流 氷 を 追 っ て
〜オホーツク沿岸を往く〜

オホーツク沿岸の旅の起点・網走
2月の北海道、それもオホーツク沿岸部は極寒の地である。普通に考えれば、誰も好き好んで旅行に出掛けるとは考えづらい。それでも2月14日の名古屋空港10時25分発の女満別行きANA327便は、ほぼ満席で飛び立った。これもひとえに、この時期にオホーツク沿岸に流氷が接岸するからである。しかし今年は暖冬。旅行に出る何週間も前から流氷の状況が気に懸かり、何度もオホーツク紋別市のホームページで確認した。2月に入ってから流氷の初見を記録し、砕氷観光船である「ガリンコ号」のページでは、ここ何日間も連続で流氷帯に入っていて、その日の航海の模様も画像で確認できた。というわけで、最悪でも紋別で「ガリンコ号」に乗船しさえすれば流氷はみられるだろうと考え、旅立った次第である。

女満別空港に降りるからには、声を掛けておきたい人物が一人いる。このホームページの旅行記に既に2回ほど登場している、北見市在住の大学の同級生・加藤孝である。1週間ほど前から、彼の携帯電話に何回か掛けてみたが、いずれも「電源が入っていないか、電波の届かない場所にいます」という答えだった。彼と連絡がとれれば、女満別から北見に立ち寄って、遠軽経由で紋別へというルートをとる予定だった。女満別に到着し「これが最後」という思いで電話を掛けたが、冷たい合成の声が聞こえた。私は北見立ち寄りをあきらめ、網走行きの空港接続バスに乗り込んだ。


網走バスターミナルより中湧別行きに乗車

オホーツク沿岸に多いタイプの常呂町ターミナル
国鉄時代の北海道の路線網は、今から見れば信じられないほど充実していた。網走から稚内へ北上するにしても、途中の雄武と北見枝幸で途切れている以外は(この区間も計画されてはいたが)、ずーっと線路が繋がっていた。国鉄の民営化とほぼ同時期に、赤字ローカル線の廃止が進められ、この区間の線路は剥がされていった。その結果、今では網走から稚内までオホーツク沿岸を走る鉄道は皆無である。

一介の旅行者にとって、このような鉄道がない状況は困った事態である。雪道に素人の静岡県の住人が、2月の北海道をレンタカーで走るのは自殺行為であるので、路線バスを乗り継いで北上する以外に方法はない。女満別空港12時15分到着で、オホーツク沿岸を北上し、宿泊地の紋別に17時頃到着するという、バスの接続があること自体が奇跡的であった。

サロマ湖は雪原と化していた


サロマ湖より内陸に入った佐呂間バスターミナル

なにはともあれ、網走バスターミナルを13時40分に発車する、中湧別行き網走バスに乗車した。網走駅の前を通って、しばらく国道39号線を走り、網走刑務所のところで分岐する国道39号線と分かれ、まっすぐ国道238号線に入る。この国道238号線が、遠く320`離れた稚内まで結んでいる。

しばらくは網走湖のほとりを行く。網走湖も地元佐鳴湖や天竜と同様にボート競技が盛んなところで、私が高校時代に作った曲の中にも登場していたが、冬のこの時期はボートどころの騒ぎではなく、全面結氷していた。網走湖を離れると、次は汽水湖の能取湖で、ここでは氷に穴を開けてワカサギ釣りをしている人が見られた。能取湖を過ぎれば、いよいよオホーツク海に近づき、最初のターミナルである常呂町へもほど近い。


汽水湖ながら全面結氷するサロマ湖

中湧別バスターミナルに定刻に到着
常呂町交通ターミナルは、道東によくあるタイプのバスターミナルである。もともと国鉄湧網線の常呂駅があった場所に、廃止転換交付金でバスターミナルに建て替えたものである。これから通る佐呂間、中湧別、湧別、紋別、興部、雄武、枝幸、浜頓別など、すべてこのタイプである。私が抱いた素直な気持ちは「こんなに立派にならなくてもいいから、鉄道の駅として残っていて欲しかった」だけどね…。

常呂で時間調整のため、5分ほど停車。運転手さんもスモーカーであったので、彼が一服している間は、乗り遅れを気にすることもなく私も一服できる。なんか昔のローカル線で、対向列車を待っている気分だった。

常呂を出ると、いったん国道から外れてサロマ湖の東岸を走る。サロマ湖栄浦バス停で、同乗していた最後の客が降りて、ついに「貸切」状態に突入。車窓に見えるサロマ湖は、湖というよりも雪原と化していた。

バスターミナルの向かいに鉄道資料館が…

苦労してオホーツク海を見るも流氷はいない

浜佐呂間を過ぎると、バスは国道238号線が通る湖岸を離れて谷あいへと入っていく。佐呂間町の中心部は、かなり内陸部にある。しかし今走っている道こそ、湧網線と平行していた県道である。

