み じ か 夜
熱海の宿はファンシービジネスH

先日、およそ25年ぶりにドラマ「ずっとあなたが好きだった」を初回から最終回まで一気に見た。当時は冬彦さんの異常さばかりに目が行ってしまったが、あらためて冷静に見ると、純愛を貫くゆえに、周りのあらゆる人に迷惑を及ぼす「おバカな二人の物語」だったんだと気づき、目が覚めた。さて同じネタ元からマクラを持ってきて恐縮だが、2年前に気仙沼に行ったとき、「ずっとあなたが好きだった」の第一回放送を気仙沼プラザホテルで見たことを導き出した。そのこともあって、自分の人生を振り返ってみれば、梅雨時に東北に行くことが多いことに気がついた。むろん、浜松よりも東北の方が梅雨前線から遠いことも多く、梅雨時にそれほどまとまった雨が降らないのが理由のひとつ。もうひとつの理由は、夏至前後なので高緯度になるほど昼の時間が長くなり、旅先での時間を有効に使えるからである。この時期の季語のひとつに「短夜」(みじかよ)という言葉があり、今回の旅はこれをタイトルに選んだ。

今回の旅は「大人の休日倶楽部パス」を利用して温泉に行くことが目的である。温泉は庄内の湯野浜温泉に決めていたので、ついでに未乗となっている秋田県内の第三セクターのうちどちらかには乗りたい。そこで距離の長い方の秋田内陸縦貫鉄道を、今では珍しい急行列車で乗りとおすことに決め、旅程を組んだ。角館→鷹巣の時刻から逆算すると、東京を7時36分に発車するこまち3号に乗らねばならない。浜松を朝出発する新幹線では間に合わず、東京までのどこかで前泊しないといけない。というわけで熱海→東京を、VIEWポイントで引き換えられる在来線グリーン車に乗ることに決め、「みじか夜」の旅らしく熱海を早暁5時18分に発車する列車に乗った。熱海ではガラガラだった座席も、大船では立つ人が出るくらいの混雑となった。毎日こんな風に通勤する人には同情してしまう。

もっとも新幹線代や宿代をケチらずに、東京都心で前泊するという手もあった。そうすれば昨夜というか今日というか、午前0時にキックオフしたワールドカップの日本対セネガル戦も生で見られた。電車の中、苦労しながらワンセグの小さい画面で試合のダイジェストを見ていると、2度にわたって日本が追いつくというナイスゲームだったようだ。つくづく生で見られなくて無念である。日曜の深夜にも関わらず、平均視聴率は30%を超えたというから、これまた驚きである。そのためなのかどうか、グリーン席を倒して居眠りする乗客が多く感じた。そうこうしているうちに熱海から乗り込んで2時間が経ち、東京に到着。通勤客の流れに身を任せながら、東北新幹線のホームに向かった。


閑散としていた朝5時の熱海駅舎「ラスカ熱海」


E231系のグリーン車1階に乗車し旅はスタート

普段、新幹線はこだま中心に乗っているので、東北新幹線は混むというイメージがある。今回は秋田新幹線に乗り入れるこまちに乗っているので、2列+2列のアブレストだが、はやぶさ等の3列シートの窓側を指定すると、だいたいB席もC席も埋まることが多い。月曜朝の下りなので、ビジネスマンとは逆の流れだが、年配の団体客が席を埋めている。片側2列のシートが並ぶこまちなので、当然のように隣席に人が座った。もうこの状態は慣れっこなので、北行きの新幹線に乗るときは、車窓を見ずにPCを開くか、携帯を見るかに決めている。そういう面で考えると、JR東日本の新幹線は、東海道・山陽新幹線に比べて旅情に欠ける気がする。

盛岡までは速達タイプの列車なので、大宮を出発すると仙台までノンストップ。新横浜から名古屋まで停まらないのぞみのようなものだが、のぞみの方では焼身自殺があったり殺人事件があったりして物騒なのに、大宮〜仙台間ではそんな事件を聞かない。新横浜〜小田原間で事件が起きるのは、長時間停車しないからだとワイドショーなどで語られている。それでは、はやぶさで事件が起きないのは、東北の人たちが辛抱強いためなのか、あるいは自由席がないのがその理由なのか、はたまた物理的に本数が少ないだけなのかは謎である。


