開 放 寝 台 ・ 最 後 の 旅 路


300系の「ひかり」乗車はこれで最後?

近年、春のJRダイヤ改正で、伝統的な列車、あるいは時代を彩った列車が次々と引退していく。今年は3月16日限りで、新幹線の100系、300系が引退するのが大きな話題となっている。その陰に隠れている感じだが、日本海循環線の夜行列車も姿を消す。583系電車を唯一使用する「急行きたぐに」と、開放寝台だけで編成される唯一の列車「寝台特急日本海」である。特に「きたぐに」は、学生時代に夜行折り返しで宿代を浮かせた列車だけに感慨深い。既に北陸ワイド周遊券自体がないので、そんなことをする若者は皆無だろうが・・・。

元来「お別れ乗車」は好かない性で、ビデオやカメラを持った「撮りテツ」さんが車内をウロウロして落ち着かなかいし、何よりも満席のため快適な旅ができないのが原因である。それでも今回は、少年時代の憧れの的であり、今や絶滅危惧種となったブルートレインのひとつが姿を消すということで、「日本海」のお別れ乗車をすることにした。ちなみに「きたぐに」は、早晩廃止になることを見越して、2008年から2009年の年越乗車をしている。

旅立ちは、300系の「ひかり」から。目的地表示が方向幕の新幹線は、今や少数派となってしまった。夕暮れの沿線風景を眺めつつ、ウイスキーをちびちびと飲むひとときが至福の時間。「ひかり」だと新大阪までの所要時間が短くなるのが不満である。 新大阪で「はるか」に乗り継ぐも、夕方のラッシュ時間帯のためかスピードが上がらない。新大阪→関西空港間が土日は所要51分に対し、平日は71分と20分も余計にかかる。関西空港での待ち合わせ時間がカツカツだったのでヒヤヒヤした。

関西空港から新千歳空港へは1時間50分。北の大地が近づくと、夜目にも地面が白いのがわかる。到着後、空港ターミナルビルから外に出てみると、思ったほど寒くはなかった。この季節の浜松と札幌を比べると、風の強い浜松の方が体感的には寒く感じる。タバコを一本くゆらせて、地下駅に移動した。

浜松を出て以来、スローペースながら酒を飲み続けている。札幌行きの快速列車の中でもそれを継続。幸いにも721系は転換クロスシートで、一部は1人掛けシートである。その1人掛けシートで、人目を憚ることなく「走る居酒屋」は営業中。普段と違う車窓を肴に飲んでいると、いろんなことを考える。例えば、「会社に入りたての頃、青春18きっぷを持って北海道の路線を乗り継いでいた時にも、この721系電車に乗ったなぁ。」とか、「このアコモデーションの快適さは現在でも十分通じるな…」とかである。また、たまたま聴いていたチャーリー・セクストンに対し「この曲(ホールド・ミー)は、40代半ばになってようやく良さが分かるようになってきた」と独り言。高校生だったころ、自分が45歳になる頃には演歌好きになってるんじゃないかと思ったものだが、サイドギターのエッジが効いた、ストレートなロックが歳を経て逆に好きになっているとは思いもしなかった。イメージと現実のギャップがいい方に出た稀有な例である。


昭和30年代の香りがする運転台


ご存知、西線9条旭山公園通電停


自由時間は午前中だけ。で、札幌市電に乗車


路肩に積まれた雪で狭く感じる通りを走る


地下鉄駅に隣接するターミナル・西4丁目電停


丸みを帯びた車体とレンガの車止めが北欧風

札幌市内で宿泊し、翌朝は札幌市電に乗ってみた。12時22分の特急で札幌を出発するので、午前中しか自由な時間が取れない。そのための苦肉の策である。すすきのから西4丁目まで地下鉄なら1駅区間だが、市電はぐるっと環状運転をするため所要40分くらいかかる。日本最北の路面電車なので、丸みを帯びた車体も、ターミナル駅(電停?)の雰囲気もなんとなく北欧っぽい。ホテル直近の東本願寺前電停から西4丁目行きの電車に乗車。路肩には雪が積み上がっていて、狭い道をクルマも電車も譲り合って走っている印象だった。

