Spring Tour '11
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湯の町別府から九州横断スタート |
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2011年2月11日午前8時前、JR西日本米原駅出札口。三連休初日の朝とあって、長距離切符を購入する人の列が伸びていた。10分ほど待って、ようやく自分の番が来た。「米原から小倉までの乗車券と、新大阪から小倉までひかりレールスター553号の喫煙指定席1枚。」「あー満席ですねぇ」「それじゃ・・・、9時40分ころののぞみってありませんか?」「9時45分ののぞみ9号ですね・・・あー、普通車はやっぱり満席ですねぇ。」「じゃグリーン車お願いします。」「グリーンはと・・・うん、空きがありました。」 私の旅は万事計画をきっちりしてから実行に移すので、普段は事前に切符を準備しているが、今回はJR西日本の株主優待券を使うため、どうしても当日調達になってしまう。そんなわけで旅の初っ端からいきなり行程を組み直すハメになってしまった。 |
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京都→大阪の山崎付近。既に雪国の様相 |
長いアプローチを終えソニックで別府に到着 |
レールスターの指定席も、のぞみのグリーン車も、どちらも同じ2列+2列シート。所要時間はそれほど変わらず、レールスターなら自席でタバコが吸えるので、普通ならどう考えてもレールスターのチョイス。満席なのも無理はない。あきらめて新大阪まで新快速で移動した。日本列島には大寒波が襲来中で、滅多なことでは雪が積もらない京都〜大阪間も雪国の様相だった。その雪景色を横目に携帯サイトでのぞみ9号の時刻を調べ、小倉以降の行程を組み替えた。ひと昔前なら時刻表を持っていなければできない芸当で、つくづく便利な世の中になったものだと思った次第である。 新大阪で乗り継ぎ、のぞみ9号のグリーン車に乗車。新大阪発車時点では予想通り満席。それも広島までの辛抱なのだが…。で、窓側の席が指定されていたので、容易に喫煙ルームに行くわけにもいかず、グリーン料金を払った割には難行苦行の様相。結局、車内では1本だけ吸えたのみ。そうこうするうちに小倉に到着した。 |
ニコニコレンタカー別府若草店で借り出し |
レンタルしたGX115型マークUと筆者 |
名機「1G」を証明する表示 |
直列6気筒ハイメカツインカムを縦置き配置 |
長崎自動車道を100q/h+αで巡航中 |
薄日差す長崎道多久西PA 小倉駅のJR西日本出札窓口。明日は瀬戸内地区でも大雪になる予報なので、保険を掛けておくため帰りの新幹線の指定席を確保することにした。三連休の中日なのでレールスターの喫煙指定がすんなり取れたが、3日目の新大阪→米原の在来線自由席特急券の発券に手間取った。最後にはマルス画面を覗きこみ窓口氏に指示をするハメに。イヤな客丸出しだが、さきほど組み直した行程をオジャンにするのはイヤなので、心を鬼にしてあーだこーだ言ってしまった。後になって反省することしきり。結局その甲斐もむなしく、乗車予定のソニック19号の発車時刻が過ぎ去って行くのを指をくわえて見守るしかなかった。 |
島原温泉「南風楼」に朝食付4,100円で宿泊 |
朝の散歩は1,000坪の庭園と「しあわせ橋」 |
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部屋の窓からは雲仙の山並みが一望 |
快晴のがまだすロードを走行中 |
普賢岳バックに浴衣姿の筆者 |
普賢岳噴火の後にできた平成新山 |
島原の乱でキリシタンが篭城した原城跡 |
別府駅前からバスに乗って、とあるガソリンスタンドを目指す。最近は九州でレンタカーを借りることが多いが、そんな時は決まってニコニコレンタカー。今回は直列6気筒のクルマに乗りたくて、雲仙に行くのにわざわざ別府で借り出すことにした。レンタルしたのはマークUの最終型。トヨタの2リッター・ストレート6は1G型と呼ばれていて、1980年のクレスタに初搭載されて以来30年近く製造されていたエンジンである。このエンジンのツインカム4バルブ化には、地元ヤマハ発動機が開発にあたったことでも知られている。ヤマハ製2リッター直6DOHCといえばトヨタ2000GTが思い出されるが、今回ドライブするマークUのエンジンも(トヨタ内製とはいえ)、アクセルを踏み込んだ時のサウンドなどにその面影があった。 さて、別府観光港近くのニコニコレンタカー別府若草店を14時半ころ出発し、まずは大分自動車道別府インターを目指す。久々に自分のクルマより図体のでかいクルマを運転するので、いろいろ気を遣う。車重の割には低速トルクが薄いのが、1Gハイメカツインカムの泣き所で、発進のアクセルワークが難しい。オートマチックですらこの有様なので、マニュアルシフトの坂道発進なら、まず間違いなくエンストするだろう。