E6系の車内で迷いに迷った挙句、角館で下車


みちのくの小京都の玄関口らしい角館駅舎


珍品の急行券&角館→鷹巣乗車券

そんなことをつらつらと考えていると、LEDの車内掲示板に不吉な文字が躍った。「特急つがる1号と4号は列車故障のため全区間運休です。」 このところ旅程を大幅に組み替えないといけないようなトラブルが多いが、正直「またか」と思った。旅の空で時刻を調べるのは骨が折れるが仕方ない。考えられるリカバリー策は2つ。1つめは、予定通り秋田内陸線に乗り換え、鷹ノ巣から後続の鈍行列車に乗車。秋田での乗り継ぎ時間が短くなるが、もともと予定していた特急いなほ14号に乗り継ぐパターン。ただしこの行程は、鷹ノ巣〜秋田間で旅情の欠片もない「走ルンです」の701系に1時間半揺られないといけない。もうひとつの方は、このまま角館で下車せず秋田まで乗り通し、秋田を13時に発車する特急いなほ10号に乗ってしまうパターン。旅館には16時ころには着くので、ゆっくりと温泉につかれそうである。デメリットは秋田内陸線に乗れなくなること。まぁ次か次の次のおときゅうパスで乗りに来ればいいかなと思い、ついつい楽な方に気持ちが傾きかけた。それでもと思い、車掌さんに声をかけると、「同じ時間に臨時列車を走らすらしい」という情報をもらった。そのうちLED掲示板にも「臨時列車を運転」と断定調で案内があった。こうなると話は別である。特急代走の臨時列車なんて、一生のうち何度も乗れるしろものではない。というわけで、結局予定通りに動くことにした。

角館でかなりの数の年配客が下車した。「これってみんな大人の休日倶楽部パスの人?」と思ったが、きっぷを駅員さんに渡している人が大半で、そうでもないらしい。武家屋敷をイメージした綺麗なJRの駅舎を撮影した後、秋田内陸線の駅舎に向かったが、そこはきっぷを買う人で大行列となっていた。自動券売機が1台でもあればいいのだが、100人くらいの列を出札の駅員さんひとりで処理をしているので、いっこうに列が短くならない。私もたまに同じような仕事をすることがあるので、この駅員さんに同情してしまう。結局20分以上あった乗り継ぎ時間の大半をこの列で使ってしまい、急行もりよし2号に乗車したのは定刻の2分前だった。

列車は乗車希望の人を最後まで待って、定刻より2分ほど遅れて発車。座席はほぼ埋まっているが、天浜線のTH2000形よりクロスシートが多いためか余裕を感じる。ワンマン運転だが、観光アテンダントと称する女性が乗っており、要所要所で観光案内をする。またその案内に合わせて徐行運転もするので、急行列車といえども速達列車というわけではない。国鉄時代、角館線の終着駅だった松葉には20分ほどで到着。ここからは鉄建公団が造った新幹線のような近代的な線路になる。阿仁マタギとか奥阿仁とか、とにかく山奥にありそうな名前の駅を経て、正午少し前に比立内に到着。ここは旧国鉄阿仁合線の終着駅だった。結局、秋田内陸線は30キロほどの未開通区間を開業させて全通し、盲腸線を脱却したが、県都秋田から見ると角館も鷹巣も、もとから直接特急列車で結ばれていたわけで、角館と鷹巣間の流動人口は、全線開業後に増加しているわけではないのが辛いところ。まぁ今日の急行もりよし2号くらい乗っていれば廃止の心配はないだろうが…。


ようやく落ち着いた車内で記念撮影


ザキトワ選手がらみで秋田犬の人気も急上昇?


米代川を渡ると終点の鷹巣は目前


「急行」表示が誇らしい秋田内陸線AN8800形


内陸線は鷹巣だがJRの方は「ノ」が入る


つがる4号は運休〜臨時列車が代走する模様


シャッター街でありついた昼飯


鷹ノ巣駅で未使用証明を受けた

阿仁合と阿仁前田でまとまった下車があり、ようやく車内に余裕ができ、ゆるーい雰囲気になった。アテンダントさんが乗車記念のパネルを持って車内を回っていたので、私も声を掛け写真を撮ってもらった。落ち着いたところで車内を見回すと、沿線で育てられている秋田犬の写真がびっしりと飾られていた。満員だと車内の造作までとても気が回らず、空席ができてようやく気付く次第。「ローカル線は空いていないとね」とあらためて感じた。そうこうしているうちに米内沢を過ぎ、米代川を渡ると終点の鷹巣は目の前。5分ほど走って定刻通りに到着した。100キロ近い路線を一気に完乗し、少し肩の荷が下りた。

