Let Me Say


E657系ひたちに乗って久々のいわき到着

人はひとつやふたつくらいは、忘れてしまいたい過去、いわゆる黒歴史があると思うが、私は若いころの恋愛でそんなものがある。変にロマンチストで過剰演出したがる傾向にあり、相手のことを考えずに独りよがりに突っ走ってしまう。結果、相手を引かせてしまいフラれるという繰り返しだった。まだまだ具体的にここで発表するには生々しいことばかりだが、今回の旅はそうしてフラれた後のエピソードにまつわるものである。

ここ1年ほどクルマで通勤しており、行き帰りで聞くラジオや音楽が心のオアシスになっている。そんなことで今年の5月にたまたま角松敏生の「T's Ballad」を聞いて帰った時に、「そういえば気仙沼のホテルで泣きながらアルバム1枚分歌ったなぁ」ということを思い出した。その記憶とともに思い出すのは、その夜ホテルで見たドラマ「誰にも言えない」で、気仙沼と聞いて連想するのは、そのドラマのテーマ曲であるユーミンの「真夏の夜の夢」だった。ところが「誰にも言えない」の放送当時(1993年7月から9月の金曜日)に気仙沼で泊まった記録がないのである。「あれれ記憶違いか?」と、その前年7月の日記を調べなおすと、1992年7月3日金曜日に気仙沼に泊まっていたことが判明した。2泊3日の東北ツアーの添乗中で、これは記憶とぴったり合っている。つまりこういうことである。当時「ドラマのTBS」と言われていただけあって、毎クール人気になるドラマをTBSは放映していた。そんな中1991年の7月3日に新しいドラマを放映開始。それが賀来千香子主演の「ずっとあなたが好きだった」で、テーマ曲はサザンオールスターズの「涙のキッス」だった。このドラマは最初は並みの人気だったが、佐野史郎演ずる冬彦さんの奇行ぶりが話題となり、最終回は34.1%を越える大人気ドラマとなった。その翌年、「ずっとあなたが好きだった」と主要キャストが同じで、タイトルが違うドラマである「誰にも言えない」が放映されたことで、私の記憶が混乱したというわけである。ちなみに「誰にも言えない」の放送初日にも東北を私的に旅行しており、この混乱に拍車をかけている。ともあれ、気仙沼で「T's Ballad」を歌ったのは1992年7月3日ということで確定。当初1993年の9月だと勘違いしていたので、ホテルの予約は9月に入れてしまったが、まぁ夏のドラマをやっている期間中ということで、そこは目をつぶった。

さて、わざわざ気仙沼まで行って、24年前にフラれて泣きながら歌った状況を再現するとは酔狂もいいところだが、その気仙沼までが遠くて閉口した。特に往路は久々に浜通りを経由しようと思い、いわきまで特急ひたちを利用したため時間がかかった。大震災後の原発事故以来、常磐線は不通区間があり、浜通りを鉄道で抜けるのは不可能となっている。震災前はスーパーひたちが仙台まで直通していたのは記憶に新しいが、歴史を振り返れば東北初の特急「はつかり」をはじめとして、583系昼行特急「みちのく」や、寝台特急「ゆうづる」も軒並み常磐線経由で運転されており、直通運転が不可能となってしまった原発事故が忌まわしい。そういうわけで、今はいずれにせよいわきで乗り換えとなる。

いわきから仙台まで浜通りを北上する手段を探すうち、見つけたのが新常磐交通のいわき〜仙台間の高速バス。2,700円と運賃も手ごろで今回お世話になった。いわき駅前を11時55分に発車し、いわき中央インターで客扱いをした後、常磐道に入った。しかし何かがおかしい。いわきジャンクションから磐越道に入ってしまった。そこではじめて先ほどから繰り返される車内放送を思い出した。「このバスは小野インター経由仙台行きです。」そういえば磐越東線に小野なんとかという駅があったような。つまりこのバスは、いわきから磐越道で郡山に出て、東北道を仙台に向かう「中通り」経由のバスなのだ。それならいわきに寄らずに、東京から東北道を行くバスに乗っておけばよかったと思っても、もう遅い。というわけで車中は居眠りを決め込んだ。

