Last Piece Of Islands
ホテルウィング湘南藤沢に前泊

☆2018年7月の旅「多島海」
いきなりURLのリンクから始まり恐縮だが、上のリンクから多島海のページに飛んで、ちょっと下の方を見ていくと「日本の主な島〜100平方キロ以上〜 面積順(本土、北方領土を除く)」の表が出てくる。22の島のうち、旅に出る前の時点で、訪れていないのは第20位の奥尻島だけ。平成初期にJR全路線をほぼ乗りつぶし、目標を失いかけた私が次の目標として掲げたのが島めぐり。以来、少しずつ訪問済みの島を増やしながら、とうとう平成が終わってしまった。そして最後のワンピースを埋めるため、私は旅立った。

江差港から奥尻島へ向かうフェリーのダイヤが変わってしまい、東北・北海道新幹線利用では、その日のうちに島に渡れなくなってしまった。というわけで前泊が必要となった。大人の休日倶楽部パスを使うので、理想はJR東日本との境界駅である熱海に泊まりたいところだが、4時35分発の始発電車に乗らないと「はやぶさ1号」に間に合わない。さすがにこれは自重し、1時間先の藤沢に泊まることにした。都内や横浜では駅から徒歩5分圏内で5,000円以下のホテルを探すのは難しいが、藤沢でホテルウィングインターナショナル湘南藤沢という1泊4,800円のまずまずなホテルが見つかり、そこを予約した。

浜松→藤沢間をなるべく安くあげるため、浜松→茅ケ崎の乗車券を買って、藤沢まで乗り越した。普通に乗車券を買うと3,670円だが、こうすることで3,350円+200円=3,550円となる(セコっ!)。また浜松〜静岡間はホームライナー利用、熱海から藤沢はJREポイントで引き換えたsuicaグリーン券を利用し、それほど時間をロスすることなく、すべてリクライニングする座席で快適移動。22時30分すぎに藤沢に到着した。


今回のおときゅう旅は湘南電車でスタート?


難行苦行のはやぶさ1号から木古内で解放

翌6月20日より、大人の休日倶楽部パスが通用開始。藤沢の前泊にしたが、それでも朝早い5時31分の電車で東京駅に向かう。この電車でもタダのsuicaグリーン券を使ったが、こんなに早朝なのにグリーン車を待つ列がハンパない。比較的空いている4号車の1階席に座ったが、ほぼほぼ満席。都会へ勤務するサラリーマンの大変さを思いやった(グリーン車で通える彼らはかなり恵まれているが・・・)。50分ほどで東京に到着。東北新幹線のホームに上ると、はやぶさ1号は既に入線済み。予想通り車内はほぼ満席だった。

真ん中の席に誰も来ないことを期待して、3列シートの窓側を指定したが、東京から新青森までずーっと隣に客がいた。こうなるとトイレにも行けず、軟禁状態で3時間以上過ごすことになる。シートに釘付けなので、いかに時間つぶしをするかが焦点となる。幸いE5系は車内Wi-Fiがあり、ネットで暇つぶしが可能である。ただ東海道新幹線のそれとは異なり、トンネルに入ると電波が途切れる。これがわりとストレスで、余計にイライラしてしまった。

JR東日本だけ乗れる1万5千円のおときゅうパスを持っているので、新青森から先は別勘定。「えきねっとお先にトクだ値」を購入しており、新青森→木古内間が4割引で3,160円。こちらで指定された席を、東京→新青森間でも指定しようとしたが、誰かに指定されてしまっていた。それゆえに新青森で席を移動。今度は2列シート側で、隣に客が来ることはなかった。まぁとにかく、昨年の9月のおときゅうパス期間にも痛感したことだが、北海道への行き来に新幹線の普通車を使っちゃいかん。飛行機なら隣に客がいても時間的にまぁまぁ耐えられるが、東京〜新函館北斗の4時間超じゃ耐えられない。北海道との往復で新幹線を乗り通すのは、今回が最後としたい。

そんな難行苦行から木古内で解放された。駅舎から出ると、浜松とは明らかに違う冷涼な空気が心地よい。約30分の待ち合わせで、函館バスの江差方面行き路線バスに乗車した。2014年に廃止となったJR江差線の代替バスで、わりと長距離を走るので大型バスを想像していた。しかし実際は日野のポンチョという、都市部でよく見るごく小さなノンステップバスだった。それでも17席しかないシートが、終点まで満席になることは無かったが。