秋田内陸線の鷹巣駅から隣のJR鷹ノ巣駅に移動。なぜかJRの方には「ノ」の字が入っている。窓口でつがる4号指定券の未使用証明を受けた。このあと別のキップに交換するつもりがないので、あくまでコレクションとして残しておくために証明してもらったのだ。その後、昼飯を食べに駅前の商店街に歩を進めた。しかし行けども行けどもシャッターの閉まった店ばかりで、昼飯を食べられそうな店がない。駅から3ブロックめで、ようやく開店中の喫茶店を見つけ、日替わりランチのひれかつセットを注文。800円でコーヒー付きなのでまずまずだったが、北秋田市の代表駅にして特急停車駅の駅前で、昼飯を食べるのにこんなに苦労するとは思わなかった…。


特急代走はよりによって「走ルンです」の701系


秋田から夕暮れの日本海に沿って南下していく


トワイライトセクションの時間だが海が眩しい


梅雨時なのに青く澄みわたる空と鳥海山


鶴岡駅前のモニュメント「大地」

駅前シャッター通りから駅に戻り、14時14分発の特急代走臨時列車の到着を待つために改札を抜けた。大館方の踏切が鳴って、列車が遠方より近づいてくるのが見えた。臨時列車というからには「きらきらうえつ」の485系か、はたまた「リゾートしらかみ」のハイブリッド気動車かと期待したが、期待レベルをいたずらに上げすぎてしまった。来た列車は701系「走ルンです」3両編成。あまりの失望感で腰が砕けた。

後から考えれば、特急つがるは秋田車両センターの受け持ちなので、車両故障で同時刻で代走するとなれば、秋田区で空いている速度種別がほとんど変わらない車両をあてがわなければならない。本来走るはずのE751系の予備車両があれば運休にしないはずで、E751系が無ければ、奥羽北線を走らせられる唯一の電車である701系を使用するに決まっている。まぁそれはともかく、代走列車の走りは及第点が付けられる胸のすくようなものだったのは意外だった。鷹ノ巣〜秋田間86.2キロを、この列車の直後の701系鈍行が1時間28分かかるところを、この代走列車は1時間14分で走り、表定速度は70Km/hほど。そのかわりモーターのインバーター音はかなり騒がしかったが…。


庄内交通のバスで湯野浜温泉に向かう


部屋に入ってすぐ、19時半ころの夕暮れの海


朝4時半すぎ、温泉街に朝日が昇る


部屋のベランダから加茂水族館方面を望む


バイキングではないが盛りだくさん

秋田で小休止の後、16時35分発の特急いなほ14号に乗車した。トワイライトタイムにかかる列車で、ここから本格的に呑みテツ解禁。羽越本線を南下しつつ、暮れなずむ日本海を眺めようという目論見である。しかし夏至直後の16時台の太陽はまだまだ高く、海に落ちていく夕日を眺めるというよりは、水面に反射する強烈な逆光に歯向かうような感じである。海と反対側の窓には、澄み渡った青空に、根雪を被った鳥海山が順光に照らされていた。東北の初夏そのものという車窓だった。

列車は県境を越えて山形県へ。いよいよ最終目的地の庄内に入る。秋田を発車してから1時間が経過し、そろそろいい加減の酔い心地になってきた。ミュージックプレイヤーからはカセットテープから移植した「トワイライト・セクション」が流れているが、デビー・ギブソンの「ロスト・イン・ユア・アイズ」の順番となった。2009年以来、毎月30年前の全米チャートを「30 Years Ago Now And Then」というページで綴っているが、今書いているのは大学4年生の初夏のころ。考えてみれば、このページを毎月書こうという気になったのも、2019年の早春のころ「ロスト・イン・ユア・アイズ」について書けると思ったからである。振り返ると、4年間の大学生活はこの曲に向かって流れている感じだった。一方、高校の3年間はブルース・スプリングスティーンの「ダンシング・イン・ザ・ダーク」に向かって流れている。この曲が流行ったのは34年前のちょうど今頃。大学の思い出の曲が卒業シーズンだったのに対して、高校の方が6月なのは、部活が高校生活の中心だったからだろう。

昔のことをつらつらと思いだしているうちに、列車は酒田、余目と停車し鶴岡駅へ。定刻の18時23分の到着だった。改札を抜けて駅前のバス停に行き、18時32分発の湯野浜温泉行きに乗る。今日の最後の乗り物は庄内交通の路線バスである。特急に乗っているときには眩しくて迷惑だった太陽も、肝心の夕陽の時刻には雲に隠れてしまうという皮肉。40分ほどバスに乗車して終点に到着。バス停の向かい側が、今夜の宿である湯野浜ビュー 海のホテルだった。チェックインの手続きもそこそこに、あてがわれた部屋に入ると、窓全体が日本海の眺めの、まさに全面オーシャンビューだった。まだ薄明りが残る浜辺を見ながら、列車の残りの水割りをチビチビ飲った。

