☆北海道上陸15周年記念☆ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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渡道15周年記念 35歳の現在では考えられないことを大学3年の夏休みに行っている。それは125ccのバイクで北海道を半周したということ。帰りこそ小樽からフェリーに乗ったが、往路は浜北から延々国道をひた走り、家を出て4日目の朝にようやく青函連絡船の乗客となった。難行苦行の末、函館の地を踏んだ時のことは今でも忘れられない。その時にお世話になったのが大学の友人の加藤孝君。北海道1日目の9月1日と北海道最後の夜の9月6日に、帰省していた彼の札幌の実家に泊まらせてもらった。それから月日が流れて15年後の今日9月6日。北見で仕事をしている彼と、当時の思い出話をしながら飲もうかという算段である。 小さな小さなジェット空港 浜松・東京間をノンストップ79分で結ぶひかり292号は快適だった。そぼ降る雨に浮かんだビル街を走り抜けるころ、オーディオサービスから小田和正の「ラブストーリーは突然に」が流れていた。あまりにも車窓にシンクロしていたので、思わず私は「カンチ!」と小声でつぶやき、心は鈴木保奈美になってしまった。せめて織田裕二にしとくべきだったと後悔しきりである。 京急で羽田空港に入り、エアーニッポンのオホーツク紋別行き801便の出発を待つ。予定より1時間以上も早く空港に着いてしまったため、2時間くらいの待ち時間となってしまい、羽田空港ご自慢のショッピングモール(ビッグ・バード)で時間を過ごした。とにかく広大なスペースで、いい時間つぶしにはなった。やがて搭乗時間が来て、バスで5分ほどかかる滑走路のはずれのボーイング737型機のところに連れて行かれた。 飛行機の座席に腰をおろし、「さぁ飛ぶぞ!」と意気込んでもなかなか飛び立たない。なんでも滑走路の順番待ちとかで、「当機は7番目に離陸の予定です」と客室乗務員さんが申し訳なさそうにアナウンスをしていた。結局20分遅れで羽田を後にして一路紋別に向かった。 上空を時速800`以上ですっ飛ばしても紋別は遠く、離陸して1時間半ほどしてやっと飛行機は高度を下げ始めた。雲の下まで降りてくると海岸線が確認できた。オホーツク海に面して北の大地が広がり、海岸線には2,3の汽水湖が見える。このあたりはサロマ湖をはじめとして、このような汽水湖が点在している。また海岸線と並行する道路の横には道路よりさらに細い一筋の直線も見える。既に廃止されてから時間の経つ名寄本線の跡だと思う。それにしても同じところをやけにグルグル廻っている。パイロットが空港の位置が分からず立ち往生しているような感じである。実際、これだけ同じ場所を行ったり来たりしているのに私もついに空港の位置がどこにあるのか分からなかった。あまりにも大地に何もないため空港が目立たないのである。飛行機は思い直したように一直線に降り始め、約20分遅れでオホーツク紋別空港に着陸した。 |
小さな小さな「オホーツク紋別空港」 |
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ANK801便から歩いて空港の建物へ |
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おそらく旧紋別駅跡地に建つバスターミナル |
あの広大で設備の整った羽田空港から、ここオホーツク紋別空港に来てみると全ての面でギャップを感じる。まるで東京駅からノンストップで天竜川駅に到着して、「はい終点だから降りて!」と言われたような感じである。タラップを降りて徒歩で空港の建物に入る。通路も屋根もなく、雨が降っていたらみんなどうするんだろうかと思ってしまう。建物には「歓迎・ようこそオホーツク紋別空港へ」の文字とともに「OKHOTSK MONBETSU」とロシア語綴りの空港名も読み取れ、ここも日本離れしていた。空港の建物の大きさと施設は磐田駅と同規模で、軽食のカウンターとキオスクのような売店と5席×5列のベンチと発券カウンターが施設の全てであった。私はこんなちっぽけな空港に降りたのは初めてで、軽いカルチャーショックを受けた。飛行機から100歩も歩かない位置に停まっていた連絡バスに乗り込んで私は空港を後にした。 行けども行けども同じ景色 空港からバスに乗って20分くらいで紋別市街にあるバスターミナルに到着した。当地にはかつて国鉄の路線網が通じていて、特にこれからバスで通る中湧別は、四方に路線が通じるジャンクションであったが、JR移管前後にまとめて線路が剥がされてしまった。ここ紋別のバスターミナルも国鉄時代はおそらく駅だった場所で、廃止交付金でバスターミナルが建立されたと記憶している。そのバスターミナルは、なかなか立派な建物で、「ご自由にお使い下さい」と書かれたパソコンも置かれていた。ネットにつながっていたので、さっそく自分のHPにアクセスし掲示板に書き込んでみた。韓国の大田でも同じ事をしたが、いやはや便利な世の中になったものである。 |
