軍艦島 〜夏休みの宿題〜


長崎県長崎市端島〜通称「軍艦島」

昨春、長崎市にある端島−通称軍艦島−への上陸が解禁され、機会があれば一度訪れてみたいと思っていた。そして今回お盆休みを使って、その宿題を片付けてしまおうという腹づもりである。2010年8月11日夕刻、私は浜松駅から旅立った。

まずは広島までの新幹線の旅。ひかり号で新神戸へ、そして岡山までのぞみ号をワンポイントリリーフさせ、岡山〜広島間は100系こだま号で締めるという行程である。ひかり号では例によってスーパードライの喉ごしを楽しむ。新幹線ミュージックチャンネルのアーチストコレクションはイーグルスの特集。高校生の頃だったか、NHK-FMで宝井琴鶴(現馬琴)師匠が語るイーグルスのロック講談にいたく感動した思い出があるが、20何年ぶりにその感動が甦った。ロック講談の頃はイーグルスが解散して間もない頃で「サッド・カフェ」の切ないメロディとともにドン・ヘンリーとグレン・フライが飛び立って行くというストーリーだったが、今回の場合は当然再結成の話題が盛り込まれていてアラアラといった感じ。そういえばイーグルスは「フェアウェル・ツアー」というライブ活動を何年も続けているが、再解散は無い模様である。やれやれ…。

新神戸で後から追いかけてきた「のぞみ」に乗り換え。出張帰りのサラリーマンと帰省客が入り混じって指定席は満員。N700系ということでタバコも吸えず、我慢我慢の30数分間だった。これも次に乗車する「100系こだま」のためである。ひたすら耐え忍ぶほかない。

岡山から乗車した広島行きのこだま号は、N700系のぞみと比べると天国のような列車だった。指定券を持ってはいるものの敢えて6号車の自由席に座る。これまでも何度も触れているように山陽新幹線の100系車両は全て2&2シート。幅広の新幹線車両に2列+2列のシートを並べたゆとりのあるアコモデーションである。シートはグランドひかり等から流用したグリーン車用のもの。おまけに最繁忙期にもかかわらずめちゃめちゃ空いている。私は前の座席を回転して4席ボックスに変え、手前の座席に脚を投げだした。100系車両は2座席分で1つの窓であるので、4席ボックス状態が車窓を楽しむのにベストである。喫煙車両であるので堂々とタバコを吸えるのも嬉しい。おそらく日本の車両の中で、のんびり酒を飲むには最適だと思う。望むらくは隣に彼女がいればなぁということだが…。

1時間半ほど至上の時間を過ごして22時半ころ終点の広島に到着。いつまでも乗っていたい100系こだま自由席だった。またいつの日か新大阪と博多の間を乗り通してみたいものである。

広島の格安ホテルに1泊し、翌日は散策を兼ね、歩いて広島駅へ。せっかくだから広島らしい写真をと思い、駅前の猿猴橋から荒神橋を渡る広電のグリーンムーバーを撮ってみた。原爆が落ちた日から3日後には運転を再開し、終戦の日も走っていた広島の市内電車。8月の広島で65年前に思いを馳せた。

広島からはひかりレールスターで小倉へ。わずか52分で到着し、改めて新幹線の威力を思い知る。続いて鹿児島線普通電車に乗り継いで戸畑駅へ。駅前にある「ニコニコレンタカー」でクルマをピックアップし、九州横断のドライブがスタートした。ニコニコレンタカーは最近流行りの中古車レンタカーチェーンだが、11時から明日16時までヴィッツを借りて、レンタカー代は7,560円(免責保険料2,100円込)と安い。クルマはさすがに旧型のヴィッツだったが、車齢の割には走行距離も1万`台と少なく、外見は新車と見紛うほどピカピカで「意外にヤルじゃん」と思ってしまった。

戸畑インターから北九州都市高速に入り、渋滞しらずのまま九州道〜東九州道と快走し、行橋から国道10号へ。無料化社会実験の椎田道路でひどい渋滞だったのは皮肉だったが、大分県境を13時ころ通過して国道212号へ。最初の目的地である青の洞門は目前である。

青の洞門の矢印を頼りに旧道に入り、一方通行のトンネルを抜けたら両サイドに駐車場が広がっていた。クルマを停めて「さて、青の洞門はどこかな?」と駐車場の案内板を見ると、今くぐってきたトンネルが青の洞門だったらしい。断崖絶壁にへばりついて鎖を頼りに横歩きしなければいけない道から転落死する人が多いのを見て、禅海和尚が30年かけてノミと槌だけで手掘りした洞門なので、どんな山奥にあるのかとイメージしていたが、それはガラガラと崩れていった。洞門が完成した250年前の地形がどうだったかは分からないが、山国川の対岸は田んぼが広がる山里である。「わざわざここを掘らなくても、対岸に渡る橋を架ければ良かったんじゃない?」と思ってしまった。とにかく30年以上前の小学生のころ、児童書でこの話を知って以来気に掛っていた場所である。一見は百聞に如かず…


