28年かけて新幹線が青森乗り入れ
さて、東北新幹線に乗車するのに、東京や新青森に行かず、まずは仙台に飛んで、おまけに宿泊までしたのには訳がある。それは仙台の光のページェントを見物するためである。神戸のルミナリエや東京のミレナリオなど、冬になると全国一斉に街並みがイルミネーションで飾られるが(地元浜松の「冬の蛍」もあったっけ)、仙台の光のページェントが始まったのは、それらのはるか前の25年前。そして私が、仙台のこのイベントを知ってから20年近く経つ。
当時、社会人生活が始まったばかりの私は、JRの全線踏破を目指し東北に何度も訪れていたが、たまたま見ていたテレビのローカルニュースでこの話題が取り上げられ、「いつか好きになった人と、この時期に仙台を訪れてみたい」という、なんともアホくさいロマンチックな夢を胸に抱いた次第である。結局、今までそんな機会が訪れることもなく時が過ぎ去っていき、別に仙台まで行かなくても、手近な場所でイルミネーションが見られるようになって、初めて一人で光のページェントを見る決心がついた訳である。
仙台空港の到着は16時15分。12月の日暮れは早く、この時間にはもう暮れかかっていた。私は通路でつながっている仙台空港駅に移動し、仙台空港鉄道で仙台駅に向かった。東北新幹線の初乗りが今回の旅の目的だが、この仙台空港鉄道も初めての乗車である。第3セクターの鉄道であるので、新規開業しても乗りに来なかったが、実態はJRと同形式の車両を使用し、車両の共通運用をしているので東北線の支線のようなものである。高架の仙台空港駅を出発した2両編成の電車は、滑走路の地下をトンネルでくぐる。トンネルに入る直前に進行方向左手を見ると、旅客機がすぐそばに駐機されていて、おそらく日本中で最も近くで旅客機を見られる鉄道じゃないかと思った。
仙台空港から30分足らずで仙台駅に到着。仙台直前では、忘年会や光のページェントなどに行く乗客でかなり混雑し、12月のこの時間に2両編成はないだろうと思った。そんなこんなで、電車から降りた乗客の流れに身を任せ、地下鉄ホームへと向かった。仙台から二駅目の勾当台公園駅が、光のページェントの開催される定禅寺通りの最寄り駅。地上に出ると、17時半に点灯されるイルミネーションを今か今かと待つ見物人の熱気に圧倒された。
私は、雑踏をかき分けて定禅寺通りを西に向かった。駅から300bほどのところに今晩の宿があるが、ホテルにたどり着くまでに20分くらいかかってしまった。道半ばでイルミネーションが点灯。見物人から一斉に歓声が上がった。私は夢中でデジカメのシャッターを押した。お目当ての画像が撮れ、ホッと一息つきながらホテルにチェックインした。
部屋から光のページェントが見られるので、わざわざこの部屋を押さえたからには、存分に満喫しない手はない。私は荷物の中からウイスキーのミニボトルを取り出し、一晩中部屋からやわらかなイルミネーションを眺めていた。
翌朝、昨夜の喧騒が夢か幻のように静まりかえった定禅寺通りから路線バスに乗り仙台駅に向かった。ところで、光のページェントは私が仙台に宿泊した3日後に出火騒ぎが起き、一時点灯を中止した。予定を1週間後にしていたら光のページェントを眺められず、この朝のような不気味な静けさが通りを支配していたはずで、この旅の後、幸運を噛みしめずにはいられなかった。
仙台駅から、はやて11号で新青森に向かう。車内放送の前に流れる東北新幹線独特のチャイムを聞くと「あ〜旅に出たな」という気分になる。岩手県内に入ると快晴で、雪を被った岩手山が美しい。
盛岡を過ぎるとトンネルが多くなり、昨夜の寝不足で眠気を催すようになってきた。八戸〜新青森間を居眠りするようなことになると、何のために時間とお金をかけてここまで来たのという事態になってしまう。必死に眠気をこらえ、八戸からの30分に集中した。トンネルとトンネルの間に、雪原が車窓を飾る。同じ東北でも、仙台あたりとは全く違う風景である。「雪国」「みちのく」…そんな言葉が去来する。やがて、はやて11号はスピードを落とし、新青森駅新幹線ホームに滑り込んだ。新幹線を見物に来たお年寄りの津軽弁が印象的だった。
|