが決まりました。
2ヶ月後、当社が提案中だった案件も決まり、これから本格的にお互いの得意分野でのビジネスが始まります。今後もスム−ズに仕事が進み、お互いに発展(共存、共栄)していければ、しなければならないと強く思っております。
私個人としても、クライアントもWEBに特化した開発スタイルへ、シフトしていきたいと考えております。今後、ますますネットワ−クを利用してのビジネスが広がりますので、今後ますますLinux(PC-UNIX)の出番が多くなってくるのは間違いないと個人的に思っています。私だけかもしれませんが。
99/7 L社小野氏との懇談を笠岡で行う。
このホ−ムペ−ジの画像の無断転載はかたくお断りします。Linuxメーリングリストの皆さん、Oracle,PostgreSQLメーリングリストの皆さん、ならびに私を支援していただいた多くの方々に、
この場をお借りして、厚くお礼申し上げます。
ritsuo@mxy.mesh.ne.jp
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