はじめに (1) 25年ほど前、毎日新聞社から「幕末の素顔 日本異外史」という写真集が出版 された。この本を手にした時の衝撃は今でも忘れられない。この本に登場する人物 は、ほとんどが無名の人たちであり、明治維新から130年近くたった現在、その 人たちの存在は、わずか178ページの写真集の一画にしか見出すことができない。 しかしこの人たちこそ、激動の世の中にしっかり足をすえ、一歩一歩歩んできた明 治維新の主役たちなのである。「明治維新」という言葉から機械的に連想される歴 史上の人物−大久保利通・木戸孝允・西郷隆盛・三条実美・岩倉具視等々は、この 無名の人々の前にどれほどの権威を示すことができるのであろう。 この写真集の中に「村むすめ」というページがある。一人のいなか娘の写真が載 っているのであるが、その写真に添えて次のような問いかけがしてある。「幕末の 激変の波をかぶらず また異人や侍の姿を一生見ないで過ごした人々も多い 彼ら にとって幕末とは何か」−この村むすめにとっての幕末と、尊王攘夷派志士にとっ ての、明治維新官僚にとっての幕末とは、果たして異質のものであったのだろうか。 そして現代社会に生きる私たちにとって、幕末とは何なのか。 「新選組」を知らない人はおそらくいないであろう。それほど小説、映画での新選 組の人気は根強いものがある。その理由の第一は、新選組が徳川幕府の滅亡と運命 を共にしたという悲劇的末路が、判官贔屓的な日本人の心情とぴったり合う面を持 っているということであろう。第二に、しかしそれはただ悲劇一色ではなく、京都 における彼らの活躍は、その内容はともかくとして、英雄的な華々しさを持ってい る。そして第三の理由として、新選組の指導者の近藤勇と土方歳三は武州多摩郡の 自作上層農民の出身であり、封建社会における特権階級ではなかったということで あろう。そして新選組の取り扱いは多種多様ではあるが、逆賊であることを認めた 上で敵ながらあっぱれであるという評価をしているものや、時代の波に押し流され た、自分ではどうしようもなかった幕末の悲劇であるといった扱いのものが大半で ある。
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