3 6 5 分 の 1 の 雑 感
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JR東日本全線1日乗り放題の正月パス
『みなさま、あけましておめでとうございます。今日は2003年1月1日。本年もどうかJR東海の新幹線をよろしくお願い致します。』 浜松駅6時17分発、上り始発のこだま440号に乗車。御馴染みのチャイムの後に車掌さんが新年の挨拶放送をした。元旦にJRに乗るのは36年の人生で初めてである。車掌さんにとっては毎年のことだろうが、新鮮な感じを受けた。元旦といえば「初日の出」。しかし東の空はどんよりしており、7時少し前に通過した富士川鉄橋のあたりでは空一面の雲。当然初日の出は望むべくもなかった。
分厚い元旦の朝刊を抱えながら、熱海でこだまを降りた。今回利用するキップはJR東日本全線1日乗り放題の「正月パス」。左の画像をご覧いただいてもお分かりの通り、東海道新幹線には乗ることが出来ない。そういうわけでJR東日本との境界駅・熱海で在来線に乗り換えて、少しでも旅費を浮かそうとの算段である。
時刻表の上では1分しか乗り換え時間がなく、半ば諦めかけていた7時25分の東京行き普通列車に苦もなく乗り換えることができて、まずは上々の滑り出し。国府津駅でJR東海カラーの313系を見掛け、「ここは豊橋?」と少しギョッとした。もちろんこれは御殿場線用で、驚いたのは自分が寝ぼけている証拠である。熱海から東京まで車内は予想通りガラガラに空いていて、向かいの席に足を投げ出して東京までゆったり過ごすことが出来た。鈍行列車で東京までこんな経験ができたのはおそらく生まれて初めて。正月の旅は新鮮な驚きの連続である。

大晦日は、今日の早起きに備えて早寝したのだが、寝入る間際に見た番組「ラーメン屋ベスト99」に触発されて東京駅構内のラーメン屋さんに入った。そういえば寝入りばなに隣の部屋から紅白の「古時計」が聞こえた。おそらく2002年の最後の記憶だろう。さて、このラーメン屋さんでは一番シンプルな「東京ラーメン」を食べてみた。どっちかといえばTVでは背脂ギトギトのこってりしたラーメンに魅力を覚えていたので、この選択は失敗だった。せめてもう150円出して「東京とんこつラーメン」を食べておくべきだった…
熱海から予定より1本早い鈍行に乗ったためラーメン屋に寄る時間ができたのだが、期待はずれの内容にブツブツ言いながら東北新幹線ホームに向かった。さすがに東京駅コンコースはいつもながらの雑踏で東海道沿線のノンビリムードとはがらり一変した感じ。23番線ホームは、まだ「はやて9号」の入線前で、しかも全席指定で座席の確保が要らないにもかかわらず行列が長々と延びていた。

東北新幹線が、八戸まで伸びたのは昨年12月1日で、今日でまる1ヶ月が経過した。まだ開業フィーバー覚めやらぬ感じで、当然のことながら大宮までに満席となった。私は満席の新幹線が殊のほか苦手で、以前500系のぞみを博多から東京まで乗り通した時には偏頭痛に悩まされたものである。今日もそんな雰囲気で、隣の席の人は5歳くらいの孫を連れた年配の人。当然、孫の座席を確保しているわけもなく、ぎゅうぎゅうに押し込められた感じのA席で私は泣いていた。

一瞬「西に来ちゃったの?」と思う313系

「八戸」がここまでメジャーになるのは初
小山を過ぎたあたりで、ようやく雲が取れ車内が明るくなった。それとともに満席の車内も少しは過ごしやすくなった。反対のE席側の窓からは安達太良山、そして蔵王と雪を被った名山が見え隠れし、東北に来たという感じがしてくる。大宮からノンストップで南東北を走り抜け仙台に到着。ここで車内に余裕が出来るかと思えば、さにあらず。降りた客以上の人数をはやて9号は迎え入れ発車した。
盛岡で「こまち」を切り離し、いよいよ新線区間へと足を踏み出す。長いトンネルと短い明かり区間の繰り返しで、雪さえなければ山陽新幹線の広島以西のようである。途中二戸に停車して、「はやて」は改装なった八戸駅ホームに滑り込んだ。東京から約3時間。青森県も随分近くなったと感じた。


