ゆ う ぞ ら
〜夏の終わりに〜


『鬼の洗濯岩』が続く日南海岸


♯フェーズ1 日南海岸
旧盆を故郷で過ごす家族連れを乗せた羽田からのANA603便が到着すると、宮崎空港の到着ロビーは蜂の巣をつついたような騒ぎになった。親類を探す出迎えの人々。Uターンラッシュの模様を報道するTVクルー。東国原知事のハリボテ…(?)。もとより私も混乱の原因を作った一人だったが、いち早く搭乗便から降り、バゲージクレーム・エリアを抜けたため、酷い状態に巻き込まれずに済んだ。

宮崎滞在は僅か4時間の予定だが、その時間を利用して日南海岸をドライブしようと目論んでいる。ダイハツ・ムーヴを3,308円でレンタルし、さっそく国道220号(通称日南フェニックスロード)を南下する。通り雨が降ったかと思えば、真夏の強烈な日差しが照りつくという不安定な天候だが、事前の予報では終日雨だっただけに満足の行くドライブ日和となった。

大学の卒業旅行の時に路線バスで通り、その景観に感動した堀切峠を走るため、いったんバイパスから外れる。当時はもっと山深い印象を受けた峠道をあっけなくクリアして、車窓に日向灘が広がった。堀切峠はそのまま通過し、700bほど下った道の駅『フェニックス』で小休止した。

青い海、白い雲という夏を象徴する景色が広がり、気温は35度以上だったが爽快である。時間が許せば、レストハウスで夏の海を見ながらもの想うこともできたが、私には時間がない。15分ほどの滞在で再びハンドルを握った。

いるか岬で宮崎市から日南市に入り、しばらく行くと海水浴場が見えてきた。富土海水浴場という名前だが、お盆休み真っ盛りというのに人出が少ない。湘南や伊豆にあれば、芋を洗うような混雑になりそうなところだけに、いわゆる穴場といった感じである。


夏空が広がる道の駅『フェニックス』


噴き出る汗は猛暑のため?それとも冷や汗?


レンタルしたムーヴ(いるか岬)


富土海水浴場…お盆休みなのに空いていた


時間が許せば昼寝をしたくなる砂浜

日南海岸を再び南下して、今回のドライブの目的地である鵜戸神宮に向かう。日南海岸きっての名所旧蹟で、私も何度か訪れたことがあるが、ここのロケーションにはいつも感嘆する。青い海を見ながら参道を行くというシチュエーションは珍しく、最後に行き着く先は洞窟の中の本殿。人出の少ない時に訪れたなら、洞窟の中に海鳴りがこだますることだろう。運玉を投げる参拝客を見ながら、私は外界とは対照的な涼しい本殿で、しばし時を忘れて佇んでいた。

鵜戸神宮を発ったところで残り時間はちょうど2時間。国道220号バイパスを快調に北上する。宮崎空港目前の青島パーキングで小休止。時間に余裕があれば立ち寄りたかった青島は、遠くから眺めるにとどめ、日南海岸のドライブを締めくくった。


カーブの向こう側に青い水平線


鵜戸神宮は海に臨むロケーションが素晴らしい


断崖の洞穴にある本殿

♯フェーズ2 にちりんシーガイア
宮崎から博多へ5時間40分。在来線の昼行特急列車の中でも1・2位を争う所要時間を誇る列車、それが「にちりんシーガイア」20号である。私がこの列車に目を付けたのは、その乗車時間はもとより、781系という前面展望に優れた車両形式であること、またその前面展望が普通車喫煙指定席で拝めるという理由からである。また昼下がりから夜の時間帯を走るため、車内でお酒を飲むのにぴったりというのも欠かせない重要な理由である。

宮崎空港を離着陸する旅客機を横目に、列車の旅はスタート。まずは南宮崎、宮崎と各駅停車のように停まっていく。日豊線の南部は単線であるため、対向列車の行き違いが頻繁に行われる。対向列車が遅れて到着すると、こちらの列車も遅れてしまう。この日も宮崎発車時点で10分の遅れを背負ってしまった。

