大垣行き快速の記憶 1980年の暮れ、鉄道少年だった私は友人と連れ立って浜松駅に列車の写真を撮りに行った。ターゲットは早朝に浜松駅を通過するブルートレインであった。東京行きの最後発列車である「さくら」を見送り、「それじゃ153系でも撮りますか」と4番線に停車している大垣行き快速列車にレンズを向けて驚いた。屋根にいっぱいの雪を積んでいたからである。大垣電車区を早暁に発ち、浜松で折り返して快速列車となるその電車は、昨晩大垣で降った雪をはるばる浜松まで届けてくれたのであった。めったに雪の降らない遠州に住む私達はそれに感動し、「じゃぁ今度快速で大垣まで行って雪を見てこようか」ということになった。恒例のSpring Tourの前身である「冬の大垣Tour」の始まりはこんな成り行きからだった。 その後、冬になると決まって大垣方面に出掛け、雪の伊吹山の美しさに見惚れてしまった。受験生だった高校3年生の時も、京都の大学を受けるためにわざわざ在来線を利用して伊吹山をじっくりと鑑賞したほどである。 そして大学に入学し、1987年の春、せっかく「青春18きっぷ」を使うのだからと大垣より西に足を伸ばした。その鳥取〜岡山〜高知と夜行列車で横断した「西のサイドラインTour」が今に続くSpring Tourの始まりで、今年でかれこれ満15年ということになった。 |
雪の柏原駅のホームからは美しい伊吹山が間近に眺められる |
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さて、今回のSpring Tourも始まりは東海道線から。浜松からは311系電車に乗車(左下の画像)。もともとは大垣行きの新快速列車として使われていた車輌であり、現在は浜松以東にも乗り入れて主に並の快速や普通列車として使用されている。豊橋で313系の米原行き特別快速に乗り換えてさらに西を目指す(下の真ん中の画像)。313系は311系の後継車として東海道線では主に特快や新快速に使われているが、身延線や御殿場線のローカル線区でも仕様を変えて走っている。久々に乗った特快は痛快な乗り味で、120`で小駅を次々と通過していく。それどころか大府みたいなジャンクションも通過で、走りは特急並みである。 名古屋を過ぎ木曽川を渡ると、やがてお目当ての伊吹山が見え隠れしはじめる。大垣から各駅停車となって関が原に向かって登り勾配となる。関が原で雪景色となり、柏原、近江長岡では美しい伊吹山の姿が間近に眺められ私はご満悦である。そうこうするうちに列車は米原に到着して、この旅最初の途中下車をする。 |
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米原でJR西日本の株主優待券を使って博多までの乗車券と新大阪〜博多間の新幹線特急券を格安にゲット。次の新快速を待つ間にホームの立ち食いソバで空腹を満たす。つゆの味は関西風の薄口醤油で旅を実感する。さて、米原駅の立ち食いスタンドは、いつだかの青春18きっぷのポスターに登場している。湯気の立つどんぶりをかっ込んでいる旅人の姿はそれだけで絵になるものである(私の姿が絵になっていたとは言わないが・・・)。そうこうするうちに姫路行きの新快速が入線し車中の人となる。JR西日本のアーバンネットワークの花形である新快速の車輌は223系(右上の画像)。浜松から新大阪までは期せずして全て3つドア転換クロスシートの車輌で乗り継ぐことになり時間さえ気にしなければ快適な旅が約束される。その快適さにかまけて居眠りしてしまったが、それもひとつの旅の楽しみ方でもある。 |
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0系こだま惜別の旅路 東海道から0系新幹線が引退して2年と数ヶ月。山陽区間では編成が短くなったものの0系はまだまだ健在である。しかし昨年4両編成のこだまが100系に改められて少々様相が変わってきた。早晩6両編成のこだまも100系に置き換えられて引退ということになりそうな時代の流れである。そんな噂を聞きつけてのことか、新大阪のホームにはカメラを持ったファンらしき人たちが、さかんに0系に向かってシャッターを切っている。私は被写体になっている博多行きこだま627号に乗り込んだ。 |