佐呂間バスターミナルで、例によって「一服タイム」を過ごした後、バスは踵を返して海側に向かう。再びサロマ湖沿いを走ったが、今度は雪原ではなく、いかにも結氷していることが知れる湖面が見えた。汽水湖としては、地元浜名湖以上の面積を持つサロマ湖であるが、全面結氷の様子は壮観であった。塩水は真水よりも凍りにくいから、いかに気温が低いかということが分かる。

車窓からサロマ湖が消えると、このバスの終点・中湧別もほど近い。一昨年の夏、紋別から遠軽まで路線バスに乗ったときに車窓をよぎった、見覚えのある鉄道資料館が、中湧別バスターミナルの向かいに変わらぬままに建っていた…。

部屋の向かいのパチンコ屋の上にはスキー場

早起きをして眠たげな筆者(ガリンコ号にて)

昨日、ネットで調べた流氷の動向によると、湧別付近で流氷が最も陸地に近づいている様子だった。そのため中湧別から紋別へ直接乗り込まずに、湧別に立ち寄ることにした。次の紋別行きバスは、湧別バスターミナル経由なのでちょうどいい。

中湧別から湧別へは、まっすぐな道を走って4`くらい。16時20分ころ、既に日が暮れかかっている湧別バスターミナルに降り立った。とりあえずオホーツク海が見えるところに行かねばならない。バス通りの延長線に漁港があるので、アイスバーンに足を取られながら歩いた。港に着いても外洋はなかなか見えず、15分くらい七転八倒して、ようやく岸壁までたどり着いた。しかし…流氷の影すら見えず、ただ波が打ち寄せているだけだった…。港からの帰り道の長かったこと。次の紋別行きバスは市街から離れた「四号線」というバス停にしか停まらない急行バスだったので、なおさらだった。

行けども行けどもグレーの海が広がる

ようやく見つけた流氷は2b四方のかたまり

国鉄湧網線の時代、中湧別と湧別の間は盲腸線のような格好だったが、その間に全国版の大型時刻表に載っていない仮乗降場があった。それが「四号線(しごうせん)」である。種村直樹さんの「鈍行列車の旅」という本に詳しく載っていたっけ…と思いながら、何もない四つ角でバスを待っていた。急行バスに乗ってしまえば紋別へは40分足らずで、あっという間に到着した。

今日の宿は「紋別プリンスホテル」である。シングルルーム主体で一見シティホテルっぽいが、天然温泉で露天風呂がある。ちょうど昨年暮れに山口・湯田温泉で泊まった宿と同じような感じである。とりたてて温泉好きでもないが、露天風呂に入れるとなれば話は別。夕食前に、いそいそと浴場に向かった。泉質はすべすべしていて、露天風呂で足を滑らせて転びそうになったくらいである。

ガリンコ号の前面に付くドリルも今日は用なし

オホーツクタワーよりガリンコ号乗り場を望む

翌朝は、早起きを強いられた。ホテルを5時35分に出る送迎バスに乗ってオホーツクタワーまで行き、ガリンコ号に乗船する段取りである。ガリンコ号乗り場には既にたくさんの人がいたが、みんな心なしか浮かない顔である。私同様、みんな早起きを強いられているからだけではなく、再三放送で「今日は流氷が見られないかもしれません」とやっているからである。

満員の乗客を乗せたガリンコ号は、6時過ぎに港を出航した。昨日までは20分も走れば流氷帯に入れていたようだが、今日はいつまでたってもグレーの海が広がるばかりである。結局、片道50分くらい行ったところで船はUターン。流氷といえば、乗組員の人達が「はぐれ氷」と呼んでいる、2b四方の塊が2,3個見えただけだった。それでも満員の乗客は、その氷に向かってシャッターを押し続けていたけどね…

海中を覗ける窓(右)とクリオネの水槽

吹雪の中、オホーツクタワーの方を振り返った

ガリンコ号の船内では、せめてもの慰みにとクリオネが展示された。行きがけに乗組員さんが船尾でバケツを海面に投げ入れ、海水を汲んでいる様子を目撃していたのだが、このためだったのか…。子供づれのお客さんが、クリオネの入ったビンに群がり、私もそれに混じってカメラに収めたが、満足できる画像はなかった。新しく買ったデジタルムービーカメラは接写に弱いらしい。

帰りはオホーツクタワーに寄るということで、数人の乗客とともに途中下船した。例年なら、海中に突き出したオホーツクタワーの周りには、流氷がびっしりという触れ込みだが、今年はそれも望むべくもない。エレベーターで、まず3階の展望台に向かった。さきほど乗船したガリンコ号が港に接岸しているのが見えた。それにしても雪の降り方が激しい。なんでも低気圧が接近しているとのことである。