岡山で待望の100系こだまに乗り換え


元グリーン車用座席でくつろぐ筆者


広島市荒神橋を渡るグリーンムーバー


戸畑駅から九州横断ドライブがスタート


青の洞門を手掘りした禅海和尚


最初は気付かず通過した青の洞門入口


旧国道の下をくぐる歩行者トンネルの入口

禅海和尚のことを調べていくと、児童書には書かれていない人間臭いところが見えてくる。例えば最初はひとりで手掘りしていったが、なかなか完成しないとみるや村人たちに手伝わせたり、完成後は洞門を通るのに通行料をとったりしている(日本初の有料道路)。きっと児童書は「30年間一心不乱にひとつのことをやり遂げたすごい人を見習いなさい」ということを言いたかったのだと思うが、こんな隠れたサイドストーリーがあるとちょっと興醒めである。

さて青の洞門の手掘り部分を往復し、30分ほど周辺をうろうろして再出発。残りの今日の予定は宿に向かうだけである。国道212号を日田に抜け、日田ICから高速に入る。お盆休みとはいえ、今日は平日なので高速道路1,000円で乗り放題というわけにはいかない。少しでも高速代を安くあげるため、長崎ICを17時以降に通過することにした。とりあえず眠気を催したので、山田SAで時間調整を兼ねたお昼寝タイムをとった。

目覚めると15時10分だった。眠気を覚ますため、10分ほどサービスエリア内をひやかし15時20分ころ再スタート。長崎ICまで140`なので、普通に100`で走っていくと早く着きすぎてしまう。燃費向上も兼ねて80`そこそこで走っていくことにした。100`くらいで走っていると速いクルマに抜かされたり、遅いクルマを抜かしたりで、走行車線と追越車線を行ったり来たりせねばならず、イライラしたり疲れたりするものだが、80`なら走行車線べったりなのでストレスフリーである。途中の大村湾PAで夕陽に輝く海を眺めた後は、長崎ICまで一直線。結局17時10分ころ長崎ICを通過し、平日限定割引3,200円が通勤割引2,750円に料金が安くなり450円だけトクをした。そのままながさき出島道路に入り、トンネルを抜けるとすぐに目的地である長崎全日空ホテルグラバーヒルに到着した。

隣接するグラバー園は夏休みの夜間営業中だったが、蒸し暑い中、坂道を登るのは大変なので自重した。部屋で巣ごもりと決め、買い出しのため隣のファミリーマートを覗いてみたら、弁当売り場にトルコライスを発見した。トルコライスを食べるために長崎に来たこともあったので迷わず購入。他に角瓶とデカビタも買って、名古屋で流行っているという「信長割り」を楽しんだ。トルコライスの方は398円の割には本格的で、特にドライカレーが旨かった。その夜は部屋飲みで酔っ払い、部屋の窓から見える夜景を見ながらいつしか眠りについた。

8月13日朝。どんよりとした曇り空だった。台風4号は2日前に通り過ぎたが、台風が連れてきた雲はなかなか晴れない。今日も午前中を中心に雨の予報で、軍艦島上陸後は傘をさせないルールなので雨合羽を用意して長崎港ターミナルに向かった。軍艦島上陸クルーズの受付は長蛇の列で、噴き出す汗にイライラしながら列の最後尾についた。ようやく自分の順番が来て、予約をしていることを告げると、信じられない返事が戻ってきた。「今日の上陸クルーズは欠航です。」「…。」この旅の一番の楽しみが一瞬で潰えた。それでも気を取り直して、なんとか次の一言を発した。「軍艦島周遊クルーズは空いていますか?」「はい、3,300円です。」「じゃぁ、それでお願いします。」「9時15分ころ、10番乗り場にお越しください。」私は窓口を離れた。それと同時に「軍艦島には、もう一度来なきゃいかんなぁ…」と頭に浮かんだ。夏休みの宿題は終わらせることなく、次回に持ち越しとなった…