東京から3時間。八戸駅のホームには「はやて」との記念写真を求める人が集う
八戸が、ここまでメジャーになったのは有史以来初じゃなかろうか…。ゆくゆくは途中駅となってしまう八戸は仙台、盛岡などと比べホームも狭く、改札口も少ない。そのホームの人波をかき分けて先頭車に向かうと、記念撮影の親子連れが「はやて」を背に次々とシャッターを切っていた。私も1枚押さえて改札口に向かうと、ここも行列がずら〜。幸い乗り継ぎ時間に余裕があるものの、出札口を覗くと「これじゃ帰りのキップが買えないよ〜」という悲鳴が聞こえるほど人が並んでいた。
接続する弘前行き特急の「つがる9号」が三沢に停まらないため、13時15分発の鈍行電車に乗る。ロングシートの701系のため、普段だと旅情は感じないはずだったが、私は「はやて」で疲れすぎていた。ほどよい混み具合のロングシートに座り、車窓を流れゆく雪原を眺めていると、私はだんだんと癒されていった。

三沢に来たのは2回目である。1回目は1997年の暮れ、FEN(現AFN)のエアチェックにはまっていた私は、三沢にFENがあるという理由だけでこの地に泊まった。今日も当然ラジオ片手に過ごす算段である。そして、当時泊まった古牧温泉もつかっていこうという予定である。
なにせ5年ちょっと前に1泊しただけの町である。当時の記憶はすっかり褪せていて、「確か駅に向かう時に下り坂で滑って転んだような…」というあいまいな記憶をたよりに、古牧温泉へと向かうことにした。駅の正面にまっすぐ登っていく坂道があった。「たぶんこの道だろう」とあたりをつけて歩き出した。400bくらい登って下り坂になるころ、ようやく道の間違いを悟った。かといってこのまま逆戻りするのは、坂道で抜いてきた地元人たちの手前があり恥ずかしい。辺りを見回すと「古間木小学校→」の看板を発見。冬休みの誰もいない小学校を見るのも一興と思い学校への坂道を登った。
AFNはサンタナの新曲を流していた。「この人、またグラミー獲っちゃうよ」と思いながら、軽快なラテンのリズムに歩調をあわせてゆっくり坂を登った。古間木小学校のグランドは一面の雪原だった。このシーンに見覚えがある気がした。「東京ラブストーリーだ!!」10年ちょっと前のこのTVドラマのクライマックスで雪が積もった学校が登場した。その当時なら「カンチ」と呼ばれてもおかしくない容姿だった(?)私も、いまではこんな姿に成り果ててしまったなぁ。そんなことにもめげすに私はセルフタイマーで自分の姿をおさめ、小学校を後にした。