稚内行き「ポールスター号」(実は枝幸行き)

行けども行けども、ただひたすら白かった

続いて地下の展示室に向かう。ここには、さきほど船の上で見たクリオネの水槽があり、無数に泳いでいた。東京の品川水族館あたりでも見られるが、こんなにどっさりとクリオネが浮かんでいるのでは、東京で見るのと違ってありがたみが湧かない。その隣には海中を覗ける窓が空いていて、運が良ければ「生クリオネ」が見られるらしいが、流氷が遠く離れている状況では、それも叶わない。なんか死んだ子の歳を数えるような気分になってきたので、早々にタワーをあとにすることにした。

タワーからガリンコ号乗り場までは相当な距離があり、吹雪の中、まるで「八甲田山」のような趣で歩いた。やっとの思いでガリンコ号乗り場に戻り、次は流氷ラインバス乗車である。これから乗る稚内行き流氷ラインバス「ポールスター号」は、オホーツクタワー(ガリンコ号乗り場)が始発であるので、非常に便が良い。しかし実際、始発より乗車したのは私だけだったが。

風が強く、体感温度は−2℃どころではない

枝幸にて2台のポールスター号が肩を寄せ合う

枝幸バスターミナルは雪の中

紋別バスターミナルで1人だけ乗客を拾って、バスは一路北に向かった。吹雪いているせいで視界がきかず、ただただ白い世界の中を走っていく。ところで今回、このバスの旅のために用意した音楽は「THE PASSENGER」(曲目参照)。特にリンダ・ロンシュタットの「ホワッツ・ニュー」のブラスセクションが、雪景色にぴったりとはまって印象的だった。

興部、雄武と例によって立派なバスターミナルに立ち寄り、バスは枝幸を目指す。さて、「ポールスター号」は稚内行きだと記したが、実は枝幸で乗り換えることになる。紋別〜枝幸は北紋バス、そして枝幸〜稚内は宗谷バスの担当である。10時50分ごろ枝幸バスターミナルに到着し、いったん運賃を払ってバスを降りた。


いよいよ最後のバスである稚内行きに乗車

枝幸を抜けたところで流氷に最接近する

デジタルズームの悲しさ。流氷って分かる?

昔の交通の難所「神威岬」
枝幸バスターミナルは死んだように静かで、売店も観光案内所も閉まっていた。することもないので、バスターミナル周辺で写真を1〜2枚撮ったが、あまりの寒さに早々に建物の中に逃げ込んだ。

今回の旅では数々のバスを乗り継いだが、いよいよ最後のバスである稚内行きのバスに乗車した。乗車して数分後、枝幸の市街地を抜けたところの海岸ばたで、幸運にも流氷に遭遇した。長さ300b、幅50bほどであったが、とにかく流氷が見えたことには違いがなく、窓にへばりついて必死に流氷をカメラにおさめた。これで少しは溜飲が下がった。


有名な宗谷岬の碑をバックに筆者

猿払村と稚内市の境付近。稚内まで66`

日本最北端・宗谷岬に徐々に近づく
流氷を見たことで、ある種の達成感があり、急速に眠くなってきた。それでも風光明媚な神威岬は「ちゃんと見ておかなければ」と義務感で起きていたが、 それ以外はずーっと同じ車窓が続いていたこともあってウトウトしてしまった。運転手さんも同じように眠いらしく、運転しながら時々カラダを伸ばしていた。考えてみると、数十`おきにやってくる大き目の集落以外は、信号もなければ、大きなカーブもない。つくづく、この路線を運転する人は過酷な労働だと感じ入った次第である。


台風並みの強風の中、観光客が集う
さて、再び目が冴えだしたのは、道路標識に「宗谷岬」の文字が見え出したあたりから。ちょうど猿払村と稚内市の境くらいである。驚いたことに稚内市域に入っても、市街地までは60数`ある。こんなところに住んでいたら、役所に何か手続きに行くにも大変だろう…。


宗谷岬バス停に停車中のポールスター号
この旅の最後の佳境である、宗谷岬に徐々に近づいていく。実は、日本最北端であるこの地に来るのは初めてである。少しは写真も撮っておきたい。幸いにも宗谷岬では10分ほど停車する。私は、あらかじめ運転手さんに事情を話し、宗谷岬バス停に到着するやいなや、バスを飛び降りて岬に向かった。台風並みの強風の中、身を凍らせながら2〜3枚記念撮影をしたが、やはりあまりの寒さに耐え切れず、すぐにバスに逃げ込んだ。

宗谷岬を出れば、稚内空港は目と鼻の先である。長かったバスの旅を稚内空港で終え、私は終点へと向かう赤いバスの姿が小さくなるまで、静かに見送った。

オホーツク沿岸の旅の終焉の地
<終>

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