2007年「ニューヨークお上り旅行」
娘のキトリがアメリカに留学して四年。初めてキトリの住むロサンゼルスを訪れました。ロサンゼルスに3日滞在、その間、地元レストランや州立大学、MEND(低所得者のためのボランティア団体)など、ツアーでは行くことのできない場所に連れて行ってもらいました。 アメリカ旅行の後半はニューヨークの旅。アメリカ出発前にネット電話でキトリと打ち合わせをし、すでに必要なチケットは入手済みです。さあ、憧れのニューヨークの旅に出発。
6月30日(土) カリフォルニアの空は、今朝も青く輝いています。8時30分、ホテルを出発。ロサンゼルス国際空港に向かいました。 国内線カウンターで発券をしたら、なんと、SSSS(無作為抽出のセキュリティーチェック・フルコース)に大当たり! 靴を脱ぎ、女性の職員がボディーチェック、荷物は検査機を通します。SSSSですから、特別なチェックがあるのでは、と好奇心の強い私は内心わくわくしていたのですが、思ったほど厳しくはなく、少しがっかりしました。 ジョン・F・ケネディ国際空港に到着後、宿泊先ホテルへ。ホテルに着いたのは、夜10時頃でした。1時間ほどの休憩の後、エンパイア・ステート・ビルの夜景を見に行くためにタクシーを拾いました。ところがそのタクシー、アメリカ版神風タクシーとでも言うべき荒い運転で、恐ろしいの何のって。乗っているタクシーが、歩行者の渡っている横断歩道に突っ込んで行ったときには、私もキトリも「あぁっ!」と思わず声をあげてしまいました。 ニューヨークは深夜でも人通りが多く、タクシーの流しもたくさん走っています。メインストリートには屋台(スタンド)が出ており、思ったよりも治安が良かったです。ただし、路上にはポリス、道路脇にはパトカーの姿が見られました。
7月1日(日) 朝7時にホテルを出発。摩天楼が林立しているニューヨークの街は、なんとなく薄暗い感じがします。今日はマンハッタン島周辺クルーズの日です。キトリが調べたところによると、フェリーターミナルはサウスフェリーという所にあるようです。サウスフェリーに行くために、私たちは地下鉄を利用することにしました。日本の地下鉄と同じように乗車券を機械に通してホームに入るのですが、帰りは機械を通さずにそのまま外に出られます。私たちは1回分の乗車券(メトロカード)を買うことにしました。乗車券(メトロカード)を購入してから二時間は、地下鉄・市バス乗り放題だそうです。 サウスフェリー到着後、キトリがチケット売り場で乗り場の確認をしたところ、乗り場が違うことが発覚。急いでタクシーを拾い、クルーズのフェリー乗り場であるピア83に向かいました。少し焦りましたが、出航予定時間(9時30分)の1時間前に無事到着することができました。 「こういうアクシデントがあっても大丈夫なように、余裕を持って朝7時に出発したんだもんね」 と自慢げなキトリ。あらあら、乗り場を間違えたのは、いったい誰なんでしょうね。 3時間のマンハッタン島周辺クルーズを終え、タクシーで世界貿易センタービル跡地へ向かいました。シーク教徒の運転手さんは、英語がなまっているため何を言っているのかほとんど分かりません。しかも世界貿易センタービル跡地の場所も知らないので、キトリが地図を片手に通りの名前を教え、やっとのことで目的地に到着することができました。 跡地を後にして、五番街とセントラルパークの散策を楽しみました。その後タクシーを拾ったのですが、またしても凄く荒い運転をします。ジェットコースターに乗っているぐらいスリリングで、生きた心地がしませんでした。
7月2日(月) 昨日と同様、朝7時頃ホテルを出発。今日の予定は自由の女神の見学です。月曜日ということもあり、通勤途上のニューヨーカーが沢山歩いています。男女とも颯爽としていて、まるで映画の1シーンを見ているようです。路上の屋台(スタンド)では朝食を売っており、ニューヨーカーがベーグルサンドや果物を買っていきます。その姿さえも絵になるのです。本当に素敵! そう言えば、多くのニューヨーカーは太っていないのです。ロスではどこに行っても小錦オンパレードでしたが……。 地下鉄に乗りサウスフェリーへ。車両にはビジネスマンが沢山乗っていました。しかし日本の朝のラッシュほどは混んでおらず、座ることができました。 サウスフェリーに着くと、すでにフェリーに乗船する人の長い列ができています。急いでその列に並び、フェリーに乗船しました。 リバティ島で下り、皆が進む方向についていくと、ここでも自由の女神の台座に上るための長蛇の列が。列を成しているのは、世界各国から集まったお上りさんばかりです。英語、フランス語、スペイン語、韓国語、日本語などなど、各国の言語が飛び交っています。おそろいのTシャツを着たアメリカ人の団体さんもいます。