新選組 <8>
 

第2章 新選組の背景 第一節 「世直しの状況」下における関東豪農層の対応のしかた            

土方歳三 (「新選組写真集」新人物往来社 より)  
 終始一貫して新選組の実権を握っていた近藤勇・土方歳三は、武州多摩郡の自作
上層農民であり、また新選組幹部には武州出身者が多い。さらに新選組の後援をし
ていたのも、武州多摩郡の豪農であった。
 ところで当時農村では、商品経済の進展によって農民層分解が進み、その結果、
豪農・村役人などの上層農民と下層農民・貧農・半プロレタリア層との間の対立が
激化した。そして村政改革要求、土地改革要求を強く打ち出した蜂起である「世直
し騒動」が慶応年間になると激増した。特に天領、旗本領、譜代小藩の入り組んだ
関東地方は世直しの波をまともに受け、豪農や村役人層は世直し騒動になんとか対
応せねばならなかった。そしてそういう立場にあったのが、新選組の後援者たちで
あり、かつての近藤・土方たちだったのである。
       [第5表]新選組隊士出身国別一覧表
地方名 国名 人数
(人)
地方名 国名 人数
(人)
地方名 国名 人数
(人)
東北
(11人)
陸奥 近畿
(35人)
摂津 九州
(9人)
筑後
出羽 河内 肥後
関東
(44人)
常陸 10 山城 15 薩摩
下野 大和 対馬
上野 丹波 不明 128
下総 伊勢 合計 251
上総 播磨
 1.この表は文久
  3年(新選組結
  成)から慶応4
  年(近藤勇逮捕
  )までの判明分
  である。
 2.この表は古賀
  茂作「新選組隊
  士総覧」(「新選
  組隊士列伝」所
  収)と杉村義衛
  「同志連名記」(
  新選組顛末記」
  所収)を参考にし
  て作成した。
相模 中国
(6人)
出雲
武蔵 22 備中
中部
(14人)
信濃 安芸
越後 長門
加賀 四国
(4人)
讃岐
若狭 伊予
尾張 阿波
甲斐
美濃

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