Spring Tour 2003 vol.2 追 憶 の み ち ・ 北 国 街 道 を 往 く |
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@羽田アクセス 今回の旅は日帰りである。2月に南九州に今年第1弾の『Spring Tour』を敢行しているため、今回は2003年の『Spring Tour』のパート2ということになる。だが さて、羽田空港へのアクセスなのだが、今回は新横浜から横浜線で横浜駅に行き、京急の羽田空港直通電車(左の画像)に乗ってみた。浜松駅6時52分のこだまで発って羽田空港到着が9時20分(キップ代7620円)。一方、同じこだまで東京駅まで行き浜松町からモノレールに乗った場合をシュミレーションすると、空港到着は9時30分頃(キップ代8030円)。どうやら現時点では京急に軍配が上がりそうである。ただし今秋、新幹線品川新駅が出来ると事情は変わりそうであるが… |
↑横浜方面から羽田空港へは京急が直通 |
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↑CAさんに頼んで記念撮影してもらった |
A初体験・スーパーシート 3月まで放送されていた木村拓哉主演のテレビドラマ『GOOD LUCK』の影響で、来春の全日空の就職倍率が上がったそうである。 さて、今回は少々奮発して『スーパーシート』を予約した。実はかねてからスーパーシートに乗ってみたいという願望はあったが、最寄の名古屋空港の発着便にはスーパーシートの付いている便はない。今回、羽田まで遠回りをしてやっとスーパーシートにありつけた次第である。スーパーシートの料金は株主優待券では割り引かれないが、それでも羽田〜小松のキップ代は1万2千円ちょっと。この歳になるとだんだんと『初体験』のものが少なくなるのだが、久々の初体験のコストとしては手頃であった。私はこれも初乗りになるボーイング777(左上の画像)に颯爽と乗り込んだ。 |
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機内は特急列車の半室グリーン車といった雰囲気で、さすがにゆったりとした豪華なシートが並んでいた(右下の画像)。 そんなことに感心しているうちに眼下にねずみ色をした日本海が広がり小松空港に着陸した。スーパーシートの体験飛行はあっという間に終了した。小松空港の玄関先には夢の続きを破るような小松駅行きのマイクロバスが待機していた(左上の画像)。 |
↑鉛色の空の下、小松空港に到着 |
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B追憶の北陸本線 小松駅に足を記したのは2度目である。1度目は今は無き『ワイド周遊券』を初めて使った本格的な乗りつぶしの旅である1987年12月の旅の途中だった。 さて、その新装なった小松駅で株主優待券を提出し、米原までの乗車券と敦賀までの自由席特急券を購入した。ホームに出ると特急が出た直後で次の特急まで30分ほど時間があった。一服しながら列車を待っていると、同じホームに福井行きの鈍行列車が到着した(左上の画像)。福井まで後続の特急に抜かれないことをあらかじめ調べていた私は、少々迷ったものの鈍行列車に乗ることにした。列車が学生時代の旅の時にお世話になった急行型475系でノスタルジックな思いにかられたからでもある。福井駅まで乗り通し、そこで後続の特急「サンダーバード24号」(右上の画像)に乗り継いだ。 |
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↑特急並のゆとりの座席が並ぶ419系 |
↑雨に打たれる満開の桜もまた風情がある |
サンダーバード号は、日本の在来線特急列車の中でも俊足の列車のひとつで、 敦賀からはこれまた懐かしい419系(上の画像)に乗り継いだ。いまも急行きたぐにに使用されている583系寝台電車を改造して鈍行列車にしたもので、特急並のシートピッチでゆとりがあり、学生時代には好んで乗車していた。 |
(上と右の画像は頂上の眺望) 木ノ本に着いたが、あいかわらず雨が降っていた。賤ケ岳古戦場へのハイキングを楽しもうと思っていたのだが、傘をさしての行程では気が重い。とりあえず賤ケ岳の登山口まではバスに乗ろうと思い50分ほど木ノ本駅の駅舎(右の画像)で待つことにした。駅舎を見上げれば歴史的な重みを感じる建物で、こういう特急列車も止まらない小駅で無為な時間を過ごすのもまた風情があっていいものである。30分ほど時間を過ごすと雨も小降りになり、傘は不要と判断して、歩いて賤ケ岳に向かうことにした。 |
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木ノ本駅から西へ3`、30分ほど歩くと大音という集落がある。 さて、みなさんは『賤ケ岳』と聞いてどんなイメージをお持ちだろうか?羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が戦って秀吉が勝利を収め、天下統一の足掛かりを築いた天下分け目の決戦の場所であるし、その戦場で獅子奮迅の活躍をした賤ケ岳の七本槍(加藤清正、福島正則、加藤嘉明、脇坂安治、平野長安、粕谷武則、片桐且元)を思い浮かべる方も多いだろう。私としては去年の大河ドラマ「利家とまつ」をかかさず見ていたこともあって、「利家が最終的に勝家を裏切った場所」というイメージが強い。そして私は今この地にいる。一昨年の夏から古戦場めぐりが私のプチブームとなり、地元、三方が原を皮切りに、長篠・設楽が原、桶狭間、小牧・長久手と徐々に西に歩を進めたが、ついに東海から畿内に足を踏み入れ感慨ひとしおである。そして、このような古戦場はだいたい勝者を称える銅像が建っているのが常で、頂上にも秀吉の像(右上の画像)が建っていた。世間一般の賤ケ岳のイメージを象徴しているようある。その意味では三方が原は稀有な例で、おそらく後の天下人でその時代の領主・家康に敬意を表しているのだろう。 |
↑ひと昔前はどこの観光地にもあった『顔出し』 |
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↑賤ケ岳山頂にて筆者 |
D花見気分で北国街道散策 帰りのバスの時刻も待ち合わせ時間が長いため、木ノ本駅まで再び歩いて帰ることにした。浜松では終わってしまったソメイヨシノも当地では満開の一歩手前で、花見気分で散策できる。青空の下では、かえって桜の薄桃色が引き立たず、 往路同様30分くらいかけて木ノ本駅に着いたが、まだ私には行くところがあった。待合室にナップサックを置いて、今度は駅から東に針路をとった。 実際に街を歩いてみると、しっとりとした佇まいに好感が持てた。町おこし効果で観光地と化した南隣の長浜と比べると「まったり」としているところが気に入った。こういう古い街並みを歩いていると心が落ち着き日常のストレスから開放される。木ノ本の宿場町はどうかこの状態をいつまでも保ってほしい願わずにはいられなかった。 |
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↑賤ケ岳の麓の神社の桜の木も満開 |
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↑北国街道・木ノ本宿の静かな街並み |
木ノ本駅に戻る頃、また雨が降り出した。 旅の終わりは再び大好きな419系。それも583系の先頭車の面影が残るタイプである(左の画像)。ゆったりとしたシートに腰を降ろし、靴を脱いで足を向こう側のシートに投げ出した。ここ数年、新幹線や特急列車中心の急ぎ足の旅を続けていた自分にとって、こんなふうに鈍行列車のシートに足を投げ出して、ゆっくり旅をしたのはいつ以来だろうと思いをめぐらせた。原点に戻って「青春18きっぷ」の旅もしてみようか。米沢から静岡まで鈍行だけで往復し、はんぺんフライを食べにきた「つっちぃ」のように… <おしまい> |