禅海和尚が掘ったノミの跡が残る洞門


30年間手掘りした精神力には脱帽だが


最初に造られた明り取り用の窓


山深いところというイメージは崩れた


コンビニで買ったトルコライス


長崎のB級グルメがお手軽に


上陸ツアーは欠航で周遊に


競秀峰の断崖を青の洞門が貫いている


南国ムード漂う大村湾PAにて旧型ヴィッツ


長崎全日空ホテルグラーバーヒルからの夜景


軍艦島を外から眺めるクルーズに乗船した

夏休み中ということで、船は混んでいたが満席ではなかった。2階にある吹きさらしの展望席が人気だったが、途中で雨に降られた時のことを考え、1階の船室の窓側に座った。乗客は不思議と子供連れが少なく、若いカップルと熟年夫婦が目立った。定刻の9時半に長崎港を出航。長崎湾の観光案内を聞きながら窓の外を見やる。今日の天気と同様、私の心も快晴とはいかなかった。夏の船旅にぴったりなはずの、ヘッドホンから流れる松岡直也のラテンサウンドも、今日の状況ではくすんで聞こえた。やがて船は伊王島、高島の横を抜け、軍艦島に近づく。右手前方に軍艦島が見えてきた。「あ〜、やっぱり軍艦に見える」

船は軍艦島を反時計回りに一周した。昭和30〜40年代には世界で最も人口密度が高かった島である。7階建てくらいの鉄筋コンクリートの建造物がひしめき、当時は未来的な景観だったことが偲ばれる。昭和49年に海底炭鉱が閉山となり、集合住宅は打ち捨てられ無人島となった。30年あまり経た今日、近代化遺産として見直され、昨年には世界遺産暫定リストに追加記載され、一般人の上陸も解禁されたのは冒頭に記した通りである。

島の西側に回ると、もろに東シナ海に面し、遮るものがないので波が高い。後で知ったことだが、軍艦島の上陸は波高0.5b以下の場合だけ許されるらしい。今日も台風4号の余波で、あきらかに基準を超えているようだ。長崎市は上陸できるのは年間100日程度と想定しているので、今回のようにドタキャンになるのも珍しくないようである。


この角度が戦艦土佐にそっくりらしい


本当はここから上陸するはずだった桟橋

島の南西側で船はスピードを落とした。この角度が最も戦艦土佐に似ているらしい。私はデジカメを構え、連写につぐ連写で軍艦島の姿を記録した。まるで上陸できない鬱憤を、ここで晴らすかのようだった。やがて船は島を回り込んで、ドルフィン桟橋の前を通過。本当はここから上陸するはずだったと思うと、かなり悔しい。そして軍艦島を一周した船は、別れを惜しむかのようにしばらく停まった。岸壁には上陸できないはずの島に釣り人の姿が。それを見つけた乗客の中には手を振る人もいたが、釣り人は何の反応もないままこちらを見ているだけだった。表情は見えないが、なぜかムスっとしているように見える。そう見えるのは自分の心理状態を反映しているからだろうか。

5分ほど停まっただろうか、いよいよ船が動き出し、軍艦島に別れを告げる時が来た。船尾のデッキから軍艦島が小さくなるまで見守った。「Farewell To The Seashore」不意に松岡直也の曲名が思い浮かんだ。

クルマに戻って、再び九州横断ドライブをスタート。長崎港から戸畑へは、ほとんどが高速道路。乗船中は降らなかった雨が、佐賀県内で土砂降りとなった。雨のゾーンを抜けて九州道に入ると今度は福岡〜若宮間で10`の渋滞。それでも戸畑には予定より1時間半も早く到着した。


夏休みの宿題が残ってしまった


7階建ての端島小中学校(70号棟)


上陸中止の島になぜか釣り人が2名


阪九フェリー新門司港ターミナル


阪九フェリーでは最新鋭の「やまと」


個室寝台が破格の6,400円


九州が徐々に遠ざかる夏の夕暮れ


夕闇にけむる新門司港と北九州の山並み


シングルベッドとテーブルだけ


ファンネルマークも颯爽と海を往く


出航直後の展望デッキにて筆者

戸畑でクルマを返却し、鈍行で小倉に移動。小倉駅構内で遅い昼食と生ビールを飲んだ後、阪九フェリーの無料連絡バスで新門司港に移動した。阪九フェリーの2等指定Bは1人用の個室が用意されているにもかかわらず、泉大津までインターネット割引で6,400円と格安。その個室寝台は、シングルベッドとテーブルだけという必要最低限の設備だが、少なくとも専有面積は、JRの個室A寝台と同等かそれ以上だった。玉にキズなのは、部屋でタバコが吸えないことくらいか。まぁ、それも時代の流れだが…。

乗船後、窓の無い部屋にいると息がつまりそうなので、展望デッキから出航直後の様子を眺めることにした。ヘッドホンからは松岡直也の「虚栄の街」。この曲はいつも夏の旅の終わりをイメージさせる。徐々に遠ざかる北九州の山並みを眺めながら、私は刻々と迫る今年の夏の終焉の時を感じ始めていた…
<終>

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