江差線の廃線跡に沿ってバスは走るが、たった5年前まで列車が走っていたとは思えないほど、線路の跡は自然に還っていた。厳しい現状を目の当たりにしながら、木古内駅から1時間半。姥神町フェリーというバス停で下車した。運賃は1,230円。ローカル路線としては安めの運賃設定なのは廃止代替路線だからなのか。さて、江差港からフェリーが出るのは約2時間後。特にこれといった予定を立ててこなかったので、ぶらっと街歩きをした。国道沿いを歩いていると、板壁の古そうな建物がそこかしこに建っており、ニシン漁が華やかなりしころの「ニシン御殿」とのことだった。さらに国道を歩いていると「開陽丸・かもめ島→」の看板が立っていた。そちらの方に歩いていくと、海岸に古そうな帆船が立っていた。戊辰戦争時代の幕府側戦艦の開陽丸である。もっとも本物は江差沖に沈んでしまっているので、ここにあるのは復元されたものである。青空の下で見るクラシックな船体は、港町江差に相応しい優美なものだった。


アリバイ撮影のため木古内駅舎を背景撮影


江差方面に行く函館バスは日野ポンチョ


普段は貨物列車しか通らない踏切で停車


ハートランドフェリーの江差ターミナル


江差の砂浜に復元された開陽丸

まちブラをしているうちに、ちょうどいい時間となり、フェリーターミナルに向かった。ターミナルビル自体は古い建物だが、ICクレカ対応の乗船券発券機なるハイテクな機械があって、ハートランドフェリーは案外お金持ちなのかもしれない。フェリーの方にもそれが表れていて、奥尻島へ向かう「カランセ奥尻」は、まだ新船といっていい2017年導入のピカピカなフェリーだった。

船内には、おあつらえ向きにテーブルとベンチシートがあった。出航は14時45分と、まだ日が高い時刻だが、酒盛りを始めた。満席の東北新幹線の普通席では、酒盛りをしても窮屈過ぎて時の流れるのを遅く感じるが、余裕のある船内では酒盛りをするとあっという間である。このままではせっかくの新造フェリーの船内も、この部屋の印象しかなくなってしまう。重いケツを上げて、甲板に出た。フェリー後方の海には、白い航跡が続いている。「平成の離島めぐり」の最後の航海だと思うと、何の変哲もない海上の景色も、かけがえのないものに思えてくる。

到着40分ほど前になると、奥尻島が見えてくる。もっとも舞鶴〜小樽間の新日本海フェリーでも奥尻島を見ているので、最後のワンピースだが初めて見る島ではない。そして到着時刻が近づくにつれ、船内がザワつきはじめ、気の早い人は下船口に向かったりしている。そのうちにじっと酒を飲んでいるのが恥ずかしくなり、まだ到着まで時間があるのに、私も下船する準備を始めた。奥尻港フェリーターミナルには定刻の到着。タラップから港に足を踏み出した瞬間に、日本の離島(広い順)のTOP22を完全制覇した。

今晩の宿である浜旅館は、港から歩いて5分ほど。部屋には風呂もトイレもなく、共同の風呂は家庭用の広さのものが2つあるだけ。これは満室だと順番待ちになるやつだなぁと思いつつ、学生時代に住んでいた下宿で、風呂を待つのがイヤで、毎日夕方5時ころに風呂に入っていたことを思い出した。まぁ何にせよ離島めぐりの最後を飾るに相応しい、本土離れした象徴的な宿だった。

さて真昼間から酒を飲みまくっていたため、睡眠時間も足りていなかったこともあって、19時すぎには眠ってしまった。夏至前後の北海道では、この時間はまだ明るく、嬉しくなってカーテンを閉めずに眠ってしまった。おかげで窓の外が明るくなるタイミングで目覚めてしまった。ちなみにまだ3時台だった。それでも8時間以上寝ている計算なので、布団から這いずり出て、浴衣をひっかけて港の方へ散歩に出た。曇り空だったが、対岸の駒ヶ岳もうっすらと見えていた。


栄華を誇った江差のニシン御殿「横山家」


江差と奥尻を結ぶフェリー「カランセ奥尻」


甲板にて離島めぐり最後の航跡を見る


奥尻港に到着しTOP22の離島を完全制覇


共同風呂に共同トイレで大学の下宿を連想


早暁の奥尻港で対岸の駒ケ岳を望む


いかにも旅館らしい朝食


旅館の部屋からバスを撮影

ご飯、味噌汁、シャケ、目玉焼きといった、いかにも旅館の朝食を食べ、朝の連ドラを見た後にチェックアウト。奥尻町有バスで島の最南端の青苗地区に行く腹づもりである。旅館の目の前のバス停を出発後、10分も走らないうちに海岸線に輪っかのような岩が出現した。変わった形の岩だなぁと思っているうちに通り過ぎてしまったが、この後立ち寄った津波館で、この岩が奥尻島のシンボルと言われている鍋釣岩だったことが判明。今日の行程は一筆書きなので、もうこの場所を通ることはない。というわけで痛恨のミスを犯してしまったが、後の祭りだった。