その代わりに、高速道路の流入などで、アクセルをベタ踏みするようなシチュエーションでは、官能的なエンジン音とともにレッドゾーンを超える回転域まで一気に吹け上がる。私はこの音が聴きたくて、用もないのにたびたびパーキングエリアに出入りを繰り返した。 別府〜湯布院〜日田と、標高の高い区間では雪が降り、それこそ100b先は真っ白な状態だったが、80`より下の速度規制は出なかったので、まずまず快調なドライブ。鳥栖ジャンクションを抜けて長崎自動車道に入ると薄日が差すまでに天候が回復した。結局、2時間50分で215.9`走破し、諫早インターで高速を降りた。 諫早インターから島原の宿までの下道区間は正直辛かった。国道57号では夕方のラッシュに捕まり、国道251号は道幅が狭いので車幅のあるクルマを運転するのにずいぶん神経を使った。それに浜松を早朝に出発しているので、とにかく眠い。1時間くらいかけて島原温泉の「ホテル南風楼」にたどり着き、肩の荷が下りた。さっそく露天風呂付きの温泉で長旅の疲れを癒した。 |
原城の目前は海。天然の要害である |
原城跡に着いた途端に横なぐりの雪 |
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天草の対岸でもヒーロー。ご存知天草四郎 |
城内には天草四郎時貞の墓碑もあった |
城主の有馬氏はキリシタン大名 夜が明けて、ホテル南風楼のツインルームから外を眺めると、雲仙の山並みが真正面に見えた。今日はとりあえず天気は良さそうだ。この宿には楽天から予約を入れたが、施設は古いものの、バイキングの朝食付で宿泊代が4,100円。それも三連休の初日に泊まってこれである。ホテルの値付けってどうなってんのと思ってしまう。 |
原城本丸の一角にある記念碑 |
島原城の資材にされ石垣も一部が残るだけ |
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本丸より南の海望む。晴れたり雪が降ったり |
島原半島一周を終え再び長崎道を行く |
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大村湾と別れトンネルを抜けると雪国 |
大分道山田SA。この後通行止めの日田へ |
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ひかりレールスターから100系こだまへ転進 |
走る居酒屋にはもってこいの2&2シートにて |
愛すべき100系の電光掲示板 鳥栖ジャンクションを直進し、福岡県内に入ると降雪ですべての景色が真っ白になっていた。日田インターの渋滞に備えるため、山田SAで弁当を買おうとしたが、既に売り切れていた。みんな考えることは同じで、非常時には食料とトイレの心配をするものである。仕方なく、一つだけ残っていたおにぎりを買い、交通情報ボードで赤い×印を確認しクルマに戻った。この時はかなりテンパっていたため、通行止めの証拠となる画像をひとつも押さえなかったのが、後になって悔やまれた。さぁ嵐の中へ突入だ!! |
最終日は白昼堂々東海道を特急で東上 |
米原駅ではC57-1と併走のおまけつき |
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SL北びわこ号に群がる人々を横目に発車 |
近江長岡駅上り方にある伊吹山の碑 |
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福山駅のホームで待つこと10数分。現れた新幹線は間違いなく100系だった。私の旅のページで再三触れているが、現役のJRの車輛の中で最も快適なのは、100系こだまの自由席喫煙車だと思っている。グリーン車並みの2列+2列シートであり、それに加えていつもガラガラ。2列分の長い窓ガラスを独占するべく、前のシートを回転しても誰にも咎められない。タバコは吸い放題。酒も飲み放題。まさに自由な解放区。博多から新大阪までの5時間をこんな列車で過ごしてみたいものである。まぁとにかく今日も2時間以上100系こだまを楽しめる。嬉しくなってシートで記念撮影をし、Vサインまでしてしまった。そうして夜が更けていくのだった… 新大阪で2日目は終了。十三に宿をとり、翌朝は「しなの9号」で東上する。白昼堂々東海道を行く「しなの9号」は、往年の急行比叡を彷彿とさせる。この列車に乗ると関ヶ原付近で見られる伊吹山の車窓が楽しみだが、この日は米原でSLと併走のおまけ付きだった。名古屋で新幹線に乗り換えると、乗れるはずのない10時58分発のこだま650号が遅れて入線してきたため乗れてしまった。なんでも山陽区間の積雪のためダイヤが乱れたらしい。結局帰宅が30分早まってラッキー。冬将軍に翻弄されながらも、最後は帳尻が合った3日間の旅だった。 |
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<終> |