沿線の中間地点に電車事業所前という電停があり、ここが車庫だった。南下し西進した電車が、この電停で向きを変えて北上する。北へ走る途中に、かつて日本一長い駅名として有名だった「西線9条旭山公園通」という電停がある。90年代以降の「日本一長い駅名争奪戦」の中で埋もれてしまったが、我々の世代にはこの駅名が金字塔として刻まれている。何よりも名前に必然性があるのが好ましい。北へ向かっていた電車は、西15丁目で右折し東進する。札幌市営地下鉄東西線との並行区間で、電停に停まるたびに「乗継券」の案内がある。追加で120円払うと地下鉄の200円区間が乗れるお得な制度。感心しているうちに終点の西4丁目に到着。用がなくても、乗って損はない電車だった。


2月の雪まつりに向けて雪像を「建設中」

大通公園で製作されている雪まつりの雪像を横目に見ながら、駅前通を北上。結局、札幌市電でもらった「乗継券」を使うことなく札幌駅に到着した。ここから24時間の連続乗車に備えて、食べきれないほどのつまみと、ウイスキーの700mlボトル、それに氷をコンビニで仕入れた。そして12時22分発のスーパー北斗12号で、短い滞在だった札幌を後にした。

札幌都市圏を抜けると大陸的な車窓が広がる。新千歳空港から札幌に向かう度に思うのだが、道東や宗谷に行かなくても千歳線だけで十分北海道の風景は楽しめる。特に冬は雪が積もっているので、道内どこに行っても大差ないような気がする。苫小牧までの雪原は、空の青さを反射して青みがかっていたが、太平洋岸に出ると灰色の風景となった。どんよりとした雪雲が空を覆ってしまったからである。そのうち粉雪も舞いだした。それでも暖かな車内から、こんな車窓を眺めるのもおつなものである。

トンネルが連続する噴火湾を回り込み、長万部から函館本線へ。いかめしで有名な森駅に停車し、大沼公園を過ぎれば函館は目前。定刻より少し遅れて15時40分すぎに行き止まりの函館駅に到着した。函館でも市電に乗って、札幌との対比をしてみたい。途中下車すべく自動改札に乗車券を通してみると、ゲートがバタンと閉じた。五稜郭〜函館間はルートから外れており、途中下車は不可。「それならば」とホームに停まっていたスーパー白鳥40号に飛び乗った。実は1時間後のスーパー白鳥42号の指定券を持っていたが、40号の自由席はガラガラで、かえってゆったりできて良かった。

夕闇せまる津軽海峡を左手に見ながら江差線を快走。木古内からトンネルの連続で、何度目かの明暗の繰り返しの後、暗の連続となり同時にレールの音が変わる。もう数え切れないほど青函トンネルを抜けているが、海底駅の通過だけはいつも楽しみである。トンネルを抜けると夜になっていて、車窓の楽しみがなくなり、いつしか居眠り。目が覚めたのは青森駅到着の放送の時だった。

函館で行程を早めた分、青森で時間ができた。とあるホテルの公衆無線LANでPCをつなぎ、メール&ネットチェックをした。再び青森駅に戻ると時間は19時。「日本海」発車まで30分あるが、早めにホームに出ることにした。すると、列車入線前にもかかわらず、跨線橋もホームも三脚を構えた「撮りテツ」さんで占められていた。幕引きまでまだ2ヶ月もあり、始発駅とはいえ地方都市の青森でこの盛り上がり。予想外の出来事にちょっとビックリだった。


札幌12時22分発。浜北駅まで所要24時間の旅


冬の北海道、旅の醍醐味は雪原を肴に一杯


函館からは「津軽海峡冬景色」的な車窓


青函トンネルを抜けて18時前に青森駅に到着


青森での「大阪」は遥か彼方


睡眠中に移動なら7,870円は安い


対照的なローズピンクとブルーの色


旅愁をそそる「日本海」の文字

19時10分過ぎ、DE10に牽引されて8両編成の寝台特急「日本海」が入線してきた。とりあえず自分のベッドに荷物を置き、再び車外へ。編成の先頭に回りこむと、ローズピンクのEF81の周りには立錐の余地もないほどの撮りテツさんが…。撮りテツさんはなるべく他の人物を入れて撮りたくないのだろうが、旅日記をホームページにアップする目的で撮影する自分にとっては、列車に群がる人影も格好の被写体である。右上の写真で当日の雰囲気が伝わっただろうか?

