いったい新選組はいかなる思想の下に彼らの行動をおこしたのであろうか。そもそ
も、新選組の目指した方向と、尊王攘夷派志士の目指した方向とは、全く違ったも
のであったのだろうか。少なくとも、新選組のリーダーである近藤勇・土方歳三は
勤王の心厚く、攘夷の魁にならんことを常に欲している、尊王攘夷派志士と同じ「
尽忠報国」の志であったはずである。ただ新選組と、新選組が「姦悪」「奸物」「
賊奸」などと呼び「誅戮」せねばならない対象としての尊王攘夷派志士とでは、実
はその目的の実現のしかたを異にしていただけではなかったのか。
また従来の、新選組を「幕府の警察隊」として定義する通説に対して、私はもう
一度考えてみる必要があるのではないかと考える。もちろんそれを否定するのでは
ないが、新選組の思想的な面を掘り下げ、政治結社としての性格をもう少しはっき
りと打ちだしてみたいと思うのである。
つまり、新選組の思想的特徴をとらえ、それによって新選組の再評価を試みたい、
というのが本稿の目的である。その方法として、新選組において常に指導的立場に
あった近藤勇一派をとりあげ、特に近藤勇の思想を中心に追うことにしたい。そう
することによって新選組の全貌が明らかになるのではないかと考える。そして取り
扱う期間は主に京都在住の5年間、つまり文久3年(1863)〜慶応3年
(1867)とした。なぜならこの5年間のみが、新選組が新選組として活躍でき
た時期であり、私は王政復古の大号令をもって、事実上の新選組の終焉と考えるか
らである。
そしてもし可能ならば、「新選組にとって幕末とは何だったのか。」という点を、
私なりに少しでも明らかにできたらと願っている。