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おそらくここに鉄道が走っていたころには生まれていない中高生と一緒に遠軽行きのバスに乗車した。さきほど降り立った空港の脇を通り過ぎバスは南下していく。湧別や中湧別のバスターミナルは、「ここが鉄道の駅だったかも」と思い注目し、確かに中湧別にはSLや除雪車がホームや跨線橋とともに残されていて鉄道の香りがした。しかし廃線跡をたどっているはずのこのバスの車窓からはほとんど鉄道の痕跡を認めることができなかった。それにしても、行けども行けども同じ景色ばかり。単調な風景とあいまって眠気が襲い、うつらうつらしてしまった。眠ってしまうと行程は早い。1時間半の道程をものともせずバスは遠軽バスターミナルに到着した。 | 中湧別のバスターミナルには鉄道の香り |
雨上がりの遠軽駅にて筆者 |
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かつての鉄道の要衝である遠軽駅。湧網線が廃止され線路はこの先で途切れている |
特別快速ミントくん 遠軽では1時間以上の待ち合わせ。雨がそぼ降り気温が低い。街角の電光掲示板には「ただいまの気温16℃」と浮世離れした数字が表示されていた。雨に濡れるのがいやで街歩きは取りやめて、駅の窓口でオレンジカードを物色したりして時間をつぶした。 「北見行き特快きたみ号の方どうぞ」と、16時50分くらいに改札が始まった。ホームに出てみると構内は広々としていた。さすがにかつての鉄道の要衝の雰囲気が感じ取られたが、東に延びていた線路は廃止され、今では単なる厄介者のスイッチバック駅である。その長いホームに1両だけの特快きたみが停まっている様は、まるでマンガである。ホームの片隅で「おじゃまします・・・」と体を小さくしているかのようなキハ54気動車のボディには、エゾリスの「ミントくん」のイラストが描かれている。これからの1時間余り、エゾリスばりに北海道の原野を駆け巡る様を連想させて愉快である。 車内は新幹線のお古の座席を再利用した回転クロスシートが並び、普通列車のシートとしては快適である。遠軽発車時点で、立っている人はいないが空いている席はないくらいの状態で、なかなかの盛況ぶりである。さっそくお約束のテープ「トワイライト・セクション」を聴きながら車窓を見やる。北海道の日暮れは早く17時半頃には暗くなってしまった。 |
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車窓は相変わらず単調そのもので、またうつらうつらしてしまった。ミントくんの列車の中でついつい「眠と」クンになってしまう私である。それでも「これではイカン!」と思い直し、留辺蘂あたりからは例の上がり3曲を聴きながら車窓に目を凝らしていた。 2度目の登場 「18時25分に着く列車で北見に着くから」と2〜3日前にメールしておいたが、念のため孝の携帯に電話をしてみた。「もしもし。今北見に着いたけど」「どこにいるの?」「今改札を抜けるところ・・・」といっている間に電話が遠くなり、私は大声で「もしもし!もしもし!」と繰り返した。ふいに肩をポンポンと叩かれて、振り返ると孝だった。「オレの目の前を通り過ぎていくから、どこに行っちゃうのかと思ったよ!」と言われたが、電話に夢中で気付かなかった。駅の隣の「北見東急イン」にチェックインし、荷物はフロントにそのまま預けて夜の街へ。この時デジカメを荷物から出しておくべきだったが、気付いた時には既に手遅れで、おかげで孝の画像は残っていない。 さて、孝は私のHPの旅行記には2度目の登場で、前回は彼の札幌勤務時代の1997年の2月である。その時は札幌雪祭りを見てビール園でジンギスカンを食べてといった感じで、ほぼ全編にわたって登場している。今回はお互いの都合でこの夜限りである。 |
単行気動車ながら「特別快速」と勇ましい |
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翌朝、北見東急インの玄関にて |
ホテルの下はバスターミナル |
彼の行きつけらしい居酒屋で、まずは生ジョッキで再会を祝う。話題は近況の報告から始まったが、そこは大学以来の友人同士であるので、懐かしい話が飛び交い始める。「テスト前に一回友ちゃんの下宿で英語を教えてもらったことあったでしょ?」「そんなこともあったかなぁ」「その英語の先生から、『加藤君の前期試験の成績では単位が出ないなぁ』とか言われて必死だったんだけど、友ちゃんの下宿って暖房がコタツだけだったじゃん」「静岡じゃそれが当たり前だけどなぁ」「2月の夜だったから寒くて凍え死にそうだったヨ。北海道じゃ暖房をガンガンにいれるから」今さらそんなこと言われてもなぁ・・・。 さらにショットバーで飲みなおして、「もうこれ以上飲めない」というところでお開きとなった。「次は流氷の時期に来たい」と孝に伝えて彼の乗るタクシーを見送った・・・ |
