新選組 <16>
 

第3章 近藤勇の政治思想と新選組 第1節 近藤勇の政治思想(1)               <近藤勇の建白書・書翰などによる考察 >      [その1]

       土方歳三の刀剣 (所有者のご好意により、その写真を掲載させて頂きました。)
              非常に軽く、実戦向きの刀剣であることが解ります。


   山守の使いは来ねど馬に鞍
       置いてぞ待たん花の盛りを(註1) 
 これは近藤勇が京都に出る前、すなわち武州多摩郡時代に橋本家で詠んだ和歌である。私はこの歌から、近藤
の将来の姿を予測することが可能であると思う。何か事あればいつでも出立するだけの心構えを近藤は持ってい
ると同時に、いずれ自分は激動の波の中に身を委ねるであろうという予感がこの歌から感じられる。
 文久3年(1863)春(2月頃)、近藤らが浪士隊募集に応じ、京都へ旅立とうとする時、近藤と深い親交があった
谷合(註2)が近藤へ送別の辞を送った。その送別の辞から、近藤が侠の心に厚く、武勇に優れているが、すぐにカッ
カとするほど一途な面を持っていることが解る。この近藤の性格は、今後の彼、及び新選組の京都での活躍に大き
く反映していくものと思われる。
 近藤が新選組を結成した頃に作った二つの漢詩と一つの和歌が残っている。

    大夫立志出関東   宿願無成不復還
    報国尽忠三尺剣   十年磨而在腰間

    事あらはわれも都の村人と
          なりてやすめむ皇御心

    富貴利名豈可羨   悠々官路任浮沈
    此身更有苦辛在   飽食暖衣非我心(註3) 

この三つの歌から近藤がどのような決意を心に抱いて上京してきたかが解る。「宿願無成不復還」と近藤はいいき
っている。そして「報国尽忠」を掲げ、「皇御心」をやすめるために「富貴利名」「飽食暖衣」など目もくれず、事あれば
「都の村人」となって働こうという彼の心情をこの二つの漢詩と一つの和歌に詠んだ気持ちに忠実に、これ以後5年
間都=京都で華々しく活躍していくのである。
 そこでこの節では、近藤勇の建白書、歎願書、書翰等をみていくことにより、近藤勇はどのような政治思想を持っ
て行動したのであろうか、ということを明らかにしたい。今までは近藤勇は剣士近藤勇として一般には知られており、
政治面においてはあまり知られていなかった。しかし旗本にまでなった近藤は、当然いろいろな会合に出席し、自分
の意見を述べているので、自分なりに政治思想を持って行動していたと考えられる。そういうことを前述したように、
近藤の建白書などから探っていこうというのが本節の目的である。
 そのためまず最初に、近藤はどういう目的で新選組を結成し率いていったのかという面を明らかにしたい。一般に
は新選組というと、京都の治安を守る警察隊のような役割を果たしていたと考えられている。彼らの歴史を見てみる
と、実際にそういう面が強いのであるが、果たして近藤の究極の政治目的はそのようなものであったのだろうか。私
はそのことを明らかにすることにより、新選組の本来の姿を浮き彫りにすることができると考える。そして次に、近藤
の政治思想というものを細かに見ていきたいと思う。

(註1)小島政孝「近藤勇」(「新選組隊士列伝」所収)69頁。
(註2)武州八王子に住む米屋で、文学をたしなみ、近藤とは深い親交があった。
(註3)前出、「近藤勇」69頁。谷春雄「井上源三郎」(「新選組隊士列伝」所収)175頁。

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