10年ちょっと前の「東京ラブストーリー」を彷彿とさせる、雪の小学校のグラウンド

サッカーゴールも雪に埋もれて春を待つ

いつ来ても広大さに驚く古牧温泉
古牧温泉は小学校から10分くらい歩いたところにあった。5年前、ここに泊まった時にはその広大さに圧倒された。今回も同様で、歩いて来るには不向きと思われるくらいに入口からフロントまでが遠かった。そして、そのフロントから風呂場までも延々歩かされた。
自動販売機に500円を入れて入場券を買い、風呂場に向かう。最初は大風呂につかっていたが、露天風呂に気付きそちらに向かった。外は氷点下、雪もちらついている。岩風呂のとなりは氷の張った池で、そこにむかって滝が落ちている。池の周りの雪原には小動物の足跡が点々と連なる。まさに極楽の雰囲気の「雪見露天風呂」。これで500円なら得したなぁという感じである。浜松から、この風呂のために日帰りをしたとしても惜しくないと思った。
風呂上りに見た天皇杯決勝の中継に心を奪われながら、滞在1時間で古牧温泉を後にした。駅前のコンビニで帰りのつまみを買い込んで、三沢駅の改札口を入った。ここからは大いなる帰り道である。ホームから見える家の軒先には1bほどに成長したつららを見つけ、改めて当地が厳寒の土地であることを知る。しかし寒いと思って持ってきたヤッケは結局不要で、セーターだけで過ごすことができた。この点では、西風が吹いた浜松の方がしんどい寒さである。
名称復活の「白鳥」が三沢駅に滑り込んできた。車内に入るとメガネが真っ白に曇る。指定された座席にはJR北海道の車内誌が落ちていた。函館から海を越えて走ってくる北海道連絡特急ならではである。西に傾いた太陽が雪原をオレンジに染める。次に雪景色に出会えるのはいつだろうか…。そんな思いに耽る間もなく三沢発車から14分、列車は終点八戸に到着した。

はやて22号は、この旅のトワイライトセクションとなる。往路同様満席であるが、今度の隣の席は、ぱっと見グラビアアイドル「MEGUMI」似の女の子である。かといって声を掛けるわけではないのだが、往路に比べれば心も華やぐ。

夕闇迫る三沢駅に列車が進入。右手奥が古牧温泉の広大な敷地

函館から海を越えて「白鳥」が飛来。左の家の軒先のつららに注目。厳寒を物語る
さぁてと酒を飲み始めよう。家から持ち込んだ「ターキー」の小瓶を取り出し、缶ウーロン茶にどぼどぼと注ぎ込んだ。BGMはもちろん「トワイライト・セクション」(曲目参照)である。それにしても、このテープには過去に出会った女の子との思い出が多すぎる。A面10曲目の「アローン」(松岡直也)は、Aさんと行ったコンサートでの思い出の曲。10年程前、会社の地下にあるフォルテ・ホールに松岡直也が来た時に、当日にAさんを誘って行ったのだが「行って良かった」といってくれたっけ…。その前のA面9曲目「ロスト・イン・ユア・アイズ」(デビー・ギブソン)は、大学の卒業式の当日にダメになったPさんにまつわる曲である。謝恩会からの帰り道、東海道線の金谷駅に回り込む大好きな夜景を見ながらこの曲を聴き、夜景が涙に霞んだこともあったっけ…。そしてB面のラスト3曲は何度も書いたけど、片思いのY子さんへの思いが詰まった曲。鹿児島県の西大山駅から5日かけて北海道の稚内に向かって鈍行だけを乗り継いで旅をした時、ラストスパートの抜海の丘で彼女のことだけを思いながら聴いたものである。こんなことをうだうだ思いながら、私はひとつのことに思い当たった。どうやら私は「片思いの女の子に必要以上に義理立てしていた」ようだ。

対北海道連絡特急に「白鳥」の名称が復活
ここまでの36年間、いつも誰かを好きだった私が結婚できなかったのは、片思いの女の子が振り向くまで待つという姿勢に終始し、私に好意を持っていた別の女の子を意識的に排除してしまったのではないか?むろん今ではこんな大それた思想はなく、門戸を広く開放しているのだが…。結局、結婚するには時期があって、ベストの時期が過ぎ去ってから初めて気付くんだよねぇ〜。
こんなことを考えながらバーボンのウーロン茶割を飲んでいるうちに、あっと言う間に3時間が過ぎ去り「はやて」は東京に到着した。すっかり酔っ払った私は東海道線ホームに向かいながらふと気付いた。「行きはあんなに苦痛だったはやても、帰りは楽だったな…」と。

雪原をオレンジに染めて日が暮れていく
<おわり>

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