On The Road Again


名鉄バスセンターから高速バスで旅はスタート


かつて名金急行線というバス路線があった。名古屋と金沢を合掌造りで有名な白川郷を経由して結んだ路線である。昭和40年代に国鉄バスの車掌さんが沿線に桜の木を植えたエピソードでも有名なあの路線である。私が名古屋から金沢まで乗り通したのは、1988年の夏休み。既に国鉄バスはJRバスと名を変えており、全線を直通するJRバスは皆無だった。名鉄バスが夏季期間だけ名古屋〜金沢間を直行する「五箇山号」を運転しており、名鉄バスセンターを朝発って、金沢駅には夕方到着したことを覚えている(旅のReference 1988年を参照)。当時は「(高速道路を経由しない)日本最長の路線バス」として知られていた。

で、今回は現時点での「日本最長の路線バス」に乗車する機会を得た。和歌山県新宮駅と奈良県大和八木駅を結ぶ、紀伊半島を縦断する奈良交通運行の路線である。2009年1月24日土曜日、まずは新宮に向けて旅立った。

浜松から新宮に向かうなら、新幹線と「ワイドビュー南紀」を乗り継ぐのが一般的である。しかし今回は路線バスの乗車が目的であるので、アプローチにもバスを使った。名鉄バスセンターと南紀勝浦を新宮経由で結ぶ三重交通「名古屋南紀高速バス」である。高速バスといっても、高速に乗っている時間は2時間足らず。あとは終点勝浦まで3時間にわたって、ひたすら国道42号線を走るバスである。名古屋〜新宮の運賃は4,000円。当然のことながらJRの特急列車よりも安い。新宮までの所要時間も1時間長いだけである。

新宮まで行くバスは1日1往復。ということで必然的に朝8時50分に名鉄バスセンターを出発する南紀勝浦行きに乗車した。10列シート、トイレ付きのバスに、乗客は10名ちょっと。このところ高速バスの旅は満席ばっかりで、窮屈な思いをしていたが、これならゆったりできる。シートピッチも余裕があり、脚を組んでも全然大丈夫だった。

名鉄バスセンターを出るとすぐ、黄金入口から名古屋高速に入るため、市街地の渋滞知らずであることも好ましい。あまりの快適さに、東名阪に入るぐらいの所から居眠りをしてしまった。目覚めると伊勢道安濃SAに停車するところだった。

昨夜から冬型の気圧配置となっており、雪雲の通り道になっている伊勢地方は小雪が舞っていた。安濃SAでツマミを買い込み、午前中から車内で水割りをあおった。空いているトイレ付きのバスだからできる芸当である。

対面通行の紀勢道を降りると、あとは延々国道42号線を行く。梅ヶ谷からの荷坂峠は、ほぼ紀伊長島への下り片勾配で、山の間に海が見え隠れする。この辺まで来ると、ほろ酔い気分とあいまっって「あぁ旅に出たなぁ」という感じになってくる。

名古屋南紀高速バスは、長時間走行するため途中3度の休憩をする。先ほどの安濃SAに続いて、尾鷲手前の三交海山で2度目の休憩。このバス停はバスの営業所で、高速バスの無料駐車場も兼ねている。自家用車を駐車した名古屋行きの乗客が、間違えて勝浦行きのバスに乗り込み、苦笑いとともにバスを降りる光景が繰り返された。

尾鷲、熊野と乗客が降りていき、ついに車内は私を含めてお客が二人となった。しかし、ここからが車窓のハイライト。七里御浜が新宮の手前まで続く。最後の休憩場所である三交南紀を出ると、車内は午後のけだるい雰囲気が漂う。熊野川を渡り和歌山県に入る。今日の目的地はすぐそこである。