宮崎を出ると、時折車窓に日向灘が見え隠れし、海の青さに目を奪われる。淡々と田園地帯を120`で快走し、宮崎から約1時間で延岡に到着する。ここから列車は宮崎・大分県境の「宗太郎越え」に挑む。普通列車は上下それぞれ3本しかないため、「青春18きっぷ族」にとっては幹線とは言えぬ「難所」のひとつである。一方、特急列車は1時間に1本は確保されているため、駅ですれ違う列車は特急ばかりである。急カーブが多い隘路であるため、それまで快走してきた783系ハイパーサルーンも85`以下に制限されている。そのため宮崎〜延岡間83.7`を1時間6分でこなしたこの列車も、延岡〜佐伯間58.4`に58分を要する。

このあたりになると、宮崎空港で買ったバドワイザーの350_缶を3本あけ終え、缶チューハイに手を伸ばしていた。かなりいい感じに出来上がっていて、最高速度でぶっ飛ばされるより、カーブレールをキーキーいわせながら、ゆっくりと峠を上り下りする方が心地よい。おまけに私は進行方向右側の最前列の座席で、前面展望を独り占め。至福のひとときを過ごすことができた。

佐伯を出ると再び海が車窓を飾る。宮崎の海とは対照的に、大分の海は静かな入り江がほとんどである。佐伯、津久見、臼杵といった主要駅に近づくと必ず海沿いを走る。夕空の下、黒い塊となった岬や小島が車窓のアクセントとなっていた。海を背に西に向かえば強烈な西日。夏の日は強烈なコントラストとなって脳裏に焼きついていく…。


「運玉」を矢印の縄の所に投げ入れる観光客


国道220号青島パーキングより青島を望む


青島パーキングにてムーヴと筆者


宮崎空港から『にちりんシーガイア号』乗車


駅のホームからは飛行機の離着陸が見られる


日豊本線の隘路「宗太郎越え」に挑む


大分県に入ると静かな入り江が車窓の友


強烈な西日を浴びて列車は走る


別府では突然の夕立が襲う


ゆうぞらを観ながら至福の時を過ごす


すっかり日が暮れて信号機がまぶしい

大分が近づくと急に大都市に来たかのような錯覚に襲われる。駅のホームで列車を待つ長い列。併走する満員のローカル列車。それほど宮崎〜大分間はのんびりムードが漂っていたわけである。

夏の終わりは天気が急変する。つい10分ほど前まで西日が眩しかったのに、大分を出るころには雨がフロントガラスを叩きつけていた。その雨も杵築を過ぎ、国東半島の根元を走る頃には上がり、再び夕空が車窓を彩る。ウイスキーを舐め、タバコをくゆらしながら、私は長距離列車の旅を満喫するのであった。

宇佐、柳ヶ浦、中津と、走っては停まりを繰り返すうちに日はとっぷりと暮れ、夜行列車の様相を呈してきた。大都市の夜景が近づき小倉に到着。「のぞみ58号名古屋行きに接続」との車内放送にちょっぴり現実に引き戻されたが、まだ「にちりんシーガイア」の旅は終わらない。小倉で進行方向が替わったの機に、4席のボックスシートに仕立て、ゆったり気分で「にちりんシーガイア」の最後の走りを楽しんだ…。

♯フェーズ3 佐賀競馬場
バルセロナ・オリンピック水泳女子200b平泳ぎで、岩崎恭子さんが金メダルを獲得した時も九州を旅行中だった。そして今年、北京オリンピックの水泳男子200b決勝で、北島康介選手が1位になった瞬間は、鳥栖に向かう鈍行列車の車中であった。当時と違い、現在ではワンセグ携帯で時と場所を問わずテレビ放送が見られる。便利な世の中になったものである。

歴史と伝統を感じさせる鉄道の要衝・鳥栖駅の駅舎を眺め、佐賀競馬場に向かう路線バスに乗車する。佐賀の競馬ファンは、ほとんどがクルマで競馬場へ行くらしく、競馬観戦にはほど良い12時台のバスにも関わらず、競馬場前バス停で降りたのは、私の他に2人だけだった。鳥栖から競馬場へは、所要13分、運賃は280円だった。