次に最後尾に移動すると、機関車ほどではないが、こちらにも撮りテツさんがちらりほらり。夜汽車の雰囲気を撮影するなら、「赤いランプの終列車」ではないが、断然こちらの方が良い。こちらは旅情が感じられる写真が撮れた。

車内に戻ると一眼レフを持った初老の男性が向かいの席に座っていた。上段のベッドは空席のまま。軽く挨拶して列車が出発するのを待つ。19時31分、かすかな衝撃とともに列車が動き出した。モーター音はなく、積もった雪がレールの音を消すのか、静かな車内である。もっとも、さかんに行ったり来たりするカメラを持った少年が目障りだったが…。

次の新青森を出ると車内放送が入った。全ての停車駅の時刻を細かく案内してくれた。これで車内の段取りを決める。日付の変わる酒田までとにかく酒を飲み続け、そのまま就寝。金沢手前の「おはよう放送」で目覚めて、あとは朝の北陸線をコーヒーを飲みながら堪能し、10時前に京都で下車。とにかく、今や在来線でタバコが吸えるのは寝台車だけ。14時間以上の行程だが、タバコを我慢しなくて済むので、じっくり腰を据えて臨めるというものだ。


18時過ぎなのに夜更けの雰囲気が漂う青森駅


行き止まり式ホームにDE10牽引の日本海入線


先頭のEF81には人だかり。毎年見られる風景


赤いテールランプが夜行列車の象徴だった


久々の開放寝台で飲酒・喫煙し放題の旅


朝を迎える。弱々しい朝日が大地を照らす


機関車は敦賀所属のため、ここで交換する


機関車交換の間に電車特急2本に抜かれる

漆黒の闇を切り裂き、列車は日本海側を南下していく。秋田到着は22時28分。ここで私の上のベッドに20代の女性がおさまり、開放寝台1ボックスの4つのベッドのうち3つが埋まった。向かいの上のベッドは結局空席のまま。「日本海」の引退が発表されて以来、週末はいつも満席だと聞かされていたのでちょっと拍子抜けだった。ま、満席で狭い思いをするよりはずっといいが…。私はベッドの支度をしないまま、さらに1時間半飲み続けた…。

予定通り、酒田発車をしおに座席にシーツを敷いて就寝。4時頃の直江津で一瞬目覚めたが、再び夢の中へ。次に目覚めたのは5時過ぎ。魚津の手前だった。せっかくの寝台特急のお別れ乗車を、だらだら寝ているだけではつまらない。夜が明けていくさまを列車に乗りながら見られるのも、夜行列車の醍醐味である。寝具を片付けて向かいの上段に放り上げ、昼行仕様の座席に仕立てた。降りるまでまだ5時間弱あるので、朝の北陸路をじっくり楽しめる。ただし寝ている人もいるので、あくまでも控えめに…。

金沢到着10分前に予定通り「おはよう放送」があって、車内は活気を取り戻した。まだ夜明け前だが、金沢駅では朝が始まっている。ホームの売店には朝刊が積まれ、後続の特急電車を待つ人もちらほら見える。次の加賀温泉で完全に夜が明けたが、濃霧がかかって車窓がかすみがち。列車のスピードも上がらず、福井では10分の遅れとなっていた。

北陸の平野部には、ほとんど雪がなかったが、北陸トンネル手前の今庄では再び雪景色に。嶺北・嶺南を分ける長いトンネルを抜け敦賀へ。ここで機関車を付け替え、その間に2本の特急電車に抜かれる。ローズピンクのEF81からトワイライト色のEF81に交換するシーンでは、青森駅でのカオス状態が再現。20分の長時間停車を終えて、日本海は最後の旅路へ。琵琶湖を左手に見ながら高架区間を走る。急ぎのお客さんはサンダーバードに乗ってくれと言わんばかりに、近江舞子で運転停車し、特急電車をやり過ごす。結局、徐行運転の影響もあり、10分ほど遅れて京都駅に到着した。

日本海を降りた後は、4分弱の乗り継ぎで「こだま」に乗車。浜松で遠鉄電車に乗り換えて、12時22分に浜北駅に到着。札幌出発からちょうど24時間経っていた。遥かな旅路であった…

敦賀から先頭に立つのはトワイライト色のEF81

<終>

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