結局、温泉には晩と朝の2回入り、朝食もバイキングではないけれど、盛りだくさんでボリュームがあり満足した。これで宿代が5,500円なら、大人の休日倶楽部パスの使える時期には毎回来ようかというくらいである。まぁ今回は梅雨の時期にもかかわらず、両日とも天候に恵まれて、オーシャンビューの部屋が実力を発揮してくれたゆえの高評価。冬場の猛吹雪が窓を叩きつける頃にもう一度再訪したいものである。とにかく温泉宿を堪能して、10時ごろチェックアウト。10時05分発の路線バスで湯野浜温泉を脱出した。復路のバスは往路とは経路が異なり、加茂水族館の方を経由した。おかげで日本海沿いを走る時間が長く、青い海を存分に楽しむことができた。

そのまま鶴岡駅に向かってしまうと、列車の待ち時間が長くなるので、鶴ケ岡城址に近い致道博物館前でバスを降りた。鶴ケ岡城址はもともと天守がなく、明治初期に廃城になった後は、櫓なども再建されずに今に至っている。ただ濠は、東側の一部を除いて当時のまま残っており、当初櫓と勘違いした護国神社側から撮影すると、現存するお城っぽく見える。その他、城址の鶴岡公園には庄内神社やショウブ園などがあり、平日の昼間にかかわらず散策している人が多かった。

さて鶴ケ岡城があった頃に建てられた藩校が、城址のすぐそばに致道館として残っているので、そちらも訪ねてみた。江戸時代の藩校が現存しているのは東北地方で唯一ということで、国指定史跡になっている。昨年、長井を訪れた時に触れた米沢藩の藩校「興譲館」も、高校の名前として残っているけど現存しないので、庄内藩の致道館は貴重である。話は逸れるが、お隣豊橋の時習館高校も藩校の名前に因んでいるそうだ。さてその致道館だが、中身は先日仲間うちで行った掛川城御殿にそっくりで、あんまり新鮮な感動はなかった。もう少し念入りに見ていれば、違った感想も湧いていようが、いかんせん時間が足りなかった。

1時間ほど鶴岡公園の周辺を散策し、市役所前バス停から再び路線バスに乗った。鶴岡の市街地は一方通行が多く、バス路線も往路と復路で違う。カギ型の道も多く、典型的な城下町なのだ。10分ほどバスに乗って鶴岡駅に到着。12時19分発の特急いなほ8号に乗車すると、そこから浜松まで息をもつけぬ大移動となる。

いなほ8号の指定席は平日にも関わらずかなり混んでいた。これは「おときゅうパス」効果だと思うが真相は分からない。山形と新潟の県境には、あまりにも有名な笹川流れがあり、おときゅうパスを使うような人は車窓に釘付けになりそうなものだが、海側のカーテンを下ろしている人が多くて「何のための列車旅?」と思ってしまう。海の眺めが終わると村上。ここから直流区間に入り、今冬の積雪列車閉じ込められ事件で名をはせたE129系が停まっていた。白新線に入ったなぁと思っていたら、わりとすぐに新潟到着のアナウンスがあり、あっという間の列車旅。終点新潟では、新装なった高架ホームに到着した。

今年の4月15日に開業した新潟駅の高架ホームは、在来線5番ホームと新幹線11番ホームが同一階で並びあっており、新幹線改札口を設けて乗り換えの便を図っている。実際にいなほの1号車のドアからMAXときのドアまで、改札経由で20歩ほど。数十秒もかからないうちに乗り換えができた。寝台特急あけぼのが廃止された後、直通の鉄路がなくなった庄内地方の乗客(特に交通弱者)にとっては朗報だろう。いなほ8号が到着してから8分後、MAXとき324号は新潟駅のホームを離れた。速達タイプで途中の停車駅は長岡、大宮、上野のみ。近々引退予定のE4系の2階座席に乗れるのは、このあと何回あるだろうか。ぜひとも引退の日まで1回1回大切に乗ろうと思う。


湯野浜温泉ビュー 海のホテルを背景に筆者


鶴ケ岡城のお濠と櫓のように見える護国神社


城址にあるショウブ園。ちょうどいい時に来た


鶴ケ岡城址の真ん中にある庄内神社


庄内藩校「到道館」の表御門


致道館の講堂。中は掛川城御殿みたいだった


左にMAXも見える新潟の新在乗り換えホーム


特急「いなほ」からMAXときまでわずか20歩

<終>

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