新宮到着までに3度休憩する。三交海山にて


尾鷲の手前から太平洋が見え隠れする


熊野からの車窓のお供は七里御浜


三交南紀では最後の休憩と乗務員交代


いかにも南紀の海らしい国道42号沿いの公園


新宮駅前には行かず国道でバスを降りる


熊野三山のひとつである証明

バスが新宮駅に行かず、熊野川を渡ってすぐの国道沿いにバス停を設けているのは、かえって好都合であった。ホテルのチェックイン時間にはまだ時間があり、まずはバス停から歩いて5分の熊野速玉大社に向かった。

世界遺産に指定されている「紀伊山地の霊場と参詣道」の根幹を成す熊野三山。そのひとつである熊野速玉大社は、他の山中にある世界遺産とは対照的な「街中の世界遺産」である。しかし境内は市街地の喧騒を忘れさせる、森閑とした厳かな雰囲気だった。日本サッカー協会のシンボルである八咫烏を祭る神社もあり、日本のワールドカップ進出を祈った。

続いて向かったのは新宮城。別名丹鶴城と呼ばれ、熊野川ほとりの小高い丘にある。残念ながら天守は明治初期に取り壊され、現在は石垣が残るだけである。しかし、天守跡に登ると市街地と熊野灘が見渡せ気分がいい。ひとしきり佇んだ後、新宮城を離れた。

新宮城の下を通る紀勢線のトンネルの出口に、電化・非電化の境界を見つけ、小さな幸福を感じた。そのまま街歩きを続け、次は浮島の森である。国指定の天然記念物である「浮島の森」は、ぱっと見は池に普通の島があるだけなのだが、その島自体が池から浮いているそうだ。入場料100円を払って島の中を歩いたが、どうにも浮いている雰囲気が乏しいので「こんなものかなぁ」という感想しか得られなかった。そのうちに小雪が本降りになってきたので、早々に退散することにした。

新宮ユーアイホテルに到着したのは、ちょうどチェックイン時刻の15時。シーズンオフということで宿泊客が少なく、朝食はバイキングでなく朝定食になるそうだ。朝食はコンビニで買うことにして、早々にシングルルームに逃げ込んだ。「それにしてもガラガラなのに、なぜ高層階じゃなく2階なんだろう」と思いを巡らせて、はたと気付いた。「喫煙室希望だったからだ!」 喫煙者に冷たい世相を、ここでも肌で感じたことである。

明けて1月25日、ホテルを7時20分ころチェックアウト。紀勢線の踏切を渡り、新宮駅前でバス停を探していると、朝日に照らされた中国風の建物が目に入った。徐福公園の楼門である。徐福は秦の始皇帝に「不老不死の薬が東方の三神山にある」と具申し、始皇帝に命じられて渡海したとされている。そして徐福がたどり着いたのが、ここ新宮とされている。もっとも徐福伝説は日本各地に残っており、新宮以外にも佐賀や串木野、富士吉田などが知られている。

楼門の前にある柵は施錠されているようで、公園内には入らず写真を1枚撮っただけでバス停に戻った。タバコをくゆらしながらバス停に立っていると、朝日を浴びて奈良交通のバスがやって来た。前幕には「特急 大和八木駅 十津川経由」と表示されている。再び長時間のバスの旅が始まる。私はタバコを消してバスに乗り込んだ。

バスに乗車する時にピタパをかざしたが、「データを途中で入れ換えるので、ピタパを当てないで」と言われたのをきっかけに、乗務員さんとの会話が始まった。なにせ乗客は自分1人だけ。規則上は運転中の乗客との世間話はダメなのだろうが、道中どうせヒマを持て余すだろうから、バス会社に勤務しているという素性を明かさず会話を楽しむことにした。

新宮駅を出発し、国道42号から国道168号へと進路を変える。「五條の吉野川を渡ったところまで、ほとんど168号を走るんだ。」と言う。この時点では「あらそうなの」という感じしか受けなかったが、実際に吉野川を渡り終えた時には、この乗務員さんの言葉を噛み締めることができた。まぁそれは後々…