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北海道横断寝つぶし紀行 昨夜は午前サマだった上に今朝の出発は早く、思いっきり睡眠不足の朝を迎えた。ホテルを7時前にチェックアウトし、玄関の裏側にあるバスターミナルに回りこむ。北見東急インは東急百貨店や北見バスターミナルと同じ建物にあり、すこぶる便が良い。バスターミナルでクーポンを乗車券に替えてもらい、一服しながらバスを待つ。基本的に私は直距離バスが好きなのだが、車内禁煙なところがチトつらい。そんなわけで出発前にタバコを吸い溜めしておこうという魂胆である。そうしている間に札幌行きのバスが入ってきた。私はバスに乗り込んだ。 |
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昨日からこんな景色ばっかり |
層雲峡のドライブインでようやく一服 |
バスは夜行仕様らしく、3列の独立シートでフットレスト、ニーレスト付き。シートピッチが狭いことを除けばグリーン車より快適なシートで、これで北見〜札幌片道5190円。ちなみに同区間を特急オホーツクの普通車指定席で行くと8800円。所要時間は特急が4時間30分に対し、バスも4時間45分と大差ない。これではバスに乗るのが人情で、なるほど続行バスが出て、2台とも満席の状況で北見を7時15分に発車した。 北見を出てしばらくは市街地を行くが、ものの10分も経つと、昨日から延々と見続けた単調な風景へと早変わり。これでは眠ってくれと言わんばかりなので、私は逆らうことなく再び眠りに落ちた。 ところで、昔は北海道に旅行に行くとなればしっかり予習をしたものだが、このごろは一切そんなことをせずに旅に出てしまう。おかげで、沿線に○○町△△とかの表示を見つけても、さっぱりどこにいるのか分からない。 |
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例えば、今走っている国道39号線も、昨日通った遠軽を通るものだとばかり思っていた。実際は遠軽や石北線のずっと南を走り、三角形の一辺をショートカットする感じで上川町で石北線沿線に出る。そのショートカットする地点が、このバスのハイライト区間である石北峠と層雲峡である。さすがに私もここだけは眠りこけている訳にもいかず、しっかりと目を開いて車窓を眺めた。北海道の峠道はどこも雄大で、晴れていれば峠付近からの眺めは、さぞ格別だったろうと思うと今日の曇り空が恨めしい。峠をゆっくり降りていくと北海道でも有数の景勝地、層雲峡となる。ここのドライブインでトイレ休憩をとる。北見からちょうど2時間。ようやく私はタバコに火をつけることができた。 層雲峡を出発した後は次第に田園の風景へと変わっていき、これはこれでまた単調である。懲りもせず私はまた眠りこけてしまった。これでは北海道の車窓も台無しで、まさに「北海道横断寝つぶし」バスに乗ったようなものである。やがて目覚めると私は「国道40号線」の標識と比布町の文字に気付いた。比布といえば旭川と稚内を結ぶ宗谷本線の駅である。私は「稚内あたりに連れて行かれてしまう!」と本気で心配した。種を明かせば、このあたりでは国道39号線と40号線は東西に並行して走っており、その北側の道の40号線を通って、旭川市街を北に避けて高速のインターに向かうのである。こんな不安にかられたのも、グーグー眠っていたのと予習をしなかったバチが当たったからかもしれない。 旭川鷹栖インターより道央自動車道に入り、残り1時間半ちょっとで札幌に到着する。私はホッとしてみたび眠りに落ちた。目覚めるとバスはスピードを落とし、札幌白石インターの料金所を通過した。市街地を走って12時少し前、5分ほど早着して札幌駅前バスターミナルに到着した。眠ってばかっりで印象が薄まってしまったが、それだけバスが快適だったのだと好意的に解釈することにした。 |
5時間近くの長い旅路の末に札幌到着 |