もちろん私たちもお上りさんですが……。1時間ほど並んで、やっと入り口に辿り着きました。そこでセキュリティーチェックを受けます。風を身体に吹き付けて検査をする(衣類が風でふくらむ)のですが、この方法は初めて体験しました。 入り口を入ると、女神の顔と同寸大のレプリカが飾ってあります。さらに中に進んでいくと、女神の足のレプリカや女神像の説明、自由の女神に関する歴史などを紹介するコーナーへと続きます。その先に台座に上る階段があります。何段もある階段を上ると、そこは360度の展望台です。そこから見るマンハッタンの摩天楼の美しいこと! 「わぁ、素敵! 『ウェストサイド物語』のオープニングに出てくる俯瞰シーンそのままだね」 私が感激して景色にみとれていると、横にいたキトリが 「古い映画……、歳が知れるよ」 とボソッ。実は2001年の9.11同時多発テロ以来、自由の女神像内部の立ち入りは禁止されていました。しかし2004年8月3日から台座までの見学が再開されたのです。テロ以前は、王冠まで上ることができたそうです。王冠まで続く螺旋階段を見上げ、テロの影響がこんなところにまで及んでいるのだと複雑な思いがしました。 夜8時からは、今回の旅行で最も楽しみにしていたブロードウェイ・ミュージカルの観劇です。『オペラ座の怪人』を上演しているマジェスティック劇場に向かいました。 入館後、まず日本語のイヤホンガイドを借りることにしました。1つ10ドルなのですが、確実に返却されるよう、貸出の際にパスポートか運転免許証を預かると言うのです。たった10ドルのために、大切なパスポートを渡すなど考えられません。運良くキトリが運転免許証を持っていたので、それを預けることにしました。キトリの話では、このようなことは、アメリカではそれほど珍しくはないそうです。座席は1階の良席でした。劇場は想像していたより狭く、舞台は高さはあるのですが、幅はやや狭いように感じられます。とは言え、シックな赤を基調とした内装は、豪華な中にも落ち着きがあり、まさに19世紀のオペラ座の雰囲気を醸し出していました。 『オペラ座の怪人』、ただただ素晴らしいの一言! ストーリーは熟知していましたが、英語のできない私は、台詞や歌詞を全く聞き取ることができません。それにもかかわらず、ラストでは涙が止まりませんでした。幕が下りた後、場内はスタンディング・オベーション、いつまでも拍手はなりやみません。 「ファンタムの歌唱力、凄すぎる!」 「クリスティーヌの歌声も素敵!」 「やっぱり本場は違うよね」 舞台に完全に魅了されてしまった私たちは、劇場を出ても興奮冷めやらず、しばしマジェスティック劇場を離れることができませんでした。
7月3日(火) 楽しかったアメリカ旅行でしたが、今日はついに帰国の日。タクシーでジョン・F・ケネディ国際空港に向かいました。その時乗ったタクシーの運転手さんはインド人でした。キトリと2人でお喋りをしていたら、その声が耳障りだったのでしょうか、ラジオのボリュームをどんどん上げていくのです。その音がうるさくて、お互いの話す声が全く聞こえなくなってしまいました。ニューヨークではタクシーに何度も乗りましたが、運転手さんが並はずれて個性的なのには感動すら覚えました。 キトリとは国際線出発ロビーで別れました。今度会うのは1年後の卒業式かな。元気でね、キトリちゃん。お世話になりました。 搭乗時間が近くなったので、トイレに行くことにしました。この時、予想だにしない大変な事態が起こりました。トイレの個室のドアが開かなくなってしまったのです。私は「エクスキューズ ミー!」と、ドアを叩きながら叫びました。その声を聞きつけて、アフリカ系アメリカ人の女性清掃作業員がやってきました。しかしドアは開きません。彼女は「係の者を呼んでくる」と言い残し、去って行きましたが、それっきり誰もやってくることはありませんでした。搭乗時間まで、あと15分しかありません。自力脱出を試みて、必死でドアをがたがた揺すっていたら、 「日本の方ですか?」 と若い女性が日本語で声をかけてくれました。ドアの向こうから開け方を教えてくれたのですが、ドアはびくともしません。するとその女性はおもむろに隣のブースに入り、便器の上に乗り、壁越しに上半身を私のブースに乗り出しました。そして、 「鍵を左に回して下さい。回しながらドアを押してみて下さい」 と開け方を指示してくれました。言われたとおりにやってみたら、今度は無事ドアが開きました。ドアが開いた時の嬉しかったこと。彼女には心から感謝しています。 トイレから解放され、私は無事、帰国の途につくことができました。
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