バスは熊野川沿いを北上し、時折「熊野古道」の入口を見つけては説明を受ける。特急バスの名に恥じず、新宮高校のバス停を出てから、神丸というバス停までは25分にわたってノンストップ。しかし神丸からは終点まで各駅停車となる。そのバス停の数は、始終点も含めて171箇所。整理券の番号は1から始まって最終的には111に達する。乗務員さんはその件について「バスの整理券は、99までしか表示できんけど、どうなっていると思う?」と訊く。「さぁ」と答えると、やにわにバスを路肩に停め、整理券の番号を送りだす。やがて100番台に達すると、整理券を取り出し「ほれ」と差し出す。見ると整理券の右側に「+100」の文字が表示されている。「こんな整理券、日本でここだけだと思うけど、これはオレが一晩で考えた。これで本社から表彰された。褒美は5,000円だったけどな。」と笑う。新宮営業所のバス乗務員が、奈良の本社から表彰を受けたのだから、それは誇らしい出来事だったのだろう。私はその事に思いを馳せ「いやぁ〜、ホントに凄いですねぇ〜」と思わず口にした。

バスは本宮町に入り、国道168号からいったん外れる。なんでも川湯温泉、渡瀬温泉、湯の峰温泉に立ち寄るためなんだそうだ。「このまま168号をまっすぐ行けばラクなんだけどねぇ」と言いながら乗務員さんはハンドルを切る。バスの車幅ほどしかない狭い道を揺られながら「なるほどねぇ」と感心する。「仙人風呂」と呼ばれる河原の露天風呂を通過したところで、乗客を2人拾った。悪路を走った甲斐があった。

再び168号に戻り、熊野本宮大社バス停に到着した。ここで件の2人連れが下車。再び乗務員さんとのタイマンになった。すぐに右手の河原に見える「日本一大きな鳥居」の説明を受けた。「いや、鳥居は日本だけのものだから、世界一って言ってもいいんじゃないの」と…


熊野速玉大社の参道。新宮という地名の由緒


八咫烏神社などを見ながら神門に到着


熊野三山のひとつであるので当然「世界遺産」


新宮市街地の喧騒を忘れさせる森閑とした境内


拝殿の前で筆者。昼間なのにかなりの冷え込み


別名丹鶴城と呼ばれる新宮城への階段


天守はないが立派な石垣が往時を偲ばせる


天守跡からは市街地と海が見渡せる


国指定天然記念物の浮島の森


本当に浮いているため見学路は橋になっている


徐福公園はバス乗車前に楼門だけ見学


静かな日曜日の朝、日本最長路線バスに乗車


川湯温泉「仙人風呂」前を通過。冬季限定!


新宮から2時間かけて十津川温泉に到着


10分間の休憩時間を利用して一服する筆者


2度目の休憩場所は上野地。まだ十津川村!


上野地は十津川の北の要衝


谷瀬の吊橋の上野地側。人数制限の注意書き


河原には石で書いた文字が見えた

バスはいつしか県境を越え、日本一大きな村である十津川村に入った。この後訪れる日本一長い「谷瀬の吊橋」といい、今日は日本一に縁がある。しばらく谷沿いの道を行くと、急に山が開けて十津川温泉に到着。新宮から2時間走行して、ようやく最初の休憩である。バス停に隣接して奈良交通十津川営業所が建っている。十津川村営バスの車庫も同居しており、運行は奈良交通に委託しているとのこと。今では当たり前の業務委託であるが、1980年に日本で初めてこの運営方式を導入したことから、その昔は「十津川方式」と呼ばれていた。

10分間の休憩を終えリスタート。このページのタイトルを「On The Road Again」と名づけたのは、休憩を繰り返しながら再びバスの旅が始まるさまを、ウィリー・ネルソンさん(彼はさん付けが似合う!)のヒット曲「オン・ザ・ロード・アゲイン」に重ねたからである。アメリカの田舎者の象徴であるウィリー・ネルソンさんの曲を、日本の田舎道で聞くのもオツなもの。さぁツアーを再開しよう!

十津川温泉で10人ちょっとの乗客を乗せて、バスの中が賑やかになったが(驚くことにほとんどが八木まで乗り通した)、逆に乗務員さんの(私向けの)観光案内が減ってしまった。こうなってくると単調なバス旅のため眠気が襲ってくる。思い出したように乗務員さんが小声で話しかけてくると、さも今まで起きていたかのように相槌を打つ。そのうち私が居眠りしているのを気付いたのか、谷瀬の吊橋が見えてくるまで会話が止まった。

2回目の休憩は上野地バス停。ここで25分の長時間休憩となる。なにせ7時間にも及ぶ道のりをワンマン乗務で通しで運行するわけだから、長時間の休憩も当然挟まないといけない。確か2時間以上の連続運転がダメで、4時間以上走ると30分の休憩を入れないといけないという規則があったような気がする。東京と浜松を結ぶ高速バスは、この規則のために足柄休憩の後、終点目前の牧之原で休憩するし、以前名神バスに乗った時に大阪市内の酷い渋滞のため大幅に遅れ、名神多賀で20分だか30分だかの休憩を入れられた経験がある。なにはともあれ、この長時間の休憩は有効に使おう。

ということで、上野地バス停からすぐの場所にある「谷瀬の吊橋」を往復した。先に書いたとおり、日本最長の吊橋ということで往復するにも時間がかかる。オフシーズンのこの時期だから対岸に渡れたけれど、観光シーズンでは時間内にバスに戻れなくなるかも…


日本最長の吊橋。全長297.7bとのこと


対岸からのダイナミックな吊橋の外観


25分間の休憩を堪能してバスに戻る


路肩に雪が積もる天辻峠。険しい道も1人乗務


五條バスターミナルで新宮行きと束の間の対面


新宮駅〜八木駅は5,350円。乗車時間は7時間


驚きの111番という整理券番号


長時間の走行を終え八木駅で休む路線バス


終点の八木駅に到着し鉄道の旅に戻る

上野地バス停を出ると、ようやく十津川村とも別れを告げる。村内で2度も休憩を取るとは、ホントにスケールの広さを感じる。さて十津川の隣は大塔村だったが、2005年に市町村合併で五條市に編入された。五條といえば平野部を思い浮かべるが、まだまだ紀伊半島の山の中。道端に野生の猿の群れがおり、乗客から歓声が上がるほどである。

12時ころ阪本集落を通過。五條と新宮を結ぶ国鉄五新線(未成線)が、とりあえずここまで工事にとりかかったハズだが痕跡は見つけられなかった。もっとも、イメージしていたよりも何もない小さな集落で「これじゃぁ建設中止になるわな」と感じた。このあと雪の天辻峠を越えて、旧西吉野村に入ると、国道と併走する鉄道の路盤が見え隠れする。確かに五新線は建設されていた。もっともその路盤は、バス専用道となり路線バスが走っている。その昔は重宝されていた五新線のバス専用道も、今では国道が改良され、多くのバスは専用道を走らない。この特急バスもしかり。時の流れを感じざるを得なかった。

13時前に吉野川を渡ると、朝、乗務員さんが言っていたように、長いこと付き合ってきた国道168号線に別れを告げる。そして五條バスセンターで最後の休憩を取ると、ごく普通の路線バスになってしまった。左上の画像のような「+100」付きの整理券が出るようになると、旅は終わりに近づく。その整理券を持つ乗客が降車でまごついていると、乗務員さんが私だけに笑顔を見せ「ほら算数ができないと、このバスに乗れんと言ったでしょ」とささやいた。

毎度お馴染みアーバンライナーで名古屋へ

<おしまい>

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