仙台到着は15時ちょっと前。朝6時に家を発ったことを思えば、ここまで来るのにもずいぶんと時間がかかったものだが、仙台から気仙沼に行くのにこれまた時間がかかる。予約不要の自由乗降バスと表示のある仙台〜気仙沼間の高速バスは2系統あり、東北道経由の方が所要時間が短くまだましである。それでも仙台から気仙沼まで2時間半。とても同じ県内に行くバスとは思えないロングランである。まずは東北道に入って北上。志波姫PAでトイレ休憩の後、一関手前の若柳金成インターで下道へ。ここから1時間半にわたって一般道を走るが、国道でも主要地方道でもない3桁県道を走るので、ただ乗っているだけでも難行苦行である。千厩で大船渡線と寄り添い気仙沼を目指すが、この辺りは岩手県一関市。宮城→岩手→宮城と珍しいルートを走るバスである。17時半を過ぎて薄暗くなったころ気仙沼に入り、駅、市役所と停車して定刻の17時53分ころ気仙沼案内所に到着。運賃は片道2,000円だが、2枚綴りの回数券なら3,700円である。

気仙沼プラザホテルは丘の上にあった。これなら大津波の時もホテルは浸からなかっただろう。ということは基本的に1992年当時と構造は変わっていないはず。といっても当時どんなホテルだったかは何も覚えていないのだが。さて、今回は温泉旅館ということで2食付きで予約した。夕食がご馳走なので、昼間の酒やつまみも相当セーブしており体調は万全である。料理の方は、いわゆる宴会料理というやつで、前菜の小皿が並び、お造りが出て、固形燃料で温める鍋があってという定番のものだった。鍋はいちご煮で三陸の名物。フカヒレの姿煮やスープ、ウニの茶碗蒸しなど、気仙沼らしい料理も出て内容は満足だった。ただ宴会料理を1人で食べるのはちょっとむなしかった。


新常磐の仙台行きは東北道経由。松川PAにて


宮城交通の気仙沼行き自由乗降バス


気仙沼プラザホテルの夕食。前菜、お造りなど


チャペルの手前の屋上部分で歌った覚えが


温泉旅館らしい夕膳のラインナップ。左よりいちご煮鍋、鱶鰭(ふかひれ)の姿煮、雲丹豆腐(茶碗蒸し)、海鮮釜飯(たこ、ほたて、えびなど)


フカヒレスープも付いていて豪華


デザートのアイスとキウイ、オレンジ

食事が終わって、露天風呂にも入って、さぁ気仙沼プラザホテルに泊まりに来た目的を果たす時がきた。部屋の窓際に座り、水割りを用意し、明かりを消してプレイヤーのスイッチを入れた。コーラスに続いて「T's Ballad」の1曲目「Still I'm In Love With You」が流れてくる。これで1992年7月の夜が再現される…ということにはならなかった。というのも、この時以来失恋するたびに「T's Ballad」を聞きまくっているため、思い出がごっちゃになってしまい、全く集中できないのである。なんだかなぁと思っているうちにA面部分が終了。B面1曲目の「Ramp In」が流れる。窓の下、右手にはチャペルが建っており、その手前が小さな屋上になっている。24年前の夜は3階の部屋からその屋上に出られるようになっていて、屋上の上で気仙沼の夜景を見ながら、涙声で歌ったのを覚えている。その曲「Let Me Say」がちょうど始まった。この曲のピアノのイントロ部分、そして「夜の闇が君の心包むなら」という歌詞の部分で、決まって心に浮かぶ夜景が、この気仙沼の夜景だったことが分かった。24年前の再現という目的をようやく果たすことができた。

翌朝、気仙沼を襲った大津波の模様をYou Tubeで観た。さすがにこのホテルは津波をかぶらなかったが、ホテルの下の駐車場がぎりぎりの位置で、推定5〜6mの高さだったと思われる。当然、フェリーの浮桟橋はまるごと流され、港に停めてあったクルマや倉庫も流され、漁船は湾内を右往左往する状態だった。ホテルをチェックアウトし、気仙沼案内所バス停まで歩いた。フェリー乗り場とバス停の間は広大な更地になっていて、今でも津波の傷跡が残っている。宮交気仙沼案内所は津波の1年前に窓口を閉じたらしいが、建物も津波でさらわれて「案内所」とは名ばかりのバス停となっている。定刻より少し遅れて仙台行きバスが到着し、来た道と同じ道をたどっていく。曲がりくねった県境付近の峠道を抜けると、そこは黄金色の田園地帯。こうべを垂れる稲穂と空の青さに秋の訪れを感じた。


景色は多少変われどもイメージは1992年当時と変わっていなかった気仙沼湾の夜景


気仙沼湾を望む和室にて筆者


高台に建つ気仙沼プラザホテル


大津波からの復興途上の土地と仙台行きバス


こうべを垂れる稲穂と青空に秋の気配がした

<終>

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