5時間40分の長旅を終え博多駅に到着


佐賀競馬場へは鳥栖駅で路線バス乗り換え


35度を超える猛暑日となった佐賀競馬場


地方競馬場としては立派なスタンドが建つ


500円で冷房を享受する

佐賀競馬場は、先月訪れた函館競馬場に雰囲気が似ていた。パドックは入場門とスタンドの間にあり、屋外からでも屋内からでも見ることができる。指定席はガラス張りで、エアコンが効いていて同じ600円払うなら、断然佐賀競馬場の方がお得感がある。ただし、この日は35度を越える猛暑日ということもあって、エアコンの効きが悪く、汗をかきながらの観戦だったが…。

競馬新聞を買い求め、さっそく12時45分発走の第4レースの検討に入る。といっても時間がないので、新聞に◎○▲が付いている3頭を1着、2着欄にマークし、3着欄にその3頭にプラスして、軽い印が付いている3頭を加えた3連単フォーメーション24点を100円ずつ買ってみた。途中で「8頭立てのレースだから、3着欄に全頭塗っても良かったかも…」と思ったが、「まぁ様子見だから、これでいいか」と思い窓口にマークカードを差し出した。

レースの方は、目論み通り1着に▲、2着に○の馬が入線したが、3着に無印の馬が突っ込み、3連単で1,454.8倍の大波乱。無印の馬までマークし、あと1,200円買っておけば14万円以上の配当を得ただけに、悔やみきれない結果となった。

すっかり意気消沈してしまった私に追い討ちをかけるように、続く第5レースの2歳戦では、軸馬の1番人気の馬が1着入線するも走路妨害で失格。踏んだり蹴ったりの様相を呈してきた。

第6レースで3連複を的中させるも、上位人気が順当に来てしまい、170円マイナスとガミってしまった。まぁそれでも、的中しただけ良かったのかもしれない。続く第7レースでは軸馬が5着に沈み、第8レースでは3連単24点購入も、1着11番人気、2着6番人気、3着7番人気と入線し、どうひっくり返っても馬券は取れない117万馬券が飛び出した。

そしてメインの第9レース。ここまではコースを1周する1,400bのレースばかりだったが、メインレースは向こう正面からスタートし、コースを1周半する1,850bの中距離戦。今までのマイナス分を一気に取り返すべく、42点買いの勝負に出た。第4レースでの判断ミスを反省し、3着欄には全頭マークする念の入れようであった。


佐賀競馬場の建物を背景に筆者


有料指定席は意に反して暑かった


夏空の下サラブレッドが駆け抜ける


小ぶりながらパドックも充実していた

佐賀競馬成績表('08.8.14) 単位;円
レース 投資 回収 収支 累計
4R 2,400 0 -2,400 -2,400
5R 600 0 -600 -3,000
6R 2,000 1,830 -170 -3,170
7R 1,000 0 -1,000 -4,170
8R 2,400 0 -2,400 -6,570
9R 4,200 0 -4,200 -10,770
合計 12,600 1,830 回収率 14.5%

第4レースのゴール前。14万馬券を取り損ねる


第5レース2歳戦のスタート直後


土けむりを上げて直線を疾走する


1番が1着入線するも失格


メインレースは向こう正面からスタート


夕日を浴びて寝台特急はやぶさが入線

16時10分、向こう正面をスタートした各馬は一団となって1周目のスタート前を通過。勝負どころのバックストレッチで、1着欄にマークしたE番がペースに付いて行けず脱落。馬券を的中させるには、1着G→2着AかBの順で来ることが絶対条件となった。最後の直線を入ったところでGABの順。思わず「そのまま〜、そのまま〜」と叫んでしまった。が、その声もむなしくゴール手前でGがBにかわされクビ差で2着。資金のマイナスは1万円を越え、初めての佐賀競馬観戦は終了した。むなしい足取りで鳥栖駅に向かい、ちょうどホームに入線してきた寝台特急「はやぶさ」号で、浜松に帰ってしまおうかと思ったことである。

♯フェーズ4 0系こだま
昭和39年に東海道新幹線が開業して以来、44年間にわたって日本の大動脈を走り続けてきた0系新幹線。いよいよ今年11月末で引退する。中学1年生の冬に友達どうしで行った小旅行で、進行方向右側の窓から富士山が見えたこと。また、大学受験で朝の新幹線に乗り、そのまま静大に向かったこと。社会人になってから、ツアーの添乗で大勢のお客様を引き連れて2&2シートに乗ったことなど、私の人生の中で0系新幹線が絡んでいることはかなり多かった。