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旅打ち「上がり」の札幌で 昨年6月の福島競馬場以来、地元中京競馬場以外のJRA競馬場を訪ね歩いた。そして最後の10番目の競馬場を訪問する機会がやって来た。双六でいうところの「上がり」の競馬場が、ここ札幌競馬場である。札幌駅の隣の桑園駅から徒歩10分ほどと聞いていたので、桑園駅の市街地図で確認して競馬場に向かって歩き始めた。しかし歩いても歩いてもなかなか「上がり」が見えてこない。ようやく競馬場の外周道路らしき所に出たが、どうやら向こう正面の位置のようで、入口へは競馬場を半周しなくてはならない。昨日の寒さとは打って変わっての陽気で、汗がだらだらと流れ落ちた。ちょうど1200bのレース前のようで、ポケットの横あたりで騎手の話し声と馬のいななきが聞こえ、これはこれで貴重な経験をしたと納得するしかない状況である。広い競馬場の外周を半周以上して、やっと旅打ち「上がり」の札幌競馬場に到着した。 入口を抜けるとスタンドの前にパドックがあり、函館競馬場に雰囲気が似ていた。スタンドの建物も函館同様かなり年代モノで、そろそろ改装する必要があると思うが、いかんせん年に2ヶ月・16回限りの開催なので、JRAも簡単には改装しないんじゃなかろうか・・・ |
青空が印象的な札幌競馬場。パドックとスタンドの建物を望む |
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競馬場の最寄駅・桑園駅(帰りに撮影) |
☆ 収 支 一 覧 表
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オーロラビジョン前を駆け抜けていく |
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このあいだの新潟競馬場で、かなり懲りたはずなのに、高配当の魅力から逃れられず、今回もまた3連複を中心に買ってみた。札幌10レースでマークシート7枚に記入し、合計16点買いをした3連複がようやく的中したが、あとは鳴かず飛ばずの成績だった。新潟10レースあたりから馬連中心に切り替えたのだが、そうすると今度は1着・3着が来たり、点数を抑える為に最後の最後で切ってしまった馬が連に絡んで中穴配当になったりで、裏目裏目の攻撃であった。 | 迫力ある芝1800bのスタート |
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最後の阪神11レースなどは、買い目を均等に買っていれば十分プラスになっていた。しかし「Aタップダンスシチーが来ることはまずなかろう」とAからの買い目を200円にしてしまったために、的中したにも関わらずA絡みで「取りガミ」になってしまった。 夏競馬は電話投票も含めて低調で、JRAの新馬券キャンペーンにまんまと乗っかってしまった自分に反省しきりである。今回の教訓も含めて「馬券はワイド中心の専守防衛で攻める」という方針を胸に札幌競馬場を後にした。 満席ジゴロ 当初、今回の旅行記は札幌競馬場を去るところで終わりにしようと思っていた。しかし、その後の新千歳空港で、なかなか経験できないことが起きたので引き続き記している。それは搭乗待合室でのこと。「全日空よりお知らせします。名古屋行き712便は満席のため5席ほど不足することが予想されます。そのため、ご搭乗予定のお客様で19時20分発714便に振り替え可能な方は6番カウンターまでお越しください。なおご協力いただいた方にはご協力金として1万円を差し上げます。」というアナウンスが入った。私は少し迷ったが、札幌競馬場で2万円スッてしまっているので、少しでもマイナスを減らしたいと思い、急ぎ足でカウンターに向かった。1時間40分遅い便に振り替えるだけで1万円貰えるという好条件のため、カウンターには既に5人以上の人が列を作っていた。まぁあきらめるのも癪だし、ダメモトで受付してもらった。 やがて搭乗が開始され、「不足解消」のアナウンスもあったので、改札機を抜けて飛行機に向かおうとしたちょうどその時に自分の名前が放送された。改札機の係りの女性に「あのぉ〜加藤ですけど」と申し出ると、「次の便に振り替えていただいてもよろしいですか?」とのこと。後は事務的に話が進み、受領書(下の画像)にサインを書き込み、まんまと1万円をゲットした。なぜ一番最後にカウンターに行った私にお鉢が廻ってきたかを尋ねると、どうやら荷物を預けなかったのが、私ともう1人しかいなかったらしく、最終的に2席不足していたため、荷物を次の便に積み替える手間のない私が選ばれたらしかった。常々身軽な旅行を身上としている私の面目躍如だと、何でもないことだけど勝手に感じ入っていた。 機内に入る一歩手前であったANA712便を搭乗ロビーから見送り(右上の画像)、売店を冷やかしながら714便の搭乗開始を待っていた。するとまたアナウンスが。「全日空714便が満席で、明日の朝8時40分に振り替えていただいた人には2万円(!)差し上げます」とのこと。一瞬心が動いたが、このままでは「満席ジゴロ」になって永遠に搭乗ロビーに居座り続けることになりそうな気がしてためらった。そして私は全日空714便の乗客となって名古屋に向かった。 |
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<おしまい> |