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私は、博多までこだまを乗り通す4時間48分の時間で一つの目標を立てた。それはのぞみやひかりを退避する停車時間を利用してホームで売っている駅弁を食べていこうというものである。今流行の「フードバトル」真っ青の試みであるが、ヒマを潰すにはやはり「食べる」か「飲む」かしなければやってられないものである。さっそく新大阪で弁当を2つ購入した。今回の旅にふさわしい「新幹線」という名前の幕の内と、大好物の鯖の棒寿司である(左上の画像がパッケージ、その右が中身)。まずは「旅の前途に幸あれ」と缶のウーロン茶に持参したウィスキーのミニボトルを流し込んで「乾杯」としゃれ込んでみた。つまみはもちろんこれらの弁当である。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東海道でもそうだが、こだまの旅はただひたすらに「通過待ちの旅路」である。新大阪から博多までの4時間48分という時間は、のぞみに乗ればちょうど東京〜博多間の所要時間に相当する。表定速度で2倍の列車に抜かれるのは必然である。そのため先に掲げた途中駅で弁当購入というワザも実行できるのだが・・・。最初の通過待ちは西明石。新大阪を11分後に出たのぞみ9号に抜かれる。で、ホームに降りて駅弁屋さんを探したが、立ち売りはおろかお店も閉まっており駅弁は買えずじまい。次の退避駅の相生も同様である。姫路や岡山では駅弁が売られているが、停車時間が少ないため買えない。そんなジレンマを抱えながらこだまは淡々と走っていく・・・。山陽新幹線は東海道に比べて乗客の絶対数が少なくホームの駅弁屋さんは基本的に成り立たないのである。新倉敷、新尾道、三原と5分程度停車していくがとうとう駅弁は買えず、そのうちアルコールが回り始めて、「山陽新幹線フードバトル」は企画倒れに終わった。 さて、こんな「こだま」の旅で何が嬉しいかと問われれば、まず真っ先に「空いていること!!」と答える。実際、広島〜徳山で席がかなり埋まった以外は各車輌とも10人くらいの乗車率である。ゆったりゆっくり旅ができれば少々遅くても私は満足である。そんなことを考えているうちに最後の退避駅厚狭に到着した。 |
2本まとめて抜かれる厚狭駅でたたずむ「こだま627号」 |
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厚狭では新大阪を1時間41分後に発車したひかりレールスター377号と、同じく2時間11分後に発車したのぞみ13号にまとめて抜かれる。FMラジオの曲紹介調に言えば「2本続けてどうぞ〜」ってな感じである。停車時間は10分にもなるので、ホームに降りて深呼吸をした。厚手のシャツだけで過ごせるほど暖かく、ちょっと早めの「Spring
Tour」だったけれども十分に春を実感できた10分間であった。わが愛すべき「こだま627号」は厚狭から先はのぞみやひかりに邪魔されることなく走り抜き、まだ日が高い17時5分に博多駅に到着した。以前博多から東京まで500系のぞみで乗り通した4時間49分に比べれば、遥かに快適で優雅な4時間48分であった。これから先、0系こだまに乗れるかどうかは分からないが、もしこれが0系乗車最後の旅であったとしても悔いの残らない「惜別の旅路」となった。 |
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博多の邂逅 地下鉄中州川端駅近くの博多エクセルホテル東急が今夜の宿。18時に博多在住の大学の同級生KAZUさんがホテルのロビーに迎えに来てくれる。まずは魚が美味しいという天神の居酒屋で再開を祝って乾杯(左の画像)。KAZUさんと博多で飲むのは2000年の2月以来ちょうど2年ぶりであったが、双方ともその間に祝い事が無く未だ独身。きままな独身生活であるが「結婚はどうなの?」などとお互い探りあう。興がのるにつれて共通の趣味である洋楽の話で盛り上がり、私がHP上でプレゼントしている80年代の曲を集めたMDを送ることになった。続いて博多で楽しみにしていたラーメン屋さんを訪ねることになり、博多でも行列のできる店として有名な「一風堂」に連れて行ってもらった。スープはもちろんとんこつだが、わりあいあっさりしており美味しかった。その後、彼が博多勤務時代(現在の勤務は飯塚)によく行っていたというジャズ喫茶に行くことになったが、ここはライヴ演奏中で、途中から入場するのは気が引けるということで断念。代わりに喫茶店でコーヒーを飲み締めとした。それにしても大学の友達が日本全国に散らばっていると私のような旅人(?)にとっては、その土地土地でいろんなところに案内してもらえるので非常に助かる。KAZUさん、九州に行った折にはまたお願いします!! |
