[第7表] 小野路村階層構成
第一節 「世直しの状況」下における関東豪農層の対応のしかた
[その2]
土方歳三
(「新選組写真集」新人物往来社 より)
まず農民層分解の様子をみていくことにする。そこで武州多摩郡小野路村を例にとってみる。
小野路村は文政10年(1827)に関東全域に設置された「組合村制度」に従い、「小野路村寄場村
外三四ヶ村組合組」の寄場にあたっていた。そして村は、松平銕次郎、岡部五郎兵衛、神谷平之丞、山口
晋太郎の4人の旗本知行地が入り組んだ四給村であった。(註2)小野路村の明治3年(1870)の面積は、
田方35町5反1畝5歩、畑方103町1反6畝26歩、田畑合計138町6反8畝1歩であり畑作地帯
である。これを土地(田畑)所有規模により、上層(10町以上〜1町5反)、中層(1町5反未満〜3
反)、下層(3反未満〜反別なし)と大別すると第7表(註3)のようになる。
田畑反別(反) | 村全体 人数(人) |
村全体 割合(%) |
土地所有 (%) | |
上層 | 100以上 | 2 | ||
55〜99 | 0 | |||
30〜49 | 4 | |||
15〜29 | 25 | |||
小計 | 31 | 20.1 | 68.7 | |
中層 | 10〜14 | 12 | ||
5〜9 | 18 | |||
3〜4 | 23 | |||
小計 | 53 | 34.4 | 25.9 | |
下層 | 1〜2 | 34 | ||
0.1〜0.9 | 36 | |||
なし | 0 | |||
小計 | 70 | 45.5 | 5.4 | |
合計 | 154 | 100.0 | 100.0 |
(「小野路村戸籍」明治3年)
註 小島政孝「小野路村の農兵隊」より引用
上層のうち10町以上所有している2戸は、幕末期に小野路村の寄場名主をしていた小島家と橋本家であ
る。この2家は新選組の後援者であり、さらに小島家の当主鹿之助(為政)は近藤勇と義兄弟の契りを結
んでおり、また小島家、橋本家と土方歳三は親類の関係にあった。小島家は16町9反1畝22歩を、橋
本家は13町4反1畝13歩をそれぞれ所有し、村全体の約22%に当たる田畑を所有していた。第7表
で明らかなように、上層が戸数では村全体の20.1%ににすぎないのに、土地所有高は68.7%と村全
体の7割近くにもなっている。それに比べて下層は、戸数では45.5%と約半数に達しているにもかかわ
らず、土地所有高はわずか5.4%と、戸数と土地所有高が反比例しており、農民層分解がかなり進んでい
ることが解る。(註4)
(註2)「町田市史」上巻
(註3)小島政孝「小野路村の農兵隊」の中の第3表(小野路村土地所有規模別階層構成表)と第4表(小野路村戸数と土地所有の
(註4)同論文。
関係表)を合成して作成。