バスは淡々と海岸線を走り、島の最南端の集落である青苗地区に入っていく。青苗の最も南のバス停が奥尻島津波館で、ここで下車した。バス停から岬の方へ歩くと奥尻島津波館があり、平成の初めごろに起きた北海道南西沖地震津波のことを、せっかくなので勉強していこうと思い入館した。津波といえば東日本大震災を連想するが、当地の津波は震源地が近かったため、青苗地区には地震後わずか2〜3分で第一波が到達した。津波警報が発令される前の襲来だったが、かなりの島民は警報を待たずに避難を開始しており、難を逃れた。これから地震や津波が来る静岡県民にとっては、示唆に富んだ教訓である。

津波館の隣には慰霊碑である「時空翔」が立っていた。一般的な慰霊碑を想像していくと驚くような形で、真ん中のくぼみは地震の震源地に向けて彫られているとのことだった。そして、この緑地公園の一番南には徳陽記念碑が立つ。明治13年にこの近海に座礁した英国軍艦を救助したことを記念して、昭和6年に建てられたモニュメントとのことだった。この塔は、再三襲来した津波に耐えてこの地を見守っている、青苗のシンボル的な存在である。一方で、記念碑周辺の広大な緑地も、もともとは民家が密集していたということなので、現在の三陸同様に集落こぞって高台に移住したということである。ここに来て、津波にまつわる様々なことを身をもって知ることができた。訪れた甲斐があった。

さて、ここからは帰り道。奥尻空港を12時30分発の北海道エアシステム(HAC)の便に搭乗する予定であるが、その便に間に合う青苗から空港までの公共交通機関はない。というのも島唯一の陸上交通機関である町有バスは、空港との連絡は全く考えておらず、さきほど乗ってきた奥尻港9時40分発のバスが、飛行機に間に合う最後の便だったからである。というわけで、青苗岬から奥尻空港への約3キロは、徒歩で連絡ということになる。岬から青苗集落までの上り坂は多少堪えたが、あとは空港まで平坦な舗装道路なので、30分も歩けば空港が見えてきた。11時30分すぎに奥尻空港に到着し、無事にミッションはクリアした。

函館空港行きJAL2890便は、HACが運航するサーブ340Bという小型の機材が飛ぶ。シートのアブレストは1列+2列で、一人旅なら1列シートの方を選べばよく、隣席に誰も来ないので気が楽である。プロペラ機で、なおかつ短距離なので、それほど高度を上げることなく、耳が痛くなるようなこともない。競合する交通機関は江差からのフェリーだが、奥尻→木古内ならともかく、奥尻→函館だと早割で4,900円ということもあり、所要時間でもコストでも飛行機の圧勝である。そんなことを考えているうちに、あっという間に函館空港に到着。函館空港からは10分の待ち合わせで新函館北斗空港行きのシャトルバスがあり、所要1時間、1,000円のバス代で、お手軽に新幹線駅まで運ばれた。

さぁあとは新幹線の乗り継ぎを残すだけ。14時48分発のはやぶさ30号で一気に東京を目指す。往路同様、新青森以北は別払いとなるので、「えきねっとお先にトクだ値」のキップを準備していた。津軽海峡を渡るだけで、それほど距離が長くない新函館北斗→新青森の値段は、4割引きにもかかわらず4,350円とかなりの額。青函トンネルの建設費分が乗っかっているのかもしれないが、今後北海道新幹線が札幌まで延伸したときに、航空機に対して競争力があるのかどうか疑問である。ただでさえ経営基盤が脆弱なJR北海道が、新幹線がお荷物路線になると最悪で、難しい問題である。

さて、東京までの4時間超という長時間にわたって、狭いシートに押し込められたので、エクスプレス予約で400円追加だけで済む、こだま号のグリーン車がどれほど有難かったか…。浜松到着は21時20分。奥尻島の青苗岬で帰途についてから、実に10時間を超える長い旅路だった。


鍋釣岩を撮らずとも海岸線の車窓は撮影


奥尻町有バスで奥尻島最南端の青苗へ


奥尻島津波館の入り口にて筆者


津波館そばの丘の上に立つ慰霊碑「時空翔」


1993年の津波にも耐えた徳洋記念碑


青苗の公園から空港まで徒歩連絡3キロ


HACサーブ340B機で奥尻島を後にする


4割引でも新函館北斗→新青森は4,350円

<終>

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