1999年に東海道新幹線の運用がなくなってからは、身近な場面で、あの愛らしい鼻面を見ることが無くなったが、「0系引退近し」との噂が立った2002年2月には、新大阪〜博多間を0系こだまで乗り通してみたりした(0系こだま惜別の旅路を参照)。そして今回、少し早いけどお別れ乗車をすることにした。お盆休み中ということで、同好の人達が大挙してこの列車に乗ったらどうしようかと思っていたが、いざ乗車してみたら、6号車喫煙自由席には博多発車時点で片手に余るほどの乗客しかおらず拍子抜けした。

時間帯からいって、最も混み合うのは博多〜小倉間とにらんでいたので、安心して前のシートを回転させ4席ボックスを作る。少々行儀が悪いが、前のシートに足を投げ出しビールを飲み始める。刻々と色を失っていく夕空を見ながら、これまでの0系乗車の思い出をひとつひとつ確認していった。「走る居酒屋」というよりは止まり木の雰囲気かもしれない。

小倉では、まだ車窓も明るかったが、新関門トンネルを抜けた新下関停車中には、とっぷり日が落ちた。こうなると車窓に変化がなくなるので、自然と車内のアコモデーションに目が行く。2+2シートに改装され、ゆったりとしたシートの肘掛には、グリーン車風とまではいかないが、簡易的なカクテルテーブルが付いている。窓枠がFRPユニットのため、窓下のかまちがないだけに、このテーブルは缶ビール置き場として重宝した。

視線を上に向けると、冷房ユニットが出っ張り、その両サイドには蛍光灯のカバーが並んでいる。100系以降は天井部分が平板になっているため、レトロな印象を受ける。レトロの最たるものは、車内ドア上の差込式の号車札。青地に白で「6号車自由席」と書かれており、その書体も昭和チックであるので、心無いファンに盗まれないか心配なシロモノである。

さて、車内は閑散状態だが、主だった駅のホームには必ず三脚を立てた「撮りテツ」さんが陣取っている。夜間で撮影条件が悪いにも関わらず、反対側のホームから望遠レンズでこの列車を狙っている。私も新岩国停車中に手持ちのデジカメで撮影してみた。新幹線のホームは明るいため、カメラをがっちり固定できれば、背景が暗い分だけ車輌が際立つ感じである。

広島で9分停車し、20時49分の発車。広島ならともかく、他の地方都市では、もはや深夜の時間帯である。これ以上、乗客は増えないと確信し、安心して居眠りをする。目が覚めると新倉敷に停車中だった。1時間ほどの睡眠で頭がすっきりしたが、よせばいいのに再び酒に手を出す。もっとも今度は薄い水割りだったが…。

岡山を発車すると、終点新大阪までは1時間15分。のぞみでも48分かかる距離であるので、こだまも案外速い。青春18きっぷのお世話になっていた頃には、鬼門であった岡山〜相生間をわずか20分でこなし、「こだまの旅も悪くない」と実感したが、その相生で後続の「ひかりレールスター」に抜かれるため6分停車。こだまの旅は「追い抜かれる旅」である…。

相生から先は、後続に抜かれることなく最後の激走。そして23時21分。4時間39分の長い旅を終え新大阪に到着。引退を機に以前のメロディに戻された、車内放送のチャイムに感動した。新大阪のホームは深夜にも関わらず、0系の最後の雄姿を撮影するファンでいっぱいだったのには、ちょっとびっくりしてしまった。

翌朝浜松を通過するはやぶさを見送る


博多駅11番線に0系こだまが登場


新大阪まで4時間39分。走る止まり木と化す


ゆうぞらに染まる筑豊の田園を行く


小倉駅手前で板櫃川を渡る


ゆったりとした2+2列シートでくつろぐ筆者


差込式の号車札と蛍光灯が昭和風


真夜中の様相を呈する新岩国にて


丸みを帯びた先頭車を拝めるのも今秋まで


23時20分過ぎの新大阪の混乱ぶり

<おしまい>

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