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白いソニック 翌朝、小倉に向かうため博多8時25分発の「ソニック7号」に乗車する。博多から小倉に向かうため新幹線に乗らずわざわざ在来線特急を選んだのには訳がある。というのも、この特急は乗車初体験の885系特急電車(左下の画像)で運行しているからである。入線してくるかなり前からホームに並び、めでたく先頭車の一番前の座席をゲット。先頭車は運転席を通して前面展望が利くようになっており(下の真ん中の画像)、早くから並んだ甲斐のある特等席である。座席は普通車自由席でも豪華な革張りのシートで(右下の画像)、最新の列車らしくアコモデーションも落ち着いた雰囲気でまとめられている。肝心の乗り心地は、朝の列車ということで先行する普通列車に阻まれて全速で走る場面は少なかったが、それでも振り子列車独特の車輌の傾け方をして十分に豪快であった。 さて、今日は節分。毎年立春の朝に聴いている曲を一日早く聴くことにした。その曲はREOスピードワゴンの「涙のフィーリング」。この曲を聴くと長いトンネル状態であった受験生時代を思い出す。この曲を聴いてほんの少し先に見える光明に希望を見出して頑張っていたんだなぁと当時のことを振り返る。そんなこんなで今のこうした自分があるんだと朝の特急電車の中で思いに耽っていた。小倉到着は9時15分。 |
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小倉駅にモノレールが乗り入れて以来、小倉競馬場へのアクセスは格段と便利になった。小倉駅から10分で競馬場前駅に到着し、右の画像でもわかるように駅から競馬場は目の前である。9時半すぎに小倉競馬場に到着したものの今日はGV「小倉大賞典」の開催日。既に指定席は売り切れており、屋内の自由席もあらかた埋まっていた。仕方ないので、この寒空の中、2階の吹きっさらしの観覧席に陣取って今日一日競馬を楽しむことにした。 初めての競馬場に来るとついつい地元中京競馬場と比べてしまうのだが、数年前改修された小倉競馬場は中京にくらべるとやはり綺麗で、私のいる吹きっさらしの観覧席でさえ背もたれ付きの座席で、椅子の横にはテーブルとカップホルダー、灰皿が付いていた。中京ではベンチシートで背もたれなしのため、タバコを吸っても捨て場所に困るが、こちらはその辺の配慮はなされている。 |
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天気は曇り空で、風が吹くとかなり寒い。昨日は春のような陽気であったため、これは体に堪えた。この旅はじめてヤッケを着込んでスタンド前で記念撮影をした(左の画像)。屋外の観覧席も整然とした造りであることが分かっていただけると思う。 そんな感じで時間を潰すうちにレースが始まった。ゴール前を駆け抜けていくサラブレッドを撮ったり(左下の画像)、パドックを見に行ったり(下の画像)しているうちに午前中は終わってしまったが、肝心の馬券の方は次々と外しまくって、当たり馬券はマイナス回収となった午前の最後のレースだけであった(右の表参照)。 |
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昼休みには、TVのワイドショー「とくダネ」の司会でお馴染みの小倉智昭さんを迎えてのトークショーがイベントコーナーで開かれていた(左下の画像)。題して「小倉大焦点」!!時ならぬ有名人の出現に入場客がわんさと集まり押すな押すなの大混雑。その人ごみをかきわけて、ようやく豆粒のような小倉さんを見る始末であった。 午後の勝負レースに決めた10レースで馬連総流しをかけた馬が着外に終わって、マイナスはついに2万円を超えた。こうなると、もはやあきらめムードで、せめてメインで穴を狙って夢を買ってみようかということになった。 |
本日のメインレース、GV「小倉大賞典」の発走の瞬間 |
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ようやく早春の日差しに包まれたこの競馬場で、あと1レースを観戦するだけとは、ちと名残惜しい気もするが、福岡発17時25分の飛行機に乗るためにはそれも仕方ない。黙ってメインレース「小倉大賞典(GV)」に集中することにした。ファンファーレが鳴り、やがて発走。わずか2分足らずのうちに、さまざまなドラマが繰り広げられて各馬がゴールに飛び込んだ。結果の方は、絞り込んだ穴馬5頭のうちの1頭が先頭でゴール板の前を駆け抜けたものの2着3着には人気の馬が来てジ・エンド。それでも馬連では万馬券の決着となった。前記の収支表のように3万円以上負けて、すっかりオケラになってしまった私はターフビジョンで東京、京都のメインレースの中継を見ることなく小倉競馬場を後にした。次に小倉競馬場に来るのはいつのことだろうか・・・。そういえば昼休みにも小倉さんが「この競馬場には24年ぶりに来ました」って言ってたっけ。私もそんな風になるかもしれないなぁ。 それから後は淡々とした帰り道。話題の4両編成100系こだまから地下鉄を乗り継いで、夕暮れ迫る福岡空港(右の画像)から全日空232便で名古屋に飛んで旅は終わった。ふと気が付くと小田和正の「風の街」を口ずさんでいる自分がいた。 ≪完≫ |