教 科 書 へ の 旅 U


オークラアクトシティ浜松から乗車

国鉄時代の急行列車(特に昭和40年代くらいまで)は、現在では考えられないような駅同士を結ぶものがあった。例えば急行「大社」号。名古屋発と金沢発を敦賀で併結し、今はなき大社線の終点大社へ向かっていた。特に名古屋発は東海道線→山陰線(福知山線)というメインルートでなく、米原から北陸線、敦賀から小浜線、西舞鶴から宮津線とローカル線を大回りするのがミソで、「これじゃ始発から終点まで通しで乗る人は皆無だろう」と思ったものだ。さて、時は30年から40年下った平成20年代。都市間を直結する手段は、急行列車から高速バスに代わった。人気路線の多くは東京、大阪、名古屋と地方都市を結ぶものだが、「え〜っ!こことそこを結ぶの?」というニッチな路線がある。それが今回乗車した日本中央バスの「東海ライナー」である。数年前から浜松市内で見慣れぬ白い高速バスを見掛けるようになり、方向幕を確かめると「藤岡・高崎・前橋」行きとある。当然、東京で乗降ができるんだろうなと思っていると、都内を通らずに群馬に直行するらしい。名古屋・浜松・静岡⇔藤岡・高崎・前橋を直結するバスに乗る人なんているんかいなと思い、興味本位で乗ってみたくなった。というわけで、このページのタイトルは「教科書への旅U」で、さも富岡製糸場見学が目的のようだが、実態は東海ライナー乗車が一番の目的である。


名古屋・浜松・静岡と群馬を結ぶ高速バス


上信電鉄に乗って富岡へ(帰路に撮影)

平成24年10月21日金曜日。18時の勤務時間終了とともに会社を飛び出し、オークラアクトシティホテル浜松に向かった。といってもホテルに泊まるわけでも、レストランで飲み食いする訳でもない。日本中央バス「東海ライナー」の浜松市内のバス停はアクトシティの玄関先にあるのだ。昨春まではグランドホテル浜松の玄関にバス停があったので、それでもそれに比べれば駅前からのアクセスは格段に向上した。

そもそもこの東海ライナーは、名古屋駅を16時15分に発車し、浜松、静岡と市街地まで一般道を迎えに行き、高崎・前橋に向かうという路線で、名古屋から乗車する人は、「なんで浜松と静岡で高速を降りんといかんの?」と思うこと必定である。実際に、高速をそのまま行けば10分もかからない浜松西インター→浜松インター間が、浜松市内の帰宅ラッシュにひっかかり1時間以上も要してしまう。よっぽどの暇人か渋滞マニアでない限りは、この事実を知っただけで乗車を遠慮するだろう。それが理由かどうかは分からないが、この日の名古屋からの乗車は0。私がこのバスの初めての客になった。私以外に浜松から乗車した客もいないので、とりあえず静岡までは私1名の貸切状態で向かう。

所定より10分ちょっと遅れてシートに腰を下ろし、ほっと一息ついていると、運転手さんが(私のためだけに)マイクを通して案内を始めた。休憩は日本平と談合坂でとるが、どちらも10分程度であること。順調に行っても高崎には30分は遅れること。路線バスなので禁酒・禁煙であることなどなど。最後の「禁酒」というルールは高速バスはおろか、一般の路線バスでも聞いたことのない話である。タバコの煙は健康面で他の乗客に迷惑を掛けるので、禁煙は理解はできても、こんなにガラガラなバスの中で禁酒を強いる意味が理解できない。そんな訳でいつも通りウィスキーの水割りをチビチビやりながら高速道路の夜景を楽しんだ。

19時50分ころ静岡インターを出た。インターと駅の距離は浜松ほど離れていないのでまだマシだが、それでもかなりのロスを感じる。SBS通りから石田街道に入って駅南へ。いったん駅前のロータリーを回って来た道を戻り、停車したところは稲川町バス停。ここが静岡の乗車場所である。アクトシティといい、稲川町といい微妙に駅から離れた場所にしかバス停の設置を認められなかったらしい。ここで3名乗車して、合計4名で群馬に向かうことが確定。自由席なので各自思い思いの場所に座り、プライバシーも確保された状態である。20時20分ころ再び東名に戻ったので、静岡のロスタイムは30分だった。

バスは日本坂PAで休憩後、御殿場で東名を降りた。その後、東富士五湖道路〜中央道と走り、談合坂SAで最後の休憩。八王子JCTから圏央道に入り、ショートカットゆえに都内は通らず、鶴ヶ島から関越道に合流して群馬へと向かった。文章にすると簡単だが、この間に3時間くらいかかっている。まぁ酔っ払って居眠りとかもしたけどね…。とにかく気がつくと藤岡インターのランプウェイを走っていた。パーク&ライド専用の駐車場がインター至近の距離にあり、そこが藤岡インターバス停で1名下車。そこからとことこ一般道を走り、高崎駅東口には24時過ぎに到着。バスに残った2名は前橋に向かうらしい…。


富岡製糸場を象徴する煙突


青い公衆トイレは電気機関車風(上州富岡駅)


見学客で込み合う富岡製糸場の入場門


国指定の重要文化財である東繭倉庫


<重文>西繭倉庫のレンガ壁を背景に筆者


富岡製糸場の多くの錦絵に登場する繰糸場


1987年まで操業が続けられた繰糸場内部


お雇い外国人技師の官舎・ブリュナ館

翌日は上信電鉄に乗って富岡製糸場へ。今年7月に世界遺産へ推薦されることが決定したため、休日ともなれば見学者が殺到する状態になっている(私もそのひとりだが…)。明治政府の基本指針「富国強兵」の富国政策のひとつとして挙げられるのが「殖産興業」で、歴史の教科書でその言葉を見つけると、そばに必ず載っている錦絵がこの富岡製糸場を描いたものである。このコーナーのタイトル「教科書への旅U」もこんな理由から名付けているが、それじゃパートTは何だということになる。実は本当に教科書に掲載されているものを求めて旅をしたことがある。それが2001年の通潤橋への旅。小学校の社会科の教科書で通潤橋の話を学び、その通潤橋を実際に見てみたいと思った。しかし小学生の私にとっては、九州熊本の山奥はあまりに遠かった。そこで授業中に「新婚旅行で行く!」と宣言したわけである。結局、新婚旅行を一度もすることなく、それでいて日本はもとより世界中のいろんなところに行っている自分がちょいと情けない。小学生のピュアな自分のつめの垢を煎じて飲みたいくらいである。

まぁとにかく、富岡製糸場までわりと簡単に来てしまった。上州富岡駅から歩いて10分。土産物屋街が尽きた先に見慣れた赤レンガの建物が見えた。500円支払って中に入る。敷地内で見学できる場所をくまなく回り、おまけに期間限定で普段は入れないブリュナ館にも入場できたのはラッキーだった。内部は片倉工業時代にホールに改造されていて、お雇い外国人技師ブリュナの官舎時代をうかがい知ることはできなかったが、それでも国指定重要文化財の内部を見学できて満足だった。その他多くの重文を見学し、都合40分ほど滞在して製糸場を後にした。

高崎からの帰りは、湘南新宿ライナーのグリーン車で一気に小田原に向かった。休日の普通列車グリーン券は事前購入なら高崎〜沼津間を購入してもたったの750円。3時間ほどの道のりはこの旅のクライマックスを飾るに相応しい“お楽しみの時間”。私は白昼堂々と酒盛りをしながら都心を